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『血は礎となる為に 』
桃簾la0911

「解りました。わたくしに何も異論はありません」
 平時と変わりなく微笑を湛え、落ち着いた声音で口にした言葉に父はそうか、と小さく呟く。それは淡々としているように見えて僅かに寄った眉間の皺に親としての姿が窺え、瞼を下ろした。そう頻繁にここに出入りしているわけではないが、今まで意識の埒外に置かれていた匂いが鼻腔を擽る。夜通し執務に明け暮れている際に灯されるランプの油に混ざる甘い匂いや、欠かさず手入れされている民の信頼の証でもある調度品の素材の香り。半年前から花瓶に飾られている桃の花は父が夾竹桃を希望したが、毒性がある為万が一を考慮して代わりに活けられたものと聞いた。それに加え部屋に出入りする限られた人間が纏う香りが主張し合って、調和し心の安寧に寄与してきた。覚えている限り何かトラブルが起きて誰かが職を追われたこともなく、兄弟仲も悪くない。きっとこれからも大きく変化することはないのだろう。ただ自分だけが離れていく。そんな近しい未来を寂しく思わない。
(これが、領主家の娘として生まれた者の務めなのですから)
 次兄のように“持てる者”であれば違っていたのかもしれないが。たらればの話に何の意味もない。それにその空想はこれまでの自らを否定する行為だ。直ぐに頭の中で打ち消す。黄金色の瞳を再度父の方へと向ければ、そこに先程の寂寞とした想いは見えなかった。中には勘違いし胡座を掻いている者もいるが、領民に養われるのではなく彼らの代表となって生活に安寧をもたらすのが領主家の役割なのだ。時には私的な感情を押し殺して、大多数が幸福になる道を迷わず選ぶ。それでこそ上に立つ者なのだと、姉が嫁ぐ際の様子を見て解った。だから少なくとも表面上は父が落ち着いている姿に喜びを覚える。――それに。
「ご心配なさらず。人の口に戸は立てられぬ、という言葉があります。あちらに良からぬ噂がないのであればわたくしが不幸になることはありません」
 その言葉には一分の嘘もない。現在情勢は安定しているがそれぞれが治める領土の面積は広大で、龍の住処である山こそ各方角の最端にあるので影響はないが、交通の便は未だ完全に整備され尽くしていなかった。故に他の領主家と直接交流を行なう機会は少なく、その反面で領民の声は旅の者を通して案外多く入ってくるものだ。そして侍女たちから自分にまで届く。有象無象の情報でも内容を精査し知識で取り分ければ無知より余程役に立つことだろう。
 まだ確定したわけではないが、と前置きして告げられた日取りはかなり先ではある。しかしここから向かうのにそれなりの日数を要し、それと準備を考慮するとあっという間に婚儀の日を迎えるだろう。
 一通りの話を終えて深く礼をして、部屋を出た瞬間息が零れ落ちた。いい評判ばかりでも心を通い合わせられるとは限らない不安、しかし同時にフォルシウスの家名を持つ者としてこれまでの努力が結実する安堵も大きい。自室に向かう足取りは執務室に来た時よりも軽かった。鴇色の髪が波のように揺らめき、ドレスの裾が僅かに揺れる。
「日取りは暫定ですが、婚礼が決まりました」
 部屋に戻り、そわそわ落ち着かない様子の部屋付きの侍女たちに対してそう伝える。順繰りに見やればおおよそ見当はついていたのか、戸惑うというよりもついにこの時が、という自分が父の口から直接聞いたときと似た反応が返ってきた。顔を見合わせて寸分違わず彼女らは頭を下げる。耳に届いたのはおめでとうございますの言葉。
「ありがとう。ですが、ここからが本番といっても過言ではありません。今一度気を引き締めなければ」
 はいと即座に返事をする彼女らの存在をとても誇らしく感じる。領主家同士の婚儀ともなれば領民にアピールする意味合いもあり規模は相当なものだ。しかも相手は現領主の長男。後継ぎと目される人物である為、より重みを増している。関わる者が増えれば失敗の可能性も高まるが、今いる侍女たちは皆、物心つく前から世話をしていた者や年月は短くとも信頼を置ける相手に相違ない。違う家の人間になろうとついてくるに相応しい彼女らと一緒であれば、不安も薄まるというものだ。
 母の嫁入り道具である鏡台の前に腰掛け、両開きの蓋を開ける。姉が母から譲られたのは別の品物だったが、同じように思いを巡らせたのだろうかとふとそんなことを考えた。鏡の中の自分は姫らしく穏やかな微笑を浮かべている。立ち振る舞いは当然ながら内面もそうであれと心掛けてきた。市井を目にする機会は持てずじまいだったが、本を読んで得た知識は記憶するに留まらず、糧として身についている。
 綺麗に切り揃えられた前髪の下には紅の紋様が浮かぶ。フォルシウスの血を引く証。いつかは母のように別の紋様を持つ人々に囲まれるのだろう。必ず実現しなければならないことだ。どれだけ信頼を置こうが紋に触れるのは許さないと櫛を手に自ら前髪を整える。後ろ髪は侍女が数人がかりで膝をつき丁寧に梳いていく。
 嫁ぎ先は北の地。特産の果物を輸出入するルートが確立された時、それよりも貴重な氷も一緒に届けられて、地元民が楽しんでいるという料理――のような物を用意してもらった。氷を細かく砕いて、上から果汁をかけただけのシンプルな食べ物だったが、ひんやりしたデザートも頻繁には食べられないここで舌に張り付く程の冷たさを味わったのは初めてで。とても衝撃を受けたのを憶えている。
(――もう一度、あの味を)
 ささやかな期待を使命感で律し、そっと息を吐き出す。

 そろそろ暑くなるよ、という青年の言葉通り、同じ場所にいるのに気温が上がるのはとても不思議な感覚だった。服装の変更を申し付け、風通しのいい生地に満足がいく。最初は触る度に異音を発し、青年が悲鳴をあげていた冷蔵庫とやらも最近はめっきり大人しくなり、中の物をでろでろに溶かす悲劇も過去になりつつある。勤めているスーパーで帰りしなに買ってきたカップアイスの蓋を気持ちは前のめりだが丁寧に剥がして、教えられた作法通りに手を合わせた。
「戴きます」
 期間限定の珍しい味も乙なものだが、たまには原点に立ち返りバニラの良さを噛み締めるのもいい。青年に何か尋ね、食べてみなよと言われて口にしたのが最初だったが、今では冷凍室に仕切りを作って、その大半を自分用のアイスが占めている。棒状の物や餅に包まれた物、ビスケットで挟んだ物と様々で、この周辺で購入出来る物すら食べきれないのではと危惧した。
 ゆっくり味わいたい気持ちと溶けた時の悲しさの狭間で葛藤しつつ完食し、ナプキンで口元を拭ってホッと息をつく。アイスは別腹、二つ目を持ってくるか考えているとふと思い出し、鞄からカードを取り出した。寸分違わない顔写真の横には桃簾(la0911)と青年がつけた名とライセンサーとしての認可番号が刻まれている。桃簾の名もアイスもこの世界も全て気に入っていて、護りたいと思ったから登録すると決めた。しかしここを終の住処にする気はない。故郷に戻って姫の役割を果たす為にもこの身分は必要不可欠だ。
(今はただこの日々を楽しみましょう)
 歩みは止めずに、けれど腐ることもないように。
 桃簾は立ち上がって冷蔵庫の方へ向かいながら、これから出会うであろう様々な人たちと出来事に思いを馳せる。そして、黄金色の瞳を輝かせて優雅に微笑んだ。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
初めましてですが、おまかせノベルに甘えて桃簾さんが
地球に来る前の話を中心に書かせていただきました。
間違いがないようなるべく気を付けたつもりですが、
見落としがあれば遠慮なく言ってくださればと思います。
今回は本当にありがとうございました!
おまかせノベル -
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グロリアスドライヴ
2019年05月10日

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