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『■Un bel di,vedremo 』
ユキナ・ディールスla1795)&ケイ・リヒャルトla0743




 そこは、彼女の『領域』だった。

 柔らかな白の調度で統一された、まっさらなキャンバスを思わせる部屋。
 落ち着くような、落ち着かないような、不思議な空気に包まれる場所。
 不安定な間を繋ぐように――あるいは、自分の所在を確かめるように――知らずとユキナ・ディールス(la1795)は、胸元を彩るネックレスに触れた。
 何故か温かくて、それでいて冷たくもある、相反する不思議な感覚を帯びた琉球ガラス。
(……まるで、ケイさんみたい……)
 ふっと、そんな事をユキナは思った。
(でも、これは似て異なるモノ。ケイさんは逆に、冷たい振りをする温かさを感じる……)
 感情の表面で揺らぐ不可解なさざ波を覚えながら、静かに瞳を閉じていると。
「お待たせしたかしら」
 耳に心地よい声と共に、ふわりと紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。
 目を開けると、部屋とは対照的な黒の主――ケイ・リヒャルト(la0743)が運んできたトレーをテーブルに置いた。
 手慣れた所作で小さな苺ケーキが乗った皿やシュガーポットを並べ、空のカップにティーポットの紅茶を注ぐ。
 そのケイの胸元でも、ネックレスの琉球ガラスが暖かな午後の日差しを反射していた。
 形はユキナの物とそう変わらないお揃いだが、通して映る光が微妙に違って見えるのはガラスの個体差だけだろうか。
 この琉球グラスの様に、綺麗な色で出来ている女性。
(でも何時か……今この瞬間にも、壊れそうな色……)
 返す光は常に移り変わって、視線を捉えて放さない。
(私は未だ、ケイさんの事を知らない。だから……知りたい)
「どうしたの。じーっと見つめて」
 猫を思わせる緑の瞳を細め、くすりとケイが小さく笑った。
 声をかけられてハッと我に返ったユキナは、返答に迷うように触れていた琉球ガラスへ目を落とす。
「あの……すみません」
「ふふっ。ケーキがお気に召さないのかと、心配したわ」
「そんな事、ないですっ。いただきますね」
 おもむろにティーカップを取り、立ち上る香りを確かめてから口へ運ぶ。
 そのユキナの仕草を、静かにケイは見守っていた。

 時おり、表情の変化の乏しさからは想像できないような強い色を宿すユキナの黒い瞳。
 それは多彩な色をみせる、琉球ガラスの光のようで。
(素直に、色彩豊かに……けれど、穏やかに反射して。とても美しい……)
 カップに手を添えたケイは揺らぐ紅茶の水面、そして自分のネックレスへ、なにげなく視線を移す。
(その反射を受けて……黒いあたしは、どう映るのかしら)
 脳裏をかすめたのは、そんなシニカルな思考。
 自分を覆う『黒』はどれだけ強い光に照らされても色を返さず、ぽっかりと飲み込んでしまう。
 しかしある種の熱を帯びてケイを見るユキナの瞳は、そんな自分の中に何かの色を見出しているのだろうか――そんな疑問を抱かせる瞬間が、たびたびある。
「……美味しいです、ケイさん。紅茶もケーキも」
 漠然と彷徨う思考を引き戻したのは、純粋な賛辞。
 お世辞ではないと一目で分かる瞳の輝きに、自然とケイも小さく笑んだ。
「そう。口に合って、良かったわ」
「そんな……どのお菓子も、いつも美味しいですよ」
 控え目な笑顔でも、言葉と眼差しに一切の曇りはない。
 ただただ、真っ直ぐで……強くて柔らかな光。
「……あの」
 緩やかな空気の中で、遠慮がちにユキナが口を開いた。
「……ケイさん、何か歌って下さいと、お願いしても良いですか?」

 思い切って、そう切り出してみる。
 ケーキと紅茶を楽しみながら、穏やかに時を過ごすのも嫌いではないけれど。
 せっかく一緒にいるのなら、ユキナはケイの声が聞きたかった。
 会話する時でも、不思議な感覚のする声。
(それが歌であれば、どうなるだろう……。以前、ケイさんは音楽が……歌が大切だと言っていたけど……)
 それが、ぶしつけな我がままだと分かってはいるけれど。
 突然のユキナの頼みにケイは僅かに瞳を見開き、そして微笑んだ。
「リクエストなんて、光栄ね」
「……いいんですか?」
「もちろん。ユキナが聴いてくれるのならば……」
 するりと影が滑るように、黒髪を揺らしたケイが音もなく椅子から立ち上がった。
 軽く呼吸を整え、背筋を伸ばし、それでいて気取った仕草でもない。
 自然な所作の一つ一つが、既にユキナの目を捉えて離さず。
 そして長い睫毛を伏せ、黒衣の歌姫は旋律を紡ぐ。

  其れは薄暮に佇む、仄かな月の色を思わせ。
  闇に閉ざされる前に、何処かへ手を伸ばす。
  謡う姿は、囚われし鳥籠からの自由を求めるているようで。
  あるいは、眩む星を手にしようと欲するようで。

 届かぬ渇望を思わせる歌声は、聴く者からしばし息をする事すら忘れさせ。
(綺麗な声……これが、ケイさんの色の内の、一色……)
 透明で、強くて、少しの哀しみを含む声。
(歌が、魂が、深く、深くに私に響いて離れない……だから聞いていると、こんなにも満たされる気持ちになるんだろうか……)
 微動だにせず、ユキナは歌声を聴く。

(そう、ね。音楽は。歌は。あたしにとっては魂。唯一の色彩を持つもの、かもしれない)
 物心ついた頃からケイにとって歌う事は生活の糧であり……けれど、心の糧でもあった。
 今でも歌は、彼女の魂であり。
 彼女を模る何か、であり。
 彼女を構成する要因……そして、何より。
(あたし。自身)
 目の前には、たった一人の観客。だからこそ、今は。
(ユキナに……ユキナの為だけに。心の隅で良い。届くように……響くように……)
 ――そう。
 ケイ・リヒャルトという名の、他の何者でもない自分の存在を、記憶へ、魂へ刻むように。
 ただ、たった一人の為に歌う――。




「ケイさんは、如何して歌を……?」
 歌への賛辞と、他愛もない会話と、いくらかの沈黙の後。
 躊躇を抱えていたユキナが、やっと胸に秘めていた問いを切り出した。
 むろんユキナの側からは違う感覚かもしれないが、少なくともケイにはそう思える程の真摯な表情を伴って。
 だから打ち明けてくれた事への礼をケイは笑みの形で返し、僅かに小首を傾げる。
「失礼だとは思いましたが、ケイさんは何時から音楽を……そして歌を始めたのかを。聞きたいんです」
 どこまでも『色のない黒』に、触れようとする光。
 自身が『黒』で埋め尽くされる可能性を、考える事すらしない鮮烈な色。
 常に真っ直ぐで変わらぬ目映さに、ケイは緑い瞳を僅かに細めた。

「物心ついた時から、かしら。ただ、生きていく為にね……色々な酒場を中心に、『見世物』として転々と」
 静かな語り口さえ、まるで歌の一節のよう。
 そんな印象を抱きながら、ユキナは目の前の『歌姫』を見つめる。
 彼女の声は、誰にでも何にでも響く魂だと、ユキナは思う。
 言葉を交わし、話を聞いて、一緒にお茶を楽しんで、揃いのネックレスを身に着けて。
 そうして幾らか距離が縮まったとしても、『彼女』を理解したとは露ほども思えない……底知れぬ深淵を覗くような、感覚。
 だからこそ、なのか。
 知る程に、更に知りたいという思いが、知らずと強くなっていく。
(ただ……ケイさん自身は、何かで魂を振るわせる事は在るのだろうか?)
 例えば、自身がそうであるように。
 それが自分であるならば、無上の幸いなのだが。
(ケイさんの声の様に、魂を振るわせる声が、そして歌が、この世に存在するだろうか…?)
 これ程までに自分の内側を響かせる存在が、もし彼女自身になかったとしたら。
 それはとても哀しくて、寂しい事だろうとも思う。
(ケイさんは……)
 ユキナはいつの間にか組んでいた指を、きゅっと軽く握り合わせた。
 傍目には、何かを抑えるようにも、あるいは何かに祈るようにも思える仕草。
 その両手にケイはそっと自分の手を重ね、そして脇を通り過ぎた。
 揺れる琉球ガラスの光をユキナは目で追い、再びケイがテーブルを挟んだ椅子へ腰かけるのを見守る。
 細い指がゆるやかに、置かれたままのカップへ触れて。
「……すっかり、冷めてしまったわね。淹れ直した方がいいかしら?」
「あ……」
 歌と会話に集中するあまり、紅茶の温もりなどすっかり忘れていたユキナは慌てて頭を振った。
「私なら、このままでも別に……冷めてしまっても美味しいですから……」
 せっかくの紅茶を無駄にしたくなくて、ユキナはカップを手に取り、口へ運ぶ。
 更に付け加えるなら、部屋に独りきりで残される時間が惜しかった。
 少しでも、ケイの声が聞きたくて。
 彼女の姿を見ていたくて。
 ……それほどに心奪われる理由は、まだユキナ自身にも分からないけれど。
「ケイさんの歌、本当に……素敵でした」
 ふ、と一息ついたユキナは顔を上げ、窓に視線を向ける。
「……何時か、ケイさんの歌に音を重ねてみたいです」
 何が弾けるか、出来る楽器は……まだ、秘密。
 自分の奏でる音が、彼女の歌へ色彩を添えるに相応しいか、不安もあるが。

 遠くへ、願いを託すように。
 窓の外の空を見上げ、小さな声で呟いたユキナの表情は、僅かに微笑んだように思えた。
 淡い光がそよぐような、微かな水の揺らぎのような、小さな笑みではあるが。
「ふふ……その機会、楽しみにしているわ。後から、実は冗談だったなんて言わせないから」
 戯れめいた言葉と共に、でも本当にそんな機会が訪れるなら嬉しい事だとケイは笑みを返した。
 やはりユキナは、自分自身の『黒』を揺さぶる……何時か、何処かで逢った気がする光のようにも思えてくる。
(だから……今は、他愛もない約束を、ひとつ)
 そうやって、ささやかな思い出や小さい約束事を重ねていけば。
 彼女の傍らで愛おしい色は多彩な光を吸収して反射し、穏やかに輝きを変えていくだろうから。

 ――例え『黒』は『黒』のまま、永劫に不変だったとしても。


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2019年06月05日

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