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『いつか朽ちる日まで 』
フィオナla2899

 伏せた瞼越しに光を感じる。見えているのは光か血管か定かではないが、暗闇の中で感じ取れるものではないことだけは知っていた。揺蕩い、散り散りになりかけた思考が収束して、心を形作る。ゆるゆる目を開けば自分を覗き込んでいる一人の少女の顔が映った。視線が重なって、曇っていた表情が一気に眩しいくらい輝いたものへ変わる。けれど、ほんの少しだけ怯えが混じっているのが泳ぐ視線から伝わってきた。フィオナ(la2899)は状況を飲み込めないまま、二度三度瞬きをして、シーツに手をつき起き上がる。その拍子に駄目だよと少女が慌てた声をあげて、遠慮がちに肩を掴むとフィオナの身体を再び横たえようとする。目眩を感じたのもあって、大人しく再びベッドへと沈み込み、口内の渇きを唾液で誤魔化し声を発した。
「……誰も怪我をしてませんか?」
 掠れてはいるが淡々とした声音に少女は目を伏せ、こくんと頷いた。しばしの間を置いて、言い淀みつつも彼女が口を開く。語られたのはフィオナがここで目を覚ますまでの経緯だ。それでようやく記憶が点と線で結ばれる。あの時のことを忘れてしまうわけではないのだ。ただ夢か現実か境目が曖昧で、戦いの後にこうなっているならおそらく、と推測が立つものの、確信までは抱けない。それに対象が誰かは重要なことではないから、憶えていない――というよりそもそも視界に入っていない場合も多い。
 少女は話の最後に、助けてくれてありがとうと告げて、ベッドの脇の椅子に座ったままではあるが深く頭を下げた。仰向けの状態で顔だけ傾けて、一連の動きをじっと見つめる。
「あなたが無事なら良かった」
 それはフィオナの本音だったが、口にしてから若干後悔の念が生まれた。少女は唇を笑みの形に戻して、もう一度同じ言葉を繰り返す。そして皆にも教えてくるねと言い、すっと立ち上がった。扉が閉まれば部屋はしんと静寂に支配される。
 知らず知らずの内、深い溜め息が零れる。ここ――SALF本部にある医務室に運ばれたのはこれが二度目。しかしいたのが共に依頼を受けた少女だけだったということは今度は負傷には至らなかったのだろう。イマジナリーシールドを破壊されて気を失った。そんなところか。
 先程よりも慎重に上体を起こす。お尻の下まで伸びる長い髪を敷かないよう後ろへ流しながら、全身を覆う倦怠感に微かに眉根が寄った。それでも目眩は殆どない。この調子なら今日中には家へ帰れそうだと考え息が詰まる。拳を緩く握れば、シーツに刻まれた皺が深くなった。
(――家に帰っても、あの人に会えるわけじゃない)
 一人きりになって、この世界に辿り着き、何もかもが違っている筈なのにこの眼を通して見る人々も景色もひどくくすんでいた。そんな中で唯一、鮮やかに映ったのは一人の男性だった。自分以外全て失ったフィオナと両親をナイトメアに殺された彼。境遇が似通っていたこともあって、距離が縮まるのにそう時間はかからなかった。傷の舐め合いだったかもしれない。けれど、当時のフィオナの目の前に光が射していたのは事実だった。彼の側にいれば些細なことでもつい笑みが零れてしまう。会えるだけで幸せで、待ち合わせに遅れた時には不安で胸が押し潰されそうになった。彼が約束を反故にする人ではないと知っているだけに、事件事故に遭ったようにしか思えなかったのだ。道案内してたんだごめんねと謝った彼はこちらを見返して、自分がどんな顔をしていたか不明だが焦って平謝りして。トラウマを刺激されたのは事実だが、理由さえ分かってしまえばむしろ傷が癒された気がした。宥めるように触れた手の温もりが今でも忘れられない。
 胸の前にある手のひらは白くて小さくて心許なかった。それでもこの手に斧を握り込み、ナイトメアに打ち込んだ時の感触が生々しく残っている。跡形も無くなるまで何度も何度も繰り返し執拗に叩いた。その発端は仲間が傷付けられたことだったが、怒りや悲しみが沸き起こった訳ではなかった。ただ、刃を振り下ろす瞬間に息を殺し、喉の奥から短く声が漏れ出る。
 ――嫌だ。あんなモノが世界に蔓延っているのも、未練がましく奇跡を信じたい私自身も全て消えてしまえばいい。壊れてしまえばいい。私には必要のないものだ。
 内に逆巻く激情は表情筋と声帯が覆い隠した。饒舌なタイプではないとはいえ、それまで普通に意思疎通出来ていた人間が薄皮一枚程度の感情すら削ぎ落とし、機械的な――しかしそう言い切るには残虐な振る舞いを目にした人がどう思うかなんて想像に難くない。あの少女が怯えていたのも当然だ。しかしその状態からよく倒し損ねた敵の攻撃に気付き、庇いに行けたものだと他人事のように思う。少女は歳も背格好も近いからと作戦会議の時に話しかけてきた。煩わしく思わないが、過去を追求しない暗黙の了解を破るのではと危惧はあった。今はこれで良かったと思える。
 ゆっくりと身体の具合を確かめながら床に並べられた靴を履き、立ち上がった。胸元のブローチへと手を滑らせる。青い鳥は理由も告げずにフィオナの前からいなくなった。きっと戻って来ない。それでも、これだけは片時も手放せずにいる。物が自らの意思で消えることは絶対有り得ないから。
 かつてフィオナは灯りを一つ持っていた。幾つもに分岐した道の遥か先まで見通すことは出来ないけれど、足元を照らすには充分でそれを頼りに少しずつ前へ進む。行く先々にも弱い光が灯っていて、手を伸ばせば温もりが感じられた。いつしか手の中の明るさは増していって、しかしある日突然降り注いだ土砂降りの雨に光という光が全て掻き消された。ずぶ濡れになって身体は震え、歯がガチガチ音を立てる。何処かで休もうにも見えるのは目の前だけで雨雲が流れる方向へと歩き出す以外の考えを持てなかった。進んで進んで感覚が麻痺した頃になって再び光が心を貫く。最初は逃げようとも考えた。それでも久し振りに感じる温かさを無視出来ずに触れて自分も誰かの光になれると知る。
 ――知るというのは残酷だ。他人と関わって初めて己の価値が判る。鏡を見て知っていた自分の顔に美醜という評価が生まれる。備え付けのキャビネットの上に花瓶と鏡が並んでいた。覗き込めば薄紫色の髪がさらさらと流れて、青色の瞳と目が合う。
 仲間を喪わなかった結果を思うと唇の端が僅かに上がって笑みの形になる。たった一つの拠り所を未練がましく思い出せば頭が傾き、潜めた眉が前髪に隠れた。感情はまだ自らの内にあり、顔や声にも表れる。それを自覚する。
(全部、元に戻っただけじゃない)
 この世界に来たばかりの頃と変わらない。一人きりで他人と深く交わる気もなくて、いつか必ず平等に訪れる死という名の終焉を見届けるのが望みだ。目の前でいっときでも行動を共にする誰かが傷付くくらいなら自分の命を明け渡すことも厭わない。だって復讐は生きる理由にはならないし、恋人との再会は願っても叶いっこないのだ。
 黒々とした何かを飲み込んでも只積み重なるだけ。絶望の後の希望の眩しさも、希望の後の絶望の自分の存在すらあやふやになる暗さも。全て心を苛み続ける。
 無意識に伸びた手が首筋を撫でて滑り落ちた。背骨を真っ直ぐ伸ばし、フィオナは瞑目して苦痛に喘ぐ息を押し殺すと再び瞳を開く。自分自身かナイトメアか。朽ちる日までまだ止まらない。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
フィオナさんは内面的に色々複雑なところがあると思うので、
それを上手く表現出来ているかどうか判りませんが、
自分なりに感じ取ったイメージを元に書いてみたつもりです。
恋人さんと再会出来る日がくればいいなと願いつつ。
今回は本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2019年05月21日

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