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『Peek-a-boo 』
ミラ・R・Ev=ベルシュタインla0041

 どうやらこの世界は終わりを迎えたらしい。
 まあ、どうでもいいことだ。
 彼女の心を読んだのか、シルクハットを目が隠れるほど深くかぶった“紳士”は言ったものだ。そう、終わりを迎えた。ただし我々によってではなく、自らの手をもってだがね。
 こくりと首を傾げた彼女は、紳士の次の言葉を待つ。
 思わせぶりな紳士の言葉は、疑問なり質問なりを引き出す手なのだろう。しかし彼女はそれを疑問に思わないし、質問するつもりもなかった。そも、考えることが得意ではないし、考える気力がないのだから。加えて、言われたことを言われたままに、過不足なく実行することさえできていれば、紳士がなにも言わないことも知っている。
 見えることが重い。
 嗅げることが重い。
 聞けることが重い。
 そして肌に障るものも、舌を刺すものも、なにもかもがその重さをもって彼女を世界へと縛りつける。
 この世界は、侵略者である紳士らに抗う術を持たず、ゆえに滅びた。ならば彼女もまた滅びの内に沈めておいてくれればよかっただろうに。いや、それすらも彼女にとってはどうでもいいことだから、どうでもいい。
「……」
 何者でもありえない、形を持たされただけの虚無――それこそがミラ・R・Ev=ベルシュタイン(la0041)という大仰な名を貼りつけられた彼女の本質なのだった。


 かくて体育の時間が訪れる。
 授業の内容は、グラウンドへ放された獲物を追いかけ、捕まえて、壊すこと。
 ちなみにグラウンドは日々別の場所に用意されるのだが、今回はいつの日か多くの誰かが暮らしていたのだろう廃墟である。
 体育の時間は面倒だから、早く終わらせよう。そうするには、とにかく獲物を見つける必要があるのだが、どうやら隠れ潜んでいるらしく、まるで見つからない。
 わずかに重さから解かれた耳を澄まし、風の音を聴く。流れを濁らせるものを探り、分析し、捕まえる。
「いな、い……いない……」
 濁りの線を辿ってふらふらと歩を進め、壁の一点にブーツの踵を突き込むと。
 硬い外殻に覆われた蟷螂――ミラにはそれが蟷螂だと認識できていなかったが――が跳びだしてきた。
 振り下ろされた蟷螂の鎌を、今日の得物として持たされたナイフの鍔元で受け止める。押し込まれるのに合わせて体を横へ流してやれば、蟷螂は彼女の横でたたらを踏んだ。
「いない……」
 見つけたはいいが、ミラの膂力では蟷螂の外殻を貫くことは難しい。だから殻と殻の継ぎ目に切っ先をこじ入れ、やわらかな中身を掻き壊した。
 果たして体を反らして痙攣、滅茶苦茶に鎌を振り回す蟷螂。
 ミラは縮めた体で鎌を受けながら、蟷螂を蹴り飛ばしてナイフを引き抜いた。さしたる防具も与えられていない彼女はそれなり以上の傷を負っていたが、その無表情に痛みが差すことはない。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。
「……ばぁ」
 壁へ叩きつけられた蟷螂の胸を膝で抑え込み、頸部にナイフを突き入れて、一気に刈り取った。

 別の日のグラウンドは砂丘だった。
 視界の果てまで続く半透明の砂丘。普通に形成されるものではありえなかったが、それもまたミラにとってはどうでもいいことだ。
 そして獲物は、砂に隠れることなく彼女を待ち受けていた。あのときはミラが鬼の鬼ごっこだったが、今日は逆ということらしい。
 迫る蛙は全部で4体。飛び跳ねながら長い舌を吐きつけてきた。
 それを手斧で弾き、身を翻したミラだが、足裏へかけた力で容易く崩れる砂に絡め取られ、思うように走れない。当然、蛙の攻撃をかわすこともままならないだろう。
 だから二歩めは体を反転させるために使い、腰を据えて蛙どもと対峙した。
「いない、い、ない……」
 右手の斧で頭部、左掌で心臓を守った彼女の体へ、蛙の舌先が次々と突き立った瞬間。彼女は上体を伸ばしながら筋肉を締め。
「……ばぁ」
 自らの体で縫い止めた蛙の舌を、手斧で断ち落とした。


 幾度となく自らを傷つけながら獲物を狩るミラに、あるとき紳士は問うた。なぜわざわざ自分を危険に晒すのかね?
「……私、の……体?」
 紳士は知る。ミラには“己”が認識できていないのだと。だからあれほど容易く我が身を傷つけられるのだと。しかし、紳士にとってはそれこそどうでもいい話だった。
 君は人形だ。あるものを摸しただけの形に過ぎない。だから、偽りの命さえ損なわなければそれでかまわない。

 独り残されたミラは、なにもない部屋にひとつだけ据えられた鏡へとうそぶいた。
「いない……いな、い……ばぁ」
 ただただ、同じ言葉を繰り返す。いないいないばぁ。いないいないばぁ。
 白々と映し出された自らの顔を見いだすこともできず、その言葉を誰に聞かされたものかも思い出せぬまま、幾度も、幾度も、幾度も。


 連れて行かれた先は、半ば朽ち果てた洋館だった。
 獲物は3体、ルールはいつもどおりだ。そう告げた紳士に形ばかりうなずいてみせ、踏み入る。ルールなど今さら聞く必要もない。それこそいつも同じなのだから。
 いつもと違っていたのは、獲物の形だ。外殻も特殊な形態も持ち合わせておらぬ、二脚二腕のやわらかな生物。
 玄関ホールで銃を向けてきた1体へ、いつものように頭部と心臓を守りながら近づいていく。しかし、獲物が撃ち込んできた弾は彼女の体を捕らえることなく、床や壁を削るばかりだ。
「い、ないいない……ばぁ」
 獲物は彼女になにかを言おうと口を開いたが、裂かれた喉を鳴らすばかりで、伝えることかなわぬまま斃れ伏した。

 2体めと3体めは連動してかかってきた。
 バリケードや簡単なトラップでミラの足を止めながら、奇襲と強襲を繰り返す。
 なぜこんなところにいる!? 自分のしていることがわかっているのか!? 口々に叫ぶ彼らに、ミラは首を傾げるばかり。体育の時間だからここにいて、授業だから獲物を追っている。それだけのことだったし、なによりも。
「うる……さい」
 無意味なはずなのに、奴らの言葉が重くまとわりついてミラを鈍らせる。意味がわからなくて、どうでもよくて、なのに振りほどけない。
 苛立ちを引きずりながら、ミラは獲物へ跳ぶ。
 2体めの首をへし折り、3体めの心臓へ刃を突き通した、そのとき。

 おまえは、同じ世界の同胞を殺すのか――

 3体めがかざしたナイフの腹に映るミラの顔は、その奥の獲物と同じ形をしていて。
 彼女は死にゆく獲物を追うように膝をつく。
 いないいないばぁ。
 人形だと教えられてきたはずなのに、同胞だと呼ばれる私は、いったいだぁれ?
 いないいないばぁ。いないいないばぁ。いない、いない、ばぁ。

 回線を繋いだままの通信機から声音が漏れ出してくる。
 さて。同じ形をしたものであれ、ためらわずに殺すことができたようだ。次の世界ではいよいよ試験投入できそうだな。
 紳士の声音がそれに続き。
 取り扱いは慎重にお願いしたいところですね。せめてそう、商品としての価値が見定められるまでは。


 ミラはやがて知ることとなる。声音の主がナイトメアと呼ばれる侵略者であることを。
 そして最後まで知らぬこともあった。彼女が今殺した3体が、彼女という商品を産み出すための源……ナイトメアに滅ぼされたこの世界における最高の戦士であり、彼女の遺伝子上の父母であったことは。
 と、それはさておき。
“次の世界”で彼女は自らに隠し続けてきた“自分”を見いだし、ナイトメアを狩る鬼となる。それを成すひとつの出逢いについては、また別に語られるべき話であろう。
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2019年05月10日

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