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『『時季外れのこいのぼり』 』
松本・太一8504

 会社を出て、松本・太一(8504@TK01)はしばらく街を歩く。
 やがて、姿が変わる。
 昔より若く見えるようになったとは言え、五十路間近の中年男性であることは隠せない(そこまでは隠してしまうわけにいかない)。
 しかし今、街を行くのは二十代の美しい女性。
 今の太一は中年サラリーマンではない。新米の魔女、夜宵だった。

「えっ……」
 太一は、以前と様変わりした部屋に息を呑む。
 先輩魔女が営む美容院の奥。先輩が魔女としての本領を発揮する領域。太一もしばしば「弄られて」きた場所。
 そこは今、何もかもが取り払われて、中央に水をたたえた空間と化していた。
「この前の長い連休に旅行していたら、あちこちでこいのぼりを見かけたの」
 先輩魔女は背後から太一へと言う。
「人魚は珍しくないけれど、鯉の人魚はあまり見ないでしょ? 夜宵ちゃんに施術してあげたいなと思って、準備ができたのがやっと昨日」
 言いながら、彼女は太一を――夜宵を柔らかく撫でさする。すでにうら若き魔女の姿をしていた太一の身体から力が抜けていき、倒れ込むのを先輩がそっと抱き留めた。
 前ふり的な事情説明、意思確認の拒否権、そんなものありはしない。
(いや、今のこれは一応事前説明と言えるのかも……)
『呼びつけて逃げられもしない状態にしてからじゃ、「事前」も何もあったものではないでしょ』
 太一の中にいる女悪魔が、呆れ気味に突っ込んだ。

 一糸まとわぬ裸体とされ、太一は下半身を水の中に浸けられる。太一は、意識や感覚ははっきりしているし話すことはできるものの、首から下は指一本動かせない。ただ、全身が沈んでしまわないように、置かれ方には配慮がなされていた。
 先輩魔女は、表向きは美容師にして、“特殊”メイクアップアーティストとしても知られている。世間一般で問題なく使える「普通の技術」を用いる前に、ここで「自前の技術」を駆使して理想形を確認しておくのが彼女のやり方。
「気を楽にしてね」
「それはちょっと難しいです……」
 澄んだソプラノで太一は応じた。太一が本来は五十歳間近のサラリーマンだなどと、今の声を聞いて推測する者は皆無だろう。声自体もだが、しゃべり方自体が柔らかい。元より穏やかな話し方をする男性ではあったが、こんな身になってからはますます嫋やかさのようなものが備わっている。

「じゃ、始めましょうか」
 羽のように軽く、先輩魔女が太一の胸を一撫でした。
「あ……」
 白いきめ細やかな肌を覆って、色鮮やかな赤い鱗が二つの半球の下三分の二を包んでいく。緋鯉ということか。
 鱗の浸食はその下まで続いていく。胸から腰、さらにその少し下まで、隈なく艶めかしい緋の鱗が包み込んだ。天井からの光に反射して、輝きを放つ。
 そこで皮膚の変化はいったん止まる。
 どうしたのかと自分の下半身に目を向けていると、足とお尻からむず痒いような感覚が生じ始めた。
 足が縮んでいく。
 尾てい骨から何かが伸びていく。尻尾――いや、尾びれを含む尾だ。
 魚の下半身に存在しない器官が消滅していき、代わりに尾が発達していく。太一の……夜宵の下半身は、高速で進化の歴史をたどり直し、新たな道筋へ進んでいった。
 両足が小さなひれへと変化し、入れ違いに二股の尾びれを先端に持つ尾がぐんぐんと成長していった。失われた足と同じくらいの長さまで伸びる。
 赤い鯉の下半身を持つ、人間とほぼ同じ体長の人魚。それが今の太一の姿だ。
「名前を付けて保存。……じゃあ動いてみて」
 先輩魔女の言葉で封印が解かれたように(「ように」と言うか、実際に解かれたのだろう)、太一は身体を動かせるようになった。
 下半身を左右にくねらせる。水中で尾びれが力強く水を捉えるのを感じた。水面を大きく盛り上げるほどの勢いがある。
「すごく泳ぎやすそうですね」
 この身体で泳いだら気持ちよさそう、と想像すると声が弾む。
『あらあら、現金なこと』

「あ、間違えた」
 太一の動きを動画で記録していた先輩魔女が、不意に言った。
「どうしたんですか?」
「いや、後で普通に特殊メイクで再現することを思い出して」
『ああ』
 納得した様子の女悪魔だが、太一はまだよくわからない。
「そうなると尾びれの形は魚型じゃなくてイルカ型にするしかないかー。まあ、そこはやむを得ないアレンジということで」
 言いながら、太一に近寄り一撫でする。
 動きが止まった太一の下半身が改めて人間のそれに戻っていった。尾びれが体内に吸い込まれていき、小さなひれが小さい足と長い脚と豊かな太ももへと進化していく。
 そこから、再び変化が始まった。
 二本の足が吸い寄せられるように合わさり、癒着する。
 そして足自体が尾へと変わっていった。
 足首から先が尾びれに形を変えていく。先ほどまでと違い、前後ではなく左右に広がる二股の尾びれ。
 足より上の部分では、太ももやふくらはぎの感覚を残したまま、それらが尾になっていく。
 表面を改めて赤い鱗が覆っていくが、同じ下半身の魚体化ではあるものの先ほどまでの変化とはずいぶん感触が違うものになっていた。
「動いてみて。それはそれで、まあ泳げるはずだから」
 太一が自分で動けるようになる。
 膝や足首だった部分を強く意識するような動き。左右ではなく、前後に下半身を動かすことになる。
「あ……人間の骨格を活かすにはこうするしかないんですね」
「そういうこと。鯉の人魚としては再現性に乏しくなるんだけどね」
 先輩魔女が残念そうに言った。
「でも、そこまで気にする人はあまりいないと思います」
「そうなんだけどさ、作るこっちとしてはそういう細部へのこだわりが一番やりたいことなわけよ。でないなら、適当な『魚っぽく』見える下半身でごまかせば済んじゃうわけだし」
 やや悔しげに頭をかき、先輩魔女は太一を見た。
「……別のところで再現性を少しは高めようかしら」
 言いながら、喉を撫で、さらに唇と鼻の間も一撫で。
 変化はすぐに反映されて。
 喉の両脇に鰓が生じた。肺はそのままなので呼吸困難になることはないが、太一は不思議な居心地の悪さを感じる。水の中が恋しくなるような感覚。
 そしてもう一つ。
「これは……すごく鯉っぽいですね」
 ヒゲが口の端から生えていた。


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【8504@TK01/松本・太一/男性/48歳/会社員・魔女】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 お久しぶりです。このたびもありがとうございます。
 怪奇幻想・官能的というご要望にどれだけお応えできたでしょうか。また今回の「施術士(“特殊”メイクアップアーティスト)」ですが、以前の『ハロウィンの竜妃』の先輩魔女という解釈で書きました。これらにご不満がございましたら、お手数かけて申し訳ございませんがリテイクをお願いいたします。
東京怪談ノベル(シングル) -
茶務夏 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年06月04日

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