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『The Beyond One』
満月・美華8686


 地の底で微睡む、怠惰なる肥満体。それを思わせる有り様ではあった。
 巨大に肥え太った胴体から、今や脂肪の塊でしかない四肢がだらしなく分岐し、床に投げ出されている。
 そんな無様な巨体を、満月美華(8686)は魔法陣の上に横たえていた。
 満月邸の、地下。
 祖父が、特に危険な黒魔法を行使する際に用いていた、広大な実験室である。
 ここで寝たきりの生活を始めたのは、数日前。その時はまだ辛うじて、階段の上り下りが出来る身体であった。
 今は無理だ。全身の筋肉が全て、脂肪に変わってしまったかのようである。指を動かすだけで凄まじいカロリ一を消耗するが、痩せるわけではない。
 むしろ肥え太ってゆく一方であった。
 山の如く膨らんだ腹の中で、加速度的に命が増殖してゆく。
 その増殖速度を少しでも遅らせるための、魔法陣である。
「おかあ……さん……」
 声を発する。それだけでも、凄まじい重労働である。
 この非力な巨体の中へ、母を迎え入れた。
 まるでそれが何かのスイッチになってしまったかのように、命の増殖が日々勢いを増している。こんな魔法陣が必要となるほどにだ。
 結界で守られた大型魔法陣の中央に、美華の巨大な肥満体が横たわっている。
 その周囲に、メイドたちの残骸が散乱していた。
 もはや起き上がる事も出来ぬ身体の世話を、美華は彼女たちに一任していたのだが、何体かを腹部の膨脹で押し潰してしまったのだ。
 ただ寝転んでいるだけで、近付くもの全てを破壊する肥満体。
 違う、と美華は思った。自分は、地の底で微睡む、あの怠惰な神などではない。もっと禍々しい何かだ。
 一にして全、全にして一。混沌に浮かび、触れるものに破滅をもたらす醜悪なる肉塊。
 おぞましさにおいて、自分はあれに近いのではないか。
 思いつつ美華は、筋肉が脂肪に押し潰されかけた右腕を、ゆっくりと無理矢理に動かした。
 五指、と言うより5方向に分かれた無様な肉塊である右手で、巨大な腹をそっと撫でる。
 癒しの魔力を、胎内に流し込む。暴れるように殖え続ける無数の命を、落ち着かせるために。
 気休めにしかならない、のであっても、今の自分に出来る事はそれだけだ。指を動かすのが億劫でも、これだけは出来る。
 反対側に投げ出された左手は、太いだけの弱々しい五指で書物を1冊、辛うじて保持している。
 祖父の遺品である、その書物が、淡い光を発していた。
 その輝きが、強さと禍々しさを増してゆく。
「…………おかあさん……」
 すがるように、美華は呼びかけた。
 来た、と美華は感じた。契約の最終段階。
 千の仔を孕む。
 今、その時が来たのだ。
「たすけて……」
 書物の発光に合わせて、腹が、さらに巨大に膨れ上がってゆく。胴体が破裂しそうなほどに。
 破裂はしない。それが、美華にはわかる。
 自分はただ「千の仔を孕む」だけだ。
 そのためだけに存在する生命体へと、変わってゆくのだ。
 そして、それはもはや満月美華ではない。
『違うわ。千の仔を孕む、それこそがまさに貴女よ満月美華』
 誰かが笑っている。禍々しく光り輝く、書物の中で。
『お前が、死にたくないと願い続けた結果。いくら失われても決して尽きる事のない命を、浅ましく求め続けた結果。おめでとう満月美華、お前は千の仔を孕む事で永遠の存在となる! この宇宙が滅び果てても、お前は消えない。その醜く無様な姿を虚空に晒し続けるのよ!』
 美華はもはや聞かず、助けを求め続けた。
「たすけて……おかあさん……」
『いいえ、母はお前よ満月美華! お前の孕んだ千の仔たちが、新たなる宇宙を創ってゆくの。ああ、どれほど無様で滑稽な世界が出来上がるものかしらねえ! くふっ、あっはははははは!』
「……笑い過ぎよ、貴女」
 声がした。
「死にたくないと願うのは、人として当然あるべき様……それを高みから見下ろし嘲笑う事は、私が許さない」
 笑い声が、絶叫に変わった。断末魔の叫び、であろうか。
 書物から、光が失せてゆく。
 禍々しく光り輝いていたものが、何者かに抜き取られてゆく、と美華は感じた。
 その何者かが、横たわる美華を見下ろし、佇んでいる。
 優美な人影。
 その肩に、1羽の鳥が止まっている。鳩か、鴉か。
 ぼんやり見上げたまま、美華は弱々しい声をかけた。
「……おかあ……さん……」
 応えるように鳥が啼く。美しい声だった。
 たおやかな手で、その鳥をそっと撫でながら、優美な人影は言った。
「彼女はね、あの邪神の中で、力の中核に近いところを成していたのよ。貴女がそれを抜き取ってくれたおかげで、ようやく私の力でも邪神を封印する事が出来た……ありがとう。お手柄だったわね、満月美華」
 あの邪神を一体どこに封印したのか、それを彼女は教えてくれなかった。
「ともかく貴女は『千の仔を孕む』運命から、取りあえずは解放されたわ。その身体も、自力で歩ける程度にまでは戻るでしょう。完全に元に戻るかどうかは、貴女次第ね」
 鳥が、美華の巨大な腹にぱたぱたと降り立ち、一声啼いた。
 ダイエットをしろ、と言われた気分に美華はなった。
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年05月27日

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