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『砂袋の救世主 』
アイリスla2888

 人類は敗北した。
 おぞましき侵略者共によって、人類は家畜へと成り下がった。
 人の営みを保っているのは、ほんの一握り。それも侵略者共の観賞用として、飼育箱に入れられているのみ。
 残った文明も、侵略者共が有用と思ったもの、興味を持ったものだけだ。
 
 ――工場の連中も、飼育箱の連中も、最早救えまい。
 もう人類という種族を救うことなど、叶うまい。

 それでもアイリス(la2888)はまだ、この世界で侵略者と戦っていた。
 何の為? ほんのわずかに営まれている『叛逆者』達の家族を守る為だ。

「――っ」

 眼帯をずらし、呪われた眼を解放する。
 煌々と不気味に輝く目は、相手の死を見る目。
 相対する異形の急所を一瞬で見抜き、影より抜刀する真白き大剣をそこに突き立てる。
 異形の悲鳴。
 剣を引き抜けば、返り血がアイリスの銀の髪を汚した。

 振り返り様にアイリスは剣を投擲する。また一体を屠り、再度影より深紅の双剣を抜き放った。飛びかかって来た異形の一撃をそれで受け止め、往なし、断頭する。

 瞬く間の殺戮劇であった。

 アイリスの手の中の剣は、闇に溶けて消える。
 息の乱れもないまま、アイリスは周囲を見渡した。もう胡乱な影はない。眼帯を元に戻す。
 このゴーストタウンは、侵略者の管理外にある人間――叛逆者達が隠れ住んでいるエリアだ。
 アイリスはまるで逃げるように、足早にその場を後にする。

 叛逆者にとって、明確に侵略者へ敵対するアイリスは忌避すべき存在だった。
 もはや自分達に戦う力がないことを理解している生存者にとって、侵略者を殺して『刺激』するアイリスの行動は――迷惑だったのだ。
 生存者らは、バレないように穏やかにヒッソリと暮らしたい。なのにアイリスが侵略者を殺して回れば、それだけ生存者へ向く侵略者の目も厳しくなるのだから。

 同様に――
 家畜や愛玩用人間も、その心は侵略者共の調教の賜物によって、すっかり侵略者に心酔し、崇拝している。彼らは人間なれど、人類の敵と成り果てていた。

 つまり――この世界にはもう、アイリスの味方はいないのだ。
 人類からも、侵略者からも、アイリスは疎まれ、蔑まれた。
 アイリスの「人を救いたい」という願いが誰かに届くことはなく、理解されることもなかった。
 いつしかアイリスは『魔王』と形容され、世界中から命を狙われる存在になっていた。
 アイリスは、全てにとっての『敵』だった。

 かれこれ何年、アイリスは人間と人間らしい会話をしていないだろうか。
 もう笑うことも泣くことも怒ることもなくなった。
 全ての情動は渇き果て、心には空虚と諦念だけが残った。
 魔王、世界の敵、そう判断されることにも、何も思わない。
 むしろ人々がそう願うならばと、そのように振舞い始めてすらいたのだ。

 ――きっと、立ち止まってしまった方が楽なのだろうに。
 もう、立ち止まる方法すらも分からなくなった。
 正義も何もない世界だ。成すことやること、全てが否定される世界だ。

 なのに、アイリスは立ち止まれないのだ――不眠不休の日々、やつれた顔に、汚れた服。

 ……そんなある日の出来事だった。

 廃墟の影、アイリスが浅い眠りでわずかな休息を行っている時。
 足音が聞こえて、彼女は反射的に飛び起き、剣を手に取った。
 睨ねつける切っ先――そこにいたのは、人間。擬態した侵略者でもない。本物の人間だ。少女である。
「こっち……水と食べ物と、安全に眠れる場所……」
 少女はそう言って、アイリスを手招いた。訝しむアイリスに、少女は「私達は貴方の味方」と微笑んだ。
 アイリスは逡巡する。そして――「わかった」と剣を消したのだった。

 ――心の奥では、薄々、勘付いていたのかもしれない。
 これは罠だ、と。
 そして。
 やはり、案の定だった。

 人間達が、アイリスを取り囲んだ。

「今だ!」「捕まえろ!」
 頭めがけて振り下ろされた鉄パイプを――アイリスは、見切ってはいたがかわさなかった。
 鈍い衝撃に視界が揺らぐ。大人達が寄ってたかって、アイリスを踏みつける。のしかかる。髪を引っ張る。その手を縛り上げる。

「……、」

 やろうと思えば、『やれた』。
 でも、アイリスにはできなかった。
 相手は人間だ――殺すことも、傷付けることも、できない。

 棒を振り上げ「死ね、魔王!」と罵る者の中には、あの少女もいた。
 ハナからそういう作戦だったのだろう。
 警戒心を解きやすい姿の者が接触する。味方だよ、なんて言葉はただの嘘。
 平穏を脅かす魔王を、殺す為だけの戦略だ。

 アイリスは殴られ、蹴られ、踏まれ、寄って集って、穢された。
 全ての抑圧、全ての鬱憤の捌け口にされた。
 あらゆる獣性を以て、人々はアイリスを制裁した。
 そこには正義があった。魔王を罰するパブリックな絶対性!

 不運にも、アイリスの丈夫さが災いした。
 黙したままの無抵抗さが余計に人々の感情に油を注いだ。
 制裁は長く長く続いた。
 水も食料も与えられず、アイリスは弱り果てていった。

 ……何日経っただろうか。

 アイリスは髪を引っ張られ、地面を引きずられていた。
 霞んだ視界、見えたのは、斧を持った男だ。周囲には人々が集まっている。
 これから何をされるのか、アイリスは察した。
 疲れ、諦め、アイリスは目を閉じる。
 引きずられるのが止まった。
 押さえつけられる感触があった。

「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」

 人々が熱狂する。
 そうして斧は振り上げられた。

 アイリスは首に痛みを感じ、落下する心地を感じ、そして、全てが真っ暗になる。



『了』




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アイリス(la2888)/女/18歳/放浪者
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2019年05月28日

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