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『影渡者の矜持 』
藤咲 仁菜aa3237)&九重 依aa3237hero002

 九重 依(aa3237hero002)は夜陰の先にすがめた赤眼を向け、息をついた。
 この肌触り、思い出させられる。昔。彼が忌み子であったころ、味方という名の敵に銃を突きつけられて追い立てられた戦場の空気を。
 吸い込むたびに胸を焼いたあの辛苦さは、死地に押し詰められた兵士の万感であったのだろう。が、死への覚悟の奥でちらつく生への希望は妙な甘ったるさを醸しだし、その身勝手さが依を苛立たせたものだ。
 そのはずだったのにな。
 依は自分の影から歩を踏み出し、戦場との間合を詰める少女の頭頂を見下ろした。
 彼女の髪に宿る茜は、彼の眼に映る尖った赤とは違い、やわらかい。そこから垂れ下がる白いロップイヤーは音がするたびぴくりと跳ね、少女の恐怖と警戒とを示していたが、それでも。
「行けるか?」
 依の問いに振り返り。
「うん」
 藤咲 仁菜(aa3237)。臆病で繊細で甘ったれな、しかしその弱さへ溺れることを拒み、歯を食いしばるワイルドブラッドの少女は、ありったけの力を込めて、依へうなずくのだ。
 絶対に死なない。誰も死なせない。みんなで生きて還る。凄絶なまでの我儘を振りかざす“兎姫”に、騎士たる依はこう応えるよりなかった。
「じゃあ、急ぐか」


 依と共鳴することで、仁菜の体は数年先に得るのだろう姿へと変じ、10センチ高い目線を得る。もちろん150センチが160センチになった程度ですべてを見渡すことなどできはしないのだとしても、それまで見ることのできなかった先が見えることで、踏み出せる一歩がある。
「っ!」
 噛み締めた歯の裏で鋭い呼気を爆ぜさせ、仁菜は兎さながらかろやかに、やわらかく跳躍した。
 眼下にひしめく従魔が一斉にこちらを見上げるが、その眼に映るものは夜闇を刃と化したかのような猛爪『オルトロス』の黒一色である。
 仁菜は1体めの首筋へ左足の爪を突き立てて足がかりとし、右足を横薙いだ。体内をかきまわされた1体めが斃れるよりも迅く、2体めをまわし蹴りで裂いた仁菜はそのまま体を丸めて地へ転がり、八方からの追撃をかわして跳躍。ただし、その軌道は地をすべるほど低い。
『ここだ』
 依の合図に手を地へ突き立て、左右の脚を開いたまま上体をねじる。前進力が転じた遠心力が両足をスイングさせ……独楽のごとくにその身を巡らせた。見る者によっては、器械体操におけるあん馬の旋回技を思い出すだろう。一点異なるのは、それが魅せるための技ならず、殺すための技であることだ。
 角度を変えながら360度を巡る爪に裂かれた従魔どもは、もんどりうって飛び、同胞へとぶち当たる。ある従魔は受け止めきれずに倒れ込み、ある従魔は骸の爪牙に突き抜かれて絶命し、ある従魔は大きく跳びすさって共倒れを避けたが、いずれにせよ仁菜へ時間を与えることとなった。
 かくて回転に乗り、跳ね起きた仁菜だったが。
『仁菜!』
 ちりっ。依の声音よりも先に仁菜を揺らす塩辛い肌感。
 咄嗟に右脚を上げ、体を縮めてブロックしたその体に、重い衝撃が叩きつけられた。
 先とは逆に、仁菜は宙へ飛ばされる。が、これは衝撃を緩和するため、軸足を踏ん張らずに浮かせたからこそ。
 依と共に足先の向こうに在るものを見やり、内で短く交わす。
『大砲?』
『ああ』
 他の従魔よりひとまわりも大きい、重装甲型。二足歩行の鰐めいた姿は、射角を広く保ちつつ砲弾を吐くための仕様であるらしい。
『だが、どうってこともない』
『うん』
 丸めた背から地へ落ち、ヘッドスプリングで立ち上がった仁菜はそのまま鰐へ向かった。右へ跳び、左へすべり込み、後ろへ退いて、前へ駆ける。
 鰐は砲口を兼ねる口を左右へ振り、撃ち込んでくるが、巧みに他の従魔を盾とする仁菜を捕らえられず、同胞ばかりを微塵に砕くばかり。
 しかし依はさらに厳しく表情を締め、仁菜へささやきかけた。
『陥れられるなよ』
 鰐が従魔を撃つのは、味方を減らすだけの対価があるからだ。すなわち、仁菜を油断させて引き寄せるという。見た目が鰐だからとて、頭脳までもがそうだとは限らない。敵へ見誤らせるために装うのは、人ばかりではないのだ。
 うなずいた仁菜は一気に加速し、鰐の斜め前へ思いきり踏み込んだ。
 それに合わせ、鰐が砲弾を吐きつけるべく口を開く。
 ああ、依の言う通りだね。わざと演じてた。でも、本気でもフェイクでも、そういうことするんだってわかってれば。
「どっちでもいっしょだよ」
 背後から襲いかかってきた従魔の首筋に脚を引っかけて、前へ振り出す。当然、鰐は撃ち込むのを止めて従魔を払い退けにかかった。鰐の連射速度はけして早くない。この距離で外せば斬り込まれてしまう。
 が、従魔は縫い止められたようにその場から動かず、鰐は眼を剥いた。
 実際、従魔は縫い止められていたのだ。ライヴスの針を足に撃ち込まれ、動きを封じられて。
 力尽くで叩き払ったときにはもう、仁菜の姿はそこになく、焦りながら見渡して、見渡して、見渡して……
 唐突に眼前の従魔がぐるりと振り向いた。ただしそれは、胸を深々と抉られた骸だ。気づいた直後、鰐は裏にいるはずの仁菜へ向け、砲弾を吐きつけた。
「言いなおしておくね。どっちでもじゃなくて、なにをしてもいっしょだって」
 骸の真裏ならぬ左脇にあった仁菜は、撃ち抜かれた衝撃を利して体を右へ回す。骸を手放し、先に出した右足を、蹴り込ませずに地へ突き立ててもう一回転。充分に加速した左足をまっすぐ突き出し、鰐の喉へ、後ろ回しからの横蹴りを叩きつけた。
 砲弾を口先へ運ぶため、喉の装甲は他よりもかなり薄い。そこへ与えられた痛烈な蹴りが文字どおりに喉を詰まらせ、そこへ迫り上がろうとしていた腹内の砲弾をも詰まらせて……暴発させた。
 内で跳ね回る爆炎は硬い外殻に反射して鰐を灼き尽くす。
 痙攣しながら地に斃れた鰐に、依は冷めたうそぶきを投げる。
『見た目どおりの鰐なら、もう少し苦戦したかもしれないがな』
 その言葉が終わるより先、仁菜は先を目ざして駆け出していた。


 怖れも疲れも知らぬ従魔どもは執拗にエージェントへと押し寄せる。
 その中で真っ先に、命よりも気力を削ぎ落とされるのは経験の浅い前衛陣だ。先の見えぬ戦いを眼前にした彼らは、自覚できない速やかさで疲弊し、結果として前線を崩す。

 ああ。大剣を振り込んだルーキーが、その勢いを支えきれずに膝をついた。
 そこへ雪崩れ込む従魔。かろうじて保たれていた前線が、ついにこじ開けられようとしたそのとき。
「10秒で息を整えて」
 ルーキーに言い置き、その前へすべり込んだ仁菜が、左の回し蹴りを放った。
 まっすぐ突き込まれた従魔の爪は、蹴り足の方向へ頭を倒し込んでかわしている。同時に蹴り足側へ重心を預けることで蹴りの重さを増し、49キロの体重では為し得ぬはずの“圧”をもって従魔を弾き飛ばしてみせた。
『力を得物にかけるのは当たるときだけだ。ムダに力めばそれだけ剣が遅くなるし、疲れるからな』
 ルーキーへ声音を投げた依に、仁菜は内でうなずいた。
『そういう依、いいと思う』
『ひとり死ねば、立てなおすまでに10人が死ぬ。だから生かすし、そのために俺たちは走る。そうだろう?』
 ぶっきらぼうに返した彼に、仁菜はもう一度うなずく。
 いちばん大事なことはひとつきり。誰ひとり損なわず、この戦いから還ること。
 誰も死なせないために、仁菜は護ると誓った。
 誰も殺させないために、依は走ると言い切った。
「任せたから」
 先のルーキーと交代し、次の穴を埋めるべく仁菜は跳ぶ。体を守る防具は軽装。しかし、宙を蹴るように体を繰る彼女へ追いつき、その肉を食める爪牙はない。心なき数多の眼に見送られる中、仁菜は今にもバトルメディックを貫かんとしていた従魔の爪を蹴り折り、背で着地してまっすぐつま先を突き上げた。
 股から腹までを斬り裂かれた従魔は。斃れることもできずよろめくが。
 ――もっと迅く。
 仁菜はそのまま大きく回転、先の従魔を蹴り払うに加えて辺りの敵をも薙ぎ払う。
 ――もっともっと、迅く!
 打ちつけた右足で回転を止めると同時に左足を蹴り上げて跳び、猛禽のごとくにその猛爪で従魔の頭部を鷲掴んで斬り潰した。
 ――もっともっともっと、もっともっともっともっと迅く!!
 左の前蹴りで従魔を押し止め、右の三日月蹴りでその腹を突き通して、さらに前へ。
『私は今度こそ間に合うんだから――今度こそ届かせるんだから――!!』
 激情を変じさせたライヴスの爆発で、殺到する数多の爪牙を弾き飛ばし、蹴りを打ち続ける仁菜。
 その内でライヴスを合わせる依は、彼女に読まれぬよう密かに思いを紡ぐ。
 おまえは今度こそ間に合う。今度こそ届く。いや、俺が間に合わせてみせる。おまえを届かせてみせる。
 それはおまえが言った「生きる意味」じゃないのかもしれないけど、でも。俺がこの世界でおまえに遭ったのは、偶然なんかじゃなくそのためにこそだと思うから。
『さっきのルーキーといっしょだ。ムダに力んで動きを鈍らせるな。気力は結局、体力に直結してるんだからな』
 依は続けようとして、やめて。しかし意を決し、あらためて告げた。
『俺たちが護らなくちゃいけないものは、この先にある』
 俺だけじゃ間に合わない先だろうと、仁菜がいっしょなら届く。俺の業(わざ)を仁菜の脚に併せれば死線の先までだって駆け抜けられるんだよ。
『サポートお願い!』
 依に返し、仁菜は頭を左右に振り込み、従魔の狭間へ割り込んでいく。
 依が支えてくれるから、私は前だけ見て走れるんだ。盾と剣がなくても、誰かを護るためにまっすぐ跳べる。
 従魔の体を駆け上がり、その肩を踏んで跳びながら、仁菜は前線の一端……愚神との戦いが繰り広げられる鉄火場へと転がり込んだ。


 愚神は鋭い挙動で多腕に仕込んだ刃を繰る個体である。ただし遠距離にもその刃を飛ばすことで対応し、さらには高い回避力でこちらの攻撃をかわす。シンプルながら倒しづらい、厄介な相手だ。
「しぃっ!」
 押し詰めた呼気と共に打った仁菜の横蹴りはバックステップでかわされ、危うく引っ込めた足裏を刃の斬圧がなぜていく。
『迅さ比べは正直分が悪いな』
 依がぽつりと漏らす。
 彼はこの世界に顕現してそこまでの時を経ていない。能力だけで言えばH.O.P.E.のエース級シャドウルーカーには及ばないのだ。
『関係ないよ。私たちには別の経験があるんだから。私と依だからこその、ね』
 息を整え、仁菜は右足をつま先立てる。鼓動によって揺らぐ猛爪が土をかすかに削ぎ、その濁音が彼女と依の“生”のリズムを刻み、刻み、刻み。
 ついに蹴り出した右足へ、愚神がすぐさま四刃を繰り出してきた。未だ前へ向かう彼女の脚に、四方からの攻めをかわしきる術はない。だから仁菜は斬られるまま、軸足である左足の踵を前へ回し出す。
 半歩分の距離を詰めた後は、当然傷ついた足を踏み下ろして、無事を保つ左足で蹴り込んでくるだろう。もしくは跳んで逃げるか――愚神はあらゆる軌道を瞬時に思い描き、その先に残る刃を置いたが、しかし。
 仁菜は右足を下ろさない。そのまままっすぐ愚神へ組みつき、かわすことのできない体勢から、縫止の針を吹きつけた。
 動きを止める!? 愚神は鈍らされた足を動かすことなく、急ぎすべての刃を仁菜へ叩き込んだ。ちょこまか動くばかりだと思いきや、裏をかいてくれるものだ。しかし、小細工もここまでのこと。
 と。仁菜の姿がゆらめき、霞に沈む。それが依の体得した影渡なる業であることを愚神は知らなかったが……刃の半ばが空を斬り、そして。
 仁菜に集中したことで呼び込むこととなった他のエージェントの総攻撃に巻かれ、多腕のすべてを失い果てた。
『これで、誰ひとり死なせずにおまえを殺せた』
 依の声音が延髄へ這い、自らの血にまみれた仁菜の猛爪がその延髄に添えられて。一気に引き斬られた。
 死にゆきながら、愚神は悟る。先の右足は、こちらの攻撃を誘うがため。そこから組みつき、小業を使ってきたのは仁菜へ意識を釘づけるためだったのだ。それまでに重ねられた、愚神へは及ばぬ迅さの攻めもまた、すべてが「小うるささ」と「弱さ」の演出であり、だからこそ愚神は知らぬうちに仁菜を殺すことに囚われた。
 とどのつまり、弄されていたは我か――

 骸と化した愚神から視線を外し、仁菜は息をつく。
「次、行くよ」
『ああ』
 まだ戦いは終わっていない。
 今にも果てそうな誰かを護るがため、仁菜は仁菜を尽くし、依は依を尽くし、駆ける。
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2019年05月13日

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