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『雨の日の契り 』
ティアンシェ=ロゼアマネルka3394)&イブリス・アリアka3359

 雨の匂いが嗅覚を満たす。
 降り注ぐ雫は髪を濡らし、一部は頬を伝って首筋から落ちていく。
 雨に濡れる事を気にする思惟などイブリス・アリア(ka3359)にはない、空を見上げれば濃い灰色が作る曇天で、彼方で鳴る雷鳴が空を一瞬だけ照らし出す。
 視線を落とすと小さく見える神の家のシンボル、それに気を惹かれて、でも理由などイブリスにはわからなかった。

 水たまりを蹴って敷地に入る、礼拝堂の扉を押し開けて中に入れば、居住区に続くドアからぱたぱたと足音がした。
 ドアを開けて、苺色の瞳が見開かれるのはどのような驚きからだろうか。ティアンシェ=ロゼアマネル(ka3394)という少女の思考に考えをめぐらせれば、思い浮かぶ愛らしさにイブリスの口元がふっと緩む。
「気が向いたから来た」
 あんまりといえばあんまりな言い分、悠とした振る舞いを崩さないイブリスを前に、ティアはわたわたと何かを探す素振りをする。
『す、少し待ってください、です』
 スケッチブックに走り書きしたそれを掲げると、恐らくは拭くものを取りにドアの奥へと引っ込んだ。
 再びの足音と共にタオルを抱えた少女が駆けてくる、渡されたそれに礼を告げ、とりあえずは未だ水を滴らせている髪を拭った。
『こんな天気で災難でした、ね』
 我が事のようにしょんぼりした顔を見せられると少し困る。
 傘がなかった訳じゃない、ただ、濡れる事に興味がなかったのだ。
 水を吸った装束をベンチにかけ、張り付いた肌着を脱ぎ去る。神の家で肌を見せるのは不埒であるなどという考えは浮かぶ事なく、薄く濡れた上半身にタオルをあてがった。
「……っ!! ……!」
 やたらと主張の強い気配に視線を向ければ、視線を思いっきり背けたティアがスケッチブックで視線の壁を作っている。
 何を恥じらっているのかよくわからない――いや少しだけわかっている――から目の前まで近づき、イブリスはスケッチブックの後ろを回り込むようにして覗き込んだ。
「……!!!」
 今はダメ、と主張したいのだろうが声がないので通じるはずもない。逃げられたからというそれだけの理由で視線を追いかければ、面白いくらいに少女の顔が恥じらいに染まる。
 逃げたがっているのに、目の前まで来れば視線を向けてしまう、でも男の体を直視する勇気など彼女にはなかったから、見てませんとばかりに視線を逸らすのだ。
 数秒ほどの攻防の後、からかいすぎたので少し離してやる、いつの間にか喉を鳴らして笑う自分に気づき、ふと考え込んだ。

 自分はこんなにも良く笑う人種だっただろうか。
 記憶を辿っても、そのような覚えは殆どない。わだかまっていた気持ちの多くは退屈の色をしていて、顔は勝手に仏頂面になり、眉間には皺が寄っていた。
 視線を戻せばあどけない少女の顔がきょとんと自分を見つめ返している、恥じらいはもういいのだろうか、その顔の横に指を差し込むと華奢な体が緊張で竦んだ。
 指先で払えばピンクから始まり、銀色で終わる髪がさらさらと揺れる。指を回せば幾筋かがくるくると巻き取られた。
 自分は彼女をどう思っているのか、愛らしいと思った、始めに抱いた気持ちは童女に対するそれに似て、深く触れ合うと彼女は少し背伸びをし始めて、少女だと主張するようになった。
 その時にいくらかの愉悦と興味が芽生えたのだろう、愛らしいと思う気持ちは変わらぬまま、眺め続ける事に居心地の良さを抱くようになった。

 イブリスが今まで生きて来たのは約束を果たすためだ、それはハンターになる前からそうであって、今この瞬間だって変わらない。
 その生き方はまだ少し続くけど、終わりはもう見えようとしていた。
 鎖は直に外れる、解き放たれた先で、果たして自分はどこへと向かえばいいのだろう。

 少女に近づけば慣れ親しんだ匂いが嗅覚をくすぐる、来た時と同様に気を惹かれて、でもイブリスには理由などわからないのだ。
 彼女をどう思っているか、思考の中にもう一度問いかけが生まれた。
 気に入っている。始まりがそうだったから、おもちゃに向けて抱いていた気持ちは、果たして友人としてのそれに届くようになっているのかどうか。
 大切に思っている。それは家族のように似たそれか、それとも一人の女としてなのか。

 『お嬢ちゃん』よりも近くなって、触れ合った彼女を『ティア』と呼ぶ。
 吐息と共にティアの頬は赤く色づいて、覗き込んだ瞳は自分を見つめて潤んでいた。

 疑問に答えを出すには足りないものがある。
 触れること、問いかけること、感じる事、いずれにせよ彼女が必要で、確かめようと決めた思考は、必要としたものに躊躇なく手を伸ばす。
 こんな至近距離で男といるなんて、食えと言ってるようなもの。
 顎を掴み、喰むような口づけをする。それしか知らぬとばかりに、思ったままを口にした。

「ティア、俺のモノになれ」

 …………。

 イブリスさんが来てくれた、とか、雨に濡れて風邪をひかないだろうか、とか、そんな事を考えながらそわそわと彼が身だしなみを整えるのを待った。
 烟るような色合いの銀髪は雨に濡れていても綺麗で、窓からの光を受けてきらきらと輝いている。精悍な眼差しは向けられるとどきっとするけど、今は何かを考え込むかのように虚空を見つめていた。
 今なら自分の方を向かれてないから、ちらちらと視線を送る事も出来る。
 直視なんて出来るはずがない、鍛え上げられた体は傷だらけだったけれど綺麗で、たくましくて、こっそり覗き見ては好きとか綺麗とか、溢れる気持ちが吐息として漏れ出してしまう。

 油断していたと言われても、他にどうしようもなかったと思う。
 イブリスさんがこっちを向いただけでティアは普通じゃなくなるし、距離が近づいただけでも思考は数秒停止してしまう。
 近いな、とか、間近で見ても綺麗だな、とか思って。
 重ねられた唇の感触と、その後言われた言葉に、数十秒ほど理解が追いつかなかった。

 彼からの口づけなんて夢みたいだと思ったし、その後の言葉に至っては幻聴じゃないかとすら思った。
 俺のモノになれだなんて。
 まさか、イブリスさんが、そんな。
 でも落ち着いて響く声色は何度だって思い返す事が出来て、その度に告げられた言葉が脳内で繰り返される。
「――――……!!!?!?!」
 驚愕と、混乱と、羞恥。ようやく現実を理解しても思考は動かなくて、喉は息を呑むだけで声なんて出てこない。
 そんな都合のいい事なんてあるはずがないって思ったし、まるで自分の妄想が形になったかのようで恥ずかしかった。
 でも思い返される記憶は何度だって真実で。
 じゃあきっとからかわれてるか、裏があるのだ。からかってるなら引っかかりませんよと決心して、ティアは真っ赤になりながらイブリスさんに向き合った。

 向き合うだけで随分と勇気を必要としたけれど、彼の視線と向き合うだけでなけなしの勇気は更に目減りしていく。
 悪戯げに細められる視線、上がる口角や、鳴らされる喉を探そうと思ったけれど、そんなものどこにも見当たらない。
 眼差しはいつもより気持ち重く、冗談の効かない気配でティアの事を捕らえている。口角に笑みはなく、真剣さも相まってどこか戦いの様子を思わせたけれど、ほんの少し残された隙間が彼の優しさを現しているようで、色んな事がすとんと胸に落ちた。
 冗談じゃないし、からかっている訳でもない、彼の言葉はどこまでも本当だ。

 腑に落ちると再び恥ずかしさがぶり返してきた、自分の鼓動が耳にまで響いてしまう。
 真摯に答えないといけないと思って、落ち着くためにも一度大きく呼吸した。
 彼に伝える思いなら数えきれないくらいにあるのに、彼の言葉に返すものとなればどうしてこうも慌ててしまうのか。
「――――……」
 言葉がないのが苦しくて、せめて厭うている訳じゃない事だけは伝えたくて、両手で彼の手を包み込んだ。
 ――私の気持ちはこの人と共にあるの。
 決意を込めてイブリスさんを見上げれば、難しい事なんて考える必要もなく、素直な気持ちが溢れ出た。
 ――この人が好き、どうしようもないくらい、大好き。
 思いは募る一方で、もう恋という形にすら収まりきれない。

 喉が震えるけれどティアには声を出す事が出来なくて、だから握った手に力をこめると、彼を強く見つめてこくこくと頷きを繰り返した。
(……なります、なりたいの、です。)
 声がない事には変わりない、だから伝えられているかどうか不安で、すごくもどかしくて、しょんぼりとしそうになるのを奮い立たせて、ティアは彼の手を取る。
 指先を二つ自分の唇に当てて、はっきりとわかるようにして唇の形を作った。
『す』『き』
 彼なら自分の言葉を取りこぼす事はないと思うのだけれど、この言葉は確実にあなたに伝えたかったから、私にはこんな手段しか思いつかない。
 私の声は想いを響かせる事は出来なくて、でもこの言葉だけはスケッチブックじゃなく、自分の口から伝えたかったから。
 溢れるほどの恋心、あなたに届きますように。
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2019年06月03日

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