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『迷いと想いを抱き 』
瀬織 怜皇ka0684

 荒い呼吸音に混じって声が漏れる。悲鳴になり損ねた、意味のない音。全身から嫌な汗が噴き出す感覚さえ感じているものの、何故か他人事のように遠かった。
 自分の腕の中に金髪の少女がぐったり身を預けている。好奇心に輝かせて、あるいは何もかも赦すような慈愛を宿す瞳は閉じられたままだ。柔らかな唇は薄く開かれているが、耳を寄せなければ聞こえない程あえかな呼吸が吐き出されるだけで。歌はおろか名を呼ぶ声さえも再び発することはないと思えた。――だって身体が血の色に塗り固められている。
 本来は自身のマテリアルを活性化させる術を無理矢理に彼女を対象として、持てるだけの力を注ぎ込み回復を試みた。マテリアルが失われる感覚も発動時に生じる光も確かにあったが、状況が好転した兆候すら微塵も窺えなかった。単純に活性化させるだけのマテリアルが既に彼女から失われているだけかもしれない。しかし、そうではなかったら?
(……俺の力が足りないからだ)
 彼女と同じ聖導士だったら法術を使って助けられたのでは。そんな極論は抜きにしても、回復薬を持ち込むくらいは出来た筈。一端のハンターなら問題なく倒せる歪虚と無意識に軽んじたのではないか。日に日に成長する彼女の強さに甘えていたのではないか。庇われた時に見た実際の彼女より遥かに大きく感じる背中と、白が赤に染まる様が目に焼きついている。
 こちらの世界に来て得た最愛の人を自らの力不足のせいで失う。紛れもない悪夢だった。

 空きましたよという言葉に瀬織 怜皇(ka0684)の意識が急浮上する。椅子に座っているこちらを見下ろす女性が心配そうな表情を浮かべて大丈夫ですかと問いかけてきた。
「平気、ですよ。ありがとうございます」
 直ぐに立ち上がって、一歩足を踏み出す時には若干の目眩を感じたが、気付かなかった振りをして歩き出した。遠ざかればもう気遣われることもない。一人は楽だ。悪意より善意を向けられることの方が時に堪える。井の中の蛙でいられるのは幸福だ。自分と他人を比較し続けるのは辛い。一度自分が周囲より劣っていると自覚したら、それを気にせずにはいられなくなる。海で足が縺れて溺れたらきっと今みたいな感覚を味わうのだろう。嫌な想像が脳裏をかすめる。それを自嘲して笑うことも今の怜皇には出来なかった。

「今すぐフォローします!」
 周囲の状況を見回しつつ声を張りあげる。返ってきた仲間の声は苦戦の色が濃厚で、焦る気持ちに頭の中で平静にと繰り返す。奇襲は当然想定すべき事柄だったが緊急を要する事態の為にかろうじて彼らの名前と顔、クラスと使用スキルを把握している程度だ。打ち合わせも碌に出来ていなければ、連携のれの字もない。
 怜皇はそんな急場凌ぎの一団の指揮官的な立場にいた。といっても実力を買われたわけではなく、偏った編成で状況を俯瞰視しながら攻撃に加われるのが自分しかいなかっただけの話だ。それでも与えられた役割をこなさなければ。決意とは裏腹に仲間は分断され、既に手が回らなくなっている事実をいい加減認識せざるを得なかった。
 ぎり、と奥歯を噛み締める音。心臓が早鐘を打ち、最善策を模索すべき脳が空回る。焦るなと唱えれば唱える程ドツボに嵌る感覚。歪虚討伐の目的を果たすのであれば一箇所に風穴を開けて全員合流させるしかない。しかしその一箇所をどう選ぶ? 怪我や疲労の度合いが低い人を選べば早く突破出来、後の展開にも希望が持てる。それでいい。少なくとも今ばかりは正解と知っている。
(でも、あの人は、俺のせいで……死ぬんだ)
 文字通り取捨選択に殺される。それもこれも自分の弱さが招いたことだ。震える指先は辿り着いた答えを選べずに揺れて、仲間たちの助けを求める声が入り混じって届いた。目を閉じ数秒ののちに開く。そして目の前にある終了のボタンを強く押し込んだ。ディスプレイに映し出されていたレーダー図と各ハンターの映像が消えて、戦闘音も彼らの声も唐突に途切れしんと静まり返った。代わりに最近すっかりと顔馴染みになった管理人が近付いてくるのが見える。

 朝とは思えないほど暗かった雲がいよいよ黒々と広がりリゼリオ中に雨が降り注ぐ。顔を上げれば大粒の雫が怜皇の瞼を叩き、蒼みがかった銀色の睫毛を濡らして頬を滑り落ちた。傘を差さずに街路を歩けば髪にあっという間に水が染み込んで、左右にひと房ずつ伸びたそれが首筋に張り付く。
(――俺は一体、何を間違えたんだろうね?)
 自身に問いかけてみても答えは浮かばない。負のスパイラルに陥っている自覚はあった。訓練場で指揮官としての能力を鍛える為に戦闘シミュレータを使うようになったのは悪夢がきっかけだ。最初は上手くいっていたが近頃はめっきり駄目で。管理人は熟練のハンターでも完勝は難しい難易度と言う。難しいなら不可能じゃないんだろうとか気遣ってるだけじゃないかとか、そんな風に考えてしまうことに自己嫌悪した。
 これまでも出来ることをしてきたつもりだった。しかし時間が経つにつれ一人取り残されている心地になる。何が悪いのか判らないから努力をして、すればするだけ指の間から水が流れ落ちるような徒労感が湧く。置いていかれるのではないかと不安になる。
 焦るのは男としての矜持があるからか、この世界の出身ではないせいか。向こうでも怜皇は歪虚と戦っていたが無力感に苛まれるばかりだった。助けられなかった少女の笑顔は今でも忘れられない。恋人との邂逅だって弱さの延長線上に出来たもの。覚醒者としての力に目覚め、共にハンターになる道を選んで。同じことを願ったのも遠い昔のことのようだ。
「……全部白紙にするのも、悪くない、かな」
 声は雨音にかき消される。恋人とも、彼女の姉とも、様子がおかしいと気にかけてくれる友人も全部。まっさらに洗い流せたらこの暗闇から抜け出せるだろうか。絆は浅くなく、きっと全員が一生忘れられない心の傷を負うことになる。それでも足を引っ張って死なせるくらいなら、ずっとマシだ。怜皇は緩く首を振る。
 一度知った温もりを手放すのには途方もない勇気が要る。離れたくはないが、優しい言葉に甘える自分を許せない。だからゆっくりと沈んで、息苦しさに毎日溺れながらも明確な別れの言葉を口に出来ずにいる。最初は側にいてと引き留められるだろう。しかし怜皇が決意を固めそれをつまびらかにすれば、皆最後には内心はどうあれ送り出してくれる筈だ。それだけの信頼を得ている自覚があった。
 いずれにせよ、このままではいられないのは確かだ。思って怜皇は静かに目を伏せる。雫がまた、目尻から伝い落ちた。

 この前と違い、空は青く何処までも澄み渡っていた。
「絶好の旅日和、だ」
 ただ、逃げているだけかもしれない。それでも大切な人たちに心情を吐露し、時間を置いたことで少しは前を向けるようになったと思う。自分を見つめる為に、彼女らとの絆を消してしまわないように。旅に出ると決めて出立の日が来た。恋人はせめてお見送りがしたいと言ったが、怜皇は断った。一時でも離れるのは苦痛でちっぽけな決意すら揺らいでしまいそうだったから。
 直ぐには強くなれない。心も身体も。でも成長に際限はないと思うから、自分を信じ前へと進む。
「――さよなら。いつか必ず」
 恋人の愛称を唇に上らせて、小さく笑う。長く険しい旅路を歩み始めた。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
色々書きたいと思ったので、相当駆け足気味になりましたが
つぶやきを元に怜皇さんの苦悩について書かせて頂きました。
最初は髪を切って帰ってくるまでを……とも考えたんですが、
旅に出てからと両方を描くと軽く見えてしまう気もして
未解決ながらも希望が見えるような形にしています。
今回は本当にありがとうございました!
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2019年05月13日

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