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『季節は巡り、時は移ろい 』
不知火 あけびla3449)&不知火 仙寿之介la3450

 両端を掴んで軽く引っ張り、それを何度も繰り返すことで皺を伸ばしていく。さっと目視で確認して今度は別の物をと繰り返し、脇に置いてある籠が空になると不知火 あけび(la3449)は物干し竿の前から少し下がり目を細めた。汚れ一つない真っ白なシーツや細々とした衣類が風に靡いて、頭上を振り仰げば空は文句なしの晴天だ。桜が散って以降暫くは天候が安定しなかったが、今日は天気予報でも太鼓判を押していただけのことはある。
「うん、信じてよかった!」
 と腰に手を当てつつ目の前の光景に満足し、頷く。春の陽気に思わず欠伸が零れ、首を振ると気合いを入れるように頬を叩いた。
「今日は昼寝をしてる場合じゃないよね。洗濯は終わったから後は掃除と……衣替えはまだ早いかな」
 何せ、そうこうしている間にも梅雨がやってくる。洗濯物のことを考えると気が滅入るが天の恵みという見方も出来るので良しとしておく。ちらりと庭の奥を見やって、あけびの意識は梅雨を過ぎ去り来年の今頃へと飛んでいく。
(いや、別に今育ててるのは浮気とか予行練習とかじゃないからね!)
 ささやかな罪悪感にそう弁解し着物の袖をたくし上げると、次の家事をこなすべく身を翻して縁側に向かい歩き出した。

 とある縁で譲り受けたこの日本家屋は、夫婦二人はおろか息子と叔父の娘を加えた四人でも広いくらいだ。当然のように庭も色々手を加えても尚かなりの面積が有効活用出来ずじまいで、今すぐにでも何かしらやろうと思えば出来るのだが、実現にお金が足りないだけで予定は決まっている。言い方は悪いが、手っ取り早く稼ぐならライセンサーとして馬車馬のように働いたら何とかなるだろう。ナイトメアは姿形も脅威度も千差万別で、ヒトの捕食が目的の為か、思考や能力に細かな違いがあってセオリー通りに事が運ばない場合が殆どだ。元々人手が不足しがちなだけに報酬は高めだが危険性が増すと更に跳ね上がる。二人でとなるとさしものあけびたちでも苦戦を強いられるだろうが、信頼出来る仲間たちと一緒なら心配ない。しかし。
(――出しゃばらないって二人で考えて決めたから)
 掃除機を手に一通り部屋を回り、その後廊下を雑巾掛けしたところで一度自室に戻って髪型を直す。普段着にしている着物から汚れても洗い易いラフな格好へと着替えながらそんなことを考える。
 あけびとしてはこちらに転移した原因が自分の不覚であることから、楽しくも忙殺される日々で鈍った身体を鍛え直し、サムライガールの名に恥じない実力を取り戻したい気持ちもある。年齢を重ねた為に基礎能力は落ちてしまっているかもしれないが大部分は挽回出来るだろうし、それに戦いに明け暮れていた頃にはなかった経験を掛け合わせれば今を全盛期にすることも可能な筈だ。それでも息子の今は危うさを覗かせる背中や、叔父のように幼馴染の彼を支えようとする優しい眼差し。自分と瓜二つの顔をした芯の強い少女の導き、引っ張り上げようとする繊手。若い彼らが少しずつ着実に成長していく姿を間近に見ていると、対抗心よりも何故だか寂寥感を抱いて。ここでの生活にも慣れて、今後どうすべきか話した時に夫の言葉を聞きスッと腑に落ちるものがあった。納得すれば気持ちを切り替えるのは早くて、今まで出来なかったことをしようと結論付け今に至る。結局忙しいのに変わりないが、楽しさはそれ以上だ。極めていないものも未経験のものも山程あると思えば、
「ホントにどれだけ時間があっても足りないね」
 おばあちゃんになった後の、その先までは今は考えたくないけれど。未来に胸を高鳴らせるのは幸福なことだ。部屋を出て支度をし、再び縁側から庭先へ出る。慌しく動き回っていたもののまだ昼前ということもあって、一応確認した洗濯物はまだ生乾きの状態だった。それはそれとしてと、あけびは庭の一角に目を向けて、そこでようやく緑生い茂る中に紛れ切れない後ろ姿に気付く。しゃがみ込んだ状態でも周囲が背丈の低い物ばかりなだけに長身が目立って、しかし風景画の一部のように妙に馴染んでも見える。
(一番はやっぱり、剣を握っている時かな)
 子供の頃から心の奥底に焼き付くくらい見てきた姿だから。懐かしさに自然と頬が緩んで、それを隠さずあけびは彼の――夫である不知火 仙寿之介(la3450)の元へ歩み寄る。互いに相手を意識する必要は皆無ながらも、流石に近付けば気配を感じ取って仙寿之介が振り返った。左右に流した長い前髪が頬にかかってそれを手で直す、そんな仕草にも愛しさが募る。剣のお師匠様から始まって一時記憶を失い、敵として再会して庇われ大怪我を負わせ。連れ添って親初心者として二人三脚で歩いてと、関係が変化していっているのもあるだろうが。比翼連理、側にいることが当然だと思える。あけびは言葉通り彼の隣にしゃがみ、金色の瞳を覗き込む。作業する手を止めて仙寿之介もこちらを見返した。
「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
「仙寿様いつ帰ってきてたの?」
「少し前だ。忙しそうにしていたから邪魔をするのも悪いと思ってな」
 凄い勢いで廊下を雑巾掛けしていただろうと付け足されて、ちょっと恥ずかしくなる。今日は帰るのは昼過ぎ以降だと聞いていたし、広い家に一人っきりの寂しさを振り切ろうと羽目を外した感はあった。具体的には声を張りつつ全力疾走したり。最初は羞恥心を覚えたが、やっている間に楽しくなったので弁解も憚られる。あけびがうーと唸りつつ、トマトのわき芽を丁寧に摘み取る剣客の手を眺めていると仙寿之介の唇から小さな笑い声が零れた。
「日常をああも楽しめるというのは才能だろう。それにあけびが家事をこなしてくれているからこそ、俺も好き勝手に出来ている。感謝している……という言葉では言い尽くせないくらいだな」
 視線を戻せば金眼はまだほんの少しだけ、小さな子供を見るような慈愛の色を帯びている。勿論それが全てではないが。あけびはふふんと少し得意げになって言う。

 ◆◇◆

「甘やかすって、ずっと前に決めたからね」
 あの頃とその美貌も声音も何ら遜色無い。しかし妻の顔に浮かぶのはお転婆なところが前面に出た子供っぽいものではなく、母親として歩んできた二十年もの歳月を思わせる穏やかな微笑だった。人間は成長し、最盛期を迎えて、そしていつか儚く朽ち果てるもの。果てのない寿命を持つとされる天使とは逆を行く、しかし月並みな言葉ながらも限りある命を燃やして人生を自分らしく謳歌する姿に惹かれるものがある。あけびが諦めず貪欲に前へと進み手を伸ばしたから、今の仙寿之介がいるのだ。
 よいしょ、という掛け声には似つかわしくないしなやかな動きで立ち上がった彼女は、膝の上に抱えていた盆ざるをぱたぱたと振ってみせた。その仕草を見て仙寿之介も同じようにし――特に声は出なかったが――彼女と連れ立って小松菜を植えてある一角へと向かう。
 元いた世界でも剣術指南を行なっていたが生徒は子供が主ということもあり、四六時中刀を振るっている訳にもいかず。かといって社会の常識と呼べるものについては概ね問題無いと自負しているが仔細には未だ馴染み浅く、あけびの不知火家当主としての一面はともかく、会長職の方には口を出せるような知識もなかった。彼女の友や親友に全幅の信頼を寄せていたというのもあるが。夫婦とはいえ日がな一日側には居られず、しかし何か自分に出来ることはないだろうかと悩んでいるとあけびが何気なくそれならと口にした言葉。それが仙寿之介が趣味の一つに家庭菜園を挙げるきっかけだった。現金な動機、しかし全く異論はない。仙寿之介の器用さにも性格にも合っていたので、目的の達成云々を二の次に熱中しだしたのはやり始めて直ぐの頃だ。こちらに転移して妻を救出出来たあと暫くの間は縁がなかったが、この家に居住すると決まった時点で彼女は言った。
 ――ここの土良さそう? ダメだったら、園芸用の土を買ってこなくちゃね。
 これだけ広かったら剣術道場も立てられそうだね、とは広々とした庭を歩いている際に言っていた。その時も今後の立ち回りについて話し合った結論を汲んでいて嬉しかったが、家庭菜園はそこから外れている。無くても構わない物を当然のように受け入れて、今度は手伝いたいから教えてとまで口にし、照れくさそうに視線を外す。妻のその様子を見て愛おしいと思うのは当然だ。
 瑞々しく育った小松菜を挟み、向き合う形で収穫しながら、時折あけびが差し出す盆ざるに取ったそれを放り込む。一杯になったので仙寿之介が家へ置きに行って、戻ってくると次は二人この前植え直したばかりの茄子の手入れをする。話が途切れた時にふと思い出し、口を開いた。
「今度学校の授業で指導してほしいと頼まれた」
 今日出掛けた理由がそれだ。声音と表情に乗る喜色に、妻の頬も好物を目にした時と同じだけ緩む。
「もしかしなくても、久遠ヶ原学園だったりする?」
「小学校の方だがな」
「残念! でもまあ、そうだよね」
 冗談めかして言い、あけびが立ち上がる。凝り固まった筋肉をほぐすように大きく伸びをする彼女の唇から絞り出したような声が零れた。反面で直ぐ側にある水道の所まで歩く足取りには体幹の強さが出ている。
 世界中が逼迫した状況なのは解っている。しかし、だからこそ花開く前の次世代を担う者たちが率先し前に出なければならないと仙寿之介は思う。同時に、ナイトメアに対抗する手立てがない大多数も力をつけるべきだとも。強くなってもライセンサーにはなれないと言う、子供の純真無垢な瞳は潤んでいた。それはその通りだ。だがナイトメアを斃せずとも時間稼ぎには幾らでもやりようがあり、ほんの少しの行動が人の生死を分けることも珍しくない。この戦況でただ前向きに、というのは難しい。しかし身体能力の向上は選択肢を広げられるし、成功は自信に繋がる糧になる。その為に自分たちが出来るのは剣術指南くらいのもの。
(――成功は自信に、か)
 脳裏に思い浮かぶのはあけびの救出に志願した長男の顔だ。彼には彼の矜持がある。しかし致命的な失敗が尾を引いて、自らその先行きを覆い隠そうとしていた。父親である仙寿之介からすれば何をそんなに焦っているのか、そう思いもする。いつか追い越す背中と目されるのは嬉しいが、たかだか二十年生きただけの若輩に今自分と同じことが出来る筈がないのだ。見た目は人間であるあけびと相応にしているものの、実際に老いた訳ではないのでそうは鈍っていない。天使と人間の間の子である彼にどれだけ猶予があるかは分からないが、努力し続ければ実るに違いないのに。
(それが一番難しいことだが)
 植物のように手をかけた分だけ成果が目に見えることもあれば、普段と何も変わっていないのに急にバランスを崩すこともある。出来てしまえば簡単なことで躓くのも珍しくない。そこで腐らずに己の伸び代を信じるのは至難の業だ。
「ちゃんと見てるから立派に育ってね」
 あけびが如雨露で水を撒きながら楽しげに成熟しきっていない実に語りかけている。手伝うと言い出した時には加減知らずだったが今ではすっかり手馴れたものだ。剣術を教える方は相変わらず感覚的ではあるが、子供への接し方は最初から自分より遥かに上手かった。互いの短所を補い合う、それも戦いにおける極めて重要な点だ。
「秋にはまた苺を植えるとしよう」
 いつかは元の世界に戻ることになる。しかし、それまでの間は自分たちなりのやり方でほんの一握りだけでも誰かの助けになればいいと思う。この世界の未来を担う次世代の子供たちへ己の持ちうるもの全てを明け渡そう。穏やかな日々を愛し護りながら。
「絶対にだよ。来年の今頃にはお菓子作り、私の方が上手くなってるかもね?」
 仙寿之介が作る苺大福などのお菓子を頬張りつつ、自分でやると上手くいかない部分について聞いてくる負けず嫌いなところは昔から変わっていない。二重の意味で麗らかな光景に目を細めた。いつもと違う服装の妻は昔贈った同じ名の花を模した簪に手を添え、いつも通りの笑顔を浮かべている。
「俺もまだまだ負けるつもりはないぞ。剣も菓子作りも家庭菜園もな」
 言えばあけびはきょとんと目を瞬き、そしてふっと吹き出す。こみ上げる愛しさに抗わず仙寿之介も笑い返した。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
後半には実際に剣術を教えているシーンも書きたかったんですが、
色々入れたい要素もあったので家庭菜園での話のみになりました。
直接的に言動でイチャイチャとしている感じではないものの、
お互いに時間が経つごとにより好きになっていく……という
熟年夫婦というには若いですが、そういったイメージがあります。
今回は本当にありがとうございました!
おまかせノベル -
りや クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2019年05月14日

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