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『腹ごなしと他生の縁 』
薙原・牡丹7892

「それでは御用がございましたらお呼びください」
 仲居さんのはりのよい声に礼を言って、薙原・牡丹(7892)は息をついた。置かれた湯呑みを手に、お茶をすするとその温かさに喉がしみるようだった。
目のまわりをもんでほぐしてみる。鏡で見たときよりくまが酷くなっているなんてことはないだろうか。何をするでもなく窓からの景色を眺めてみる。
 ひと仕事終えた後の解放感というのはなんとも言えない。こうして合間に出かけるのも最近の生活として定着してきた気もする。
 何をするでもなく、やはり外を眺めている。山と川の間にいくつか旅館があるような、小さな観光地の景色は、さほど面白味のあるというものでもない。
ただ、落ち着くにはよいもので、自然と、まどろみと、川のせせらぎは、牡丹の長い記憶の中にある澱とも呼べるような部分を、時折底から浚うことがあるのだった。


 その時もやはり旅をしていた。
 いや、あの頃は旅などとも言えない。行くあてもなく、ただ彷徨っていただけだ。だからきっと、自分が水神として祀られていたあの場所からおわれてさして時も経ていないころのことだろう。
 行くあてもなくさまうなか、ある山中で己と同じ蛇の妖怪と出くわした。
 気がささくれ立っていたころだ。近しい存在だろうが、社交性など度外視で、ただただ無視してすれ違うだけだっただろう。
 しかし、その蛇は多少厄介事を抱えていたのだった。
「あの蛇は、捨て置けん」
 山の麓の村におりてみれば、思った通り様子が騒がしい。自分は旅の女といっても通らぬような風体だった。もしもの為にわずかばかりの酒は手にしていたから、それと力を使って村の家に厄介になった。
 そして、村の様子を聞いていた。
「あれは、とんでもないことをした」
「鶏をやられたものも居った。元より退治しておくべきだったのだ」
 あの山中の蛇のことだろう。どうやら退治する方向でまとまるらしい。最も、自分には与り知らぬことではある。とやかく他にかまう余裕じたいが、ありはしなかった。
 ただ、そうした話の中で異を唱える者もいた。
「あれは、儂等の爺や婆の頃から居った蛇ぞ。して、さほど悪いものではあるまい。家畜はやられたことはあるが、それ以上は無い。儂が幼子だったころ、一度だけ山の中で出くわした。ひっくり返りそうだったが、じっと儂を眺めていただけで、ふいと首を振って行ってしまったわ。無闇に退治するものでもない」
「それ以上のことを、したではないか」
「……」
 話はまとまったらしい。あの蛇は退治されるだろう。
 気のささくれ立っている所、ますます居心地が悪かった。さっさとまた別の地へ移ろう。
「もし」
 一人、年のいった老婆が尋ねてきた。自分の力にはかかっていない。時折、こういう者もいる。
 しかしその老婆はそれ以上なにか言うでもなく、牡丹の目の前に酒と思われるものを置くと、腰と頭を低くしたままずるずると後ずさりして、牡丹に対して拝みはじめてしまった。
 そのときの牡丹には、目障りだった。
「これは?」
「どこぞより、たずねて下さいましたか存じませぬ。せめて……。村の者が荒れておりますが、どうか……」
 牡丹は自分の前に差し出された酒をじっと見た。それなりに上等のものかもしれない。
「なにかする気もない。だから願い事の類もしてくれるな。ただ聞くが」
 牡丹は訝しむように目を老婆を見据えた。
 その瞳は今の牡丹よりも荒々しい輝きを放っていて、老婆は怯えたように肩を震わせた。
「あの蛇は、一体何を食ったのだ」
 老婆は、如何にも畏れ多いといった様子で口を開いた。


 牡丹は山の中にいた。岩場の割れた穴に入れば、そこには先日目にした大蛇がとぐろを巻いていた。
 その腹には明らかに蛇の体を超える巨体が収まっているらしく、不釣り合いな曲線を描き、膨れ上がった体は元来覆われていた鱗の一枚一枚が引き伸ばされてはちきれそうだった。
 苦しいらしく、大蛇は赤く細長い舌を力なく揺らして呼吸している。
 ちろちろと、岩場の壁を沢から伝った水が流れて暗闇のなかできらめいている。
「大概の大きさは食べられるものだけどね。それにしたって、これはさすがに欲張りすぎではないかな」
 牡丹の言葉に答えることもなく、大蛇は黙って細めた光沢のある瞳を向けてくるばかりである。
 牡丹はやや距離を置いたまま、傍らの岩場に腰をおろした。
 やがて、一人の男がやってきた。刀をさげている。村の人間に、退治でも頼まれてやってきたのだろう。
「女、何者か」
「そう殺気立たなくてもいいでしょう。ともあれ、この蛇はさした悪さをするようなものでもないらしい。おたくが、その腰に下げたものを汚すこともない」
「戯言を。左様な異形を晒しながら。その蛇が腹におさめたのは、この地に古く住まわる山神だと聞いている」
「それは大きな猪だったそうだね。ただまあ、神と呼ばれるものも年も取るし代わりもする。或いは耄碌していたかもしれない。ともかく、こういったのはさほどおかしなことでもない。この蛇も、うまく腹におさめたものを血肉に出来れば、新しい山神としてそれなりの格にはなるのではないかな」
 男は、いかにも怪訝だった。
「面妖な。やはり貴様もあやかしの類に相違ないな」
 男は踏み込みと共に刀を振り下ろした。男は不思議を見た。薄暗がりの中、視界の端で壁を伝う水が、牡丹の手元に一気に流れ落ちたかと思うと、その手が乱雑な速さ振るわれた。振り下ろしたはずの己の刀が、いつの間にか片手で握られていた牡丹の一振りに軽々と弾かれていたことに気づいたとき、
男は漂う酒気に気づいた。
 振るわれた刀と腕の影に、牡丹の瞳がのぞいた。
 闇の中、光をもとめて拡がる三日月のような金色の瞳に、傍らにたたずむはずの大蛇を忘れて怖ろしさを覚えたとき、男の意識はぷつりと途切れた。
 刀を見たときは、似た場面を思い出して酷く虫の居所を悪くしたが、結局牡丹は男を殺しはしなかった。
「人間とは……まあ、なるだけうまくやることだね。下手にやると、面倒も、多い」
 それだけ言うと、牡丹はその場を後にした。手に、残り少なくなった酒の入った筒を下げたまま。
 蛇は、その後ろ姿をやはりじっと見つめるままだった。


 夢も見たが、ゆっくりと休むことができた牡丹は、目の隈もなくぱりっとした調子を取り戻して旅館を後にしようとしていた。
「もし」
 女将さんらしき人が、その背に声をかけた。
「お越しいただきありがとうございました。お客様に、お土産をご用意いたしましたので、どうかお持ち下さい」
「少し多いかな」
「そうおっしゃらず。この地の昔ながらのお酒ですので、どうか」
「それではまあ、ありがたく。こちらには、長くいらっしゃるんですか」
「はい。私などは、生まれてこのかたこの地を離れたこともございませんので」
「そうですか。それでは」
「ありがとうございました」
 女将は出てゆく牡丹の背に長く頭を下げていた。
 最後に顔をあげた女将の口から、細く長い舌がちろりとのぞいていたことに、他の仲居が気づくことはなかった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【7892@TK01/薙原・牡丹/女性/31/小説家】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 この度もありがとうございました。少しでもお気に召して頂ければ幸いです。

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東京怪談
2019年05月17日

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