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『わがままの熱 』
藤咲 仁菜aa3237)&リオン クロフォードaa3237hero001

 崩れていく。崩れていく。崩れていく。
 思いきり伸べた手はなにを掴むこともできず。その手に押し詰まった空は怖ろしいばかりに軽く、鋭く、冷たかった。

 藤咲 仁菜(aa3237)は、掌を斬りつける幻痛に苛まれながら地へと墜ちゆく。
 ああ。私はこの痛みを知ってる。
 お父さんとお母さんが死んで、妹が私を助けてくれたあのときの、痛み。
 シベリアで大事なものを喪いかけたあのときの、痛み。
 おかしいね。ここはすごく暑い場所のはずなのに、こんなに寒くて――雪のひとひらを、追いかけてるみたいで――私は――
 唱えるたび、あのときの凍てつく絶望とこのときの煮え立つ絶望が心の内で交錯し、互いを喰らい合って黒き絶望を成す。
 しかし。
 凍えてうずくまること、私は選ばなかったんだ。だから浮かされて叫ぶようなこと、私は選ばない。……こんなふうにただ墜ちて終わっちゃうなんて、絶対に、選ばない!
 仁菜は手を伸べる。思い切りなどではなく、思いを込めて、まっすぐに。
 最後の最後まであきらめないから。あなたを人の世界へ引き戻すこと――愚神になっちゃったらもう、人に戻れないことなんて知ってるけど、でも。もう絶望に凍えるのはいやだから、あきらめてなんてやらない。
 さらに手を伸べ、熱く凍えた空をかきわけて、仁菜は共に墜ちるフレイヤ(az0133)へ向かう。
 そんな仁菜に対し、異形と化した少女の面がかすかにも動くことはなかったが、かまわない。
 だってこれは決意なんかじゃない。覚悟でも正義でも勇気でもない。
「ただのわがままなんだから」
 口を突いてこぼれ落ちた彼女の声音に、リオン クロフォード(aa3237hero001)は声音を重ねた。
『大丈夫だよ、ニーナ』
 まるで仁菜の言葉と噛み合わない、リオンの「大丈夫」だったが。
「うん」
 仁菜は小さくうなずいた。
 彼が込めたただひとつの思いは、彼女の心をやわらかくあたため、そしてやさしく鎮めてくれたから。


 時は戦端が開かれる直前まで遡る――
 フレイヤ討伐戦を前に陣を整えるエージェントたち、その最前に仁菜はいた。
 シャドウルーカー陣や移動を強化したエージェントについていけるはずもなかったが、それでも。一秒でも早くフレイヤへ辿り着きたくて、意識して自らを留めておかなければ勝手に駆け出してしまいそうだ。
『ニーナ、今までとちがうんだからな。それだけ忘れるなよ』
 焦りを高めゆく仁菜へ、リオンは抑えた声音を投げかけた。
 今、仁菜とリオンが背負う小隊の看板は【暁】ならぬ【命】である。
「わかってる」
 命という名に込めた思い、語るつもりはなかった。
 ただ、この戦場において命の重さを計ることになるだろうと、すでに思い知っている。
 だって、そのために私は【暁】を抜けてきたんだから。
【暁】は仁菜にとってはもうひとつの家であり、隊員は兄弟姉妹さながらの存在である。
 乞えばきっと、全員が彼女のために力を尽くしてくれるだろう。逆の立場なら、仁菜はかならずそうする。しかし、だからこそ言えなかった。
 言えるわけ、ないよね。倒さなきゃいけないフレイヤを守りたいなんて。
『カウントダウン、始まってる』
 得物を手に身構え、それぞれが駆け出すべき先を視線でなぞるエージェントたち。
 仁菜は最短でフレイヤへと辿り着く直線を見やり、息を絞る。

 駆け出してしまえば楽になった。
 余計なことを考えている暇などなくなったから。
 押し寄せる従魔とそれを火と鋼と技とをもって押し返すエージェントたち。その狭間をすり抜け、こじ開け、突き抜いて、仁菜はフレイヤを目ざす。
『ニーナ、息を荒くするなよ。そしたらどんどん疲れが溜まる。疲れが溜まったらもっと息が荒くなって、疲れて、足が動かなくなるから』
 主導は仁菜。内のリオンは彼女を言葉とライヴスとでサポートするが。
 仁菜にはもう、誰より近くに在る英雄の支えすら返り見る余裕がなかった。
 フレイヤが遠い。
 それどころかどんどん離れてしまっているようにすら感じられて、だから焦りは膨れ上がり、仁菜は無茶を繰り返すこととなって。
 どろりと赤らんだ汗に塞がれた眼をこすり、仁菜は天を仰いであえぐ。たった二百メートルで、もう体は限界を越えていた。
 それでも彼女は激しく痙攣する両脚へ必死に力を込めて我が身を支え、上向いていた顔を引き下ろす。浅黒く霞み始めた視界の先へと進むがために。
『行かなくちゃ――こんなところで止まってなんてられない――私は――そうでなくちゃ、みんなと別れて来たこと全部、無駄になっちゃう――』
 と。
 彼女へ押し迫る従魔どもの鼻先にフリーガーファウストG3のミサイルが突き立ち、赤く爆ぜた。
 爆炎が赤いなど当然だ。しかし、仁菜とリオンはそこにひとりの男の姿を幻(み)ていた。死地を渡り照らす黎明の光……自らに暁たることを課した優しき猛者を。
 果たして、その爆炎に重ねられた幾重もの攻めが彼女の先を拓き、背を押した。
 こんなのもう、丸わかりじゃない。
 喉を押し詰めた仁菜へ、リオンが低く告げた。
『【暁】のみんなだ』
 従魔殲滅を担う【暁】だ。先陣への支援というばかりのことかもしれない。しかし。
 されば立ち上がって行動せよ。如何なる運命にも勇気をもって――仁菜は置き去ってきたはずの訓示を胸へ刻み、踏み出した。
『私、リオンとふたりぼっちで戦ってるんだって、思い込んでた』
 かぶりを振り、仁菜はロップイヤーを指で払う。あらん限りの勢いで駆けるために。
『でもまちがってた。私たち、こんなに支えてもらってるんだから』
 火に焦された空気をいっぱいに吸い込み、脚を深く曲げる。一ミリでも先へ跳ぶために。
『それでも突き通すんだろ。どんな運命にだって勇気をもって』
 リオンのライヴスに自らのライヴスを併せ、全身へ巡らせる。どれほどの攻撃を受けたとてたじろがぬために。
「そうじゃなくちゃ、意味がないでしょ!!」
 かくて戦場を突き抜けた仁菜は、フレイヤと対峙する。


 子どもみたいだ。
 フレイヤを前にした仁菜は思う。
 愚神と化したその姿に、元のフレイヤの儚さはない。兄を殺したエージェントへの憤怒と憎悪を滾らせ、禍々しいライヴスを噴き上げる様は、悪鬼と呼ぶよりない有様だったが。
 子どもなんだ。家族が奪われて途方に暮れるしかなかった、あのときの私と同じ――
 仁菜は父母を亡くし、妹を喪いかけたあの日をあらためて思い出す。
 どうにもならなくて、なにもできなかった私。でも、私はリオンと出逢えたから歩き出せて、みんなと会えた。
「オルリア」
 フレイヤの真名を呼び、仁菜は傷だらけの面をまっすぐに向ける。
「今から行くね」
 あなたを迎えに、行く。
 いちばん大切な人を喪って、寂しさと悲しさをなにかに叩きつけるしかできない小さなあなたを……私の命、全部賭けて。
「殺……して……やる!」
 エージェントの攻撃を受け、猛るフレイヤが短剣を振りかざした、そのとき。
 仁菜はその胸でフレイヤの切っ先を縫い止め、背でエージェントの追撃を防ぎ止めて。
「あなたの悲しみも憎しみも共に背負う覚悟をしてきたの」
 だから。
「いっしょに生きよう!」
 異形が呆然と歪むのを感じながら強く抱きしめた。
 そこへ友であり、同じくフレイヤと縁を結びしエージェントが添い。
 ふたりはフレイヤを抱いて空へ飛んだ。

 上がりゆく高度の中、リオンは奥歯を噛み締める。
 大丈夫だよ。
 俺はずっとそう言い続けてきた。ニーナが迷わずに進めればいいって、そう思って。
 でも、大丈夫なんかじゃなかった。ニーナは俺の大丈夫に急かされて自分を追い詰めて、どんどん無茶して……潰れかけて。
 それでも大丈夫って言い続けたのは、怖かったからだ。ニーナが立ち止まってうずくまって、俺の大丈夫が届かないどん底まで落ちてくのが。
 右足が沈む前に左足出してれば沈まないんだって、俺は自分に言い聞かせてた。結局俺は、ニーナとふたりでいられる今のことしか考えてなかったんだ。
 今、ニーナがこうやって立ち上がって跳べたのは、身勝手な俺のおかげなんかじゃない。周りのみんなと、オルリアのおかげだよ。
 わかってるよ。わかってるわかってる、わかってる。
 今さらエージェントの正道に戻れなんて言えないし、言わない。この期に及んで俺が言えることなんて決まってるじゃないか。
『大丈夫! ニーナの気持ち、まっすぐぶつけてやれ!』
 内で強くうなずいた仁菜は、でたらめに突き込まれるフレイヤの刃へかまうことなく、額を合わせるようにしてリオンの心の端へ自らの心の端を合わせ。
『知ってる? リオンの「大丈夫」はね、いつだって怖くてすくんじゃった私の足に、進む力をくれるんだよ』
 ああ。リオンは胸に鋼を突き込まれたような痛みを噛み殺し、笑みを形作った。
『ありがとうリオン』
 前を向く仁菜の奥底、リオンは必死で笑い続ける。


 ――ここで時は巻き戻る。
 フレイヤを抱いたまま地へ落ち行く仁菜は、必死に言葉を紡ぐ。
「あの人はオルリアの笑顔を……幸せを願ってた。だから、貴女は生きて!」
 お兄さんの思いのために。
 私のわがままのために。
 お願いだから、この手を取って。

 果たして。
 仁菜の真摯な思いは、届くべき者へと届いた。
 崩れゆくフレイヤの手が、仁菜と友とを押し離し、面をふたりの視界へ晒す。
 その顔は、確かに笑んでいた。
「……私は殺し過ぎた。決着は……つけないと」
 今さら報いるなんて、できはしないけれど。せめて……堕ちたこの身が迎えるべき終わりを……受け入れるから。
 限りなく澄んだ瞳を仁菜へ、そして空へ向けて、フレイヤは踏み出した。

 かくてフレイヤは笑みながらエージェントの連携攻撃をその身に受け、崩れ落ちる。
 燐光にその身を溶かし、解かしながら仁菜を見上げ。
「……ありがとう。やさしいかた」
 人を取り戻した面をやさしく笑ませ、逝った。
 指の間からこぼれ落ちる命の光を見送りながら、仁菜はかすかに開いた唇から乾いた息を漏らす。
『リオン』
 内でかすれた声を発する仁菜へ、リオンは『ああ』、次の言葉を促した。
『オルリア、ヴァルハラなんかじゃない、あったかくて気持ちいいところで、お兄さんと会えるんだよね』
『ああ』
『そうだよね。決まってるよね。そうじゃなくちゃだめだよね。だって――だってさ』
『ニーナ』
 びくり。肩をすくませる仁菜へリオンは両手を拡げてみせ。
『大丈夫だから。俺には全部言っていいから』
 仁菜の堰が、切れた。
『私はなんにもできなかった!! あの人もオルリアも誰も救えなくて!! ただわがまま言って突っ走っただけで!! どんな状況でも守ることをあきらめないって誓ったのに、なんにも守れなくて!!』
 子どものようにリオンの胸を叩く仁菜を、彼は受け止める。言うべきことはわかっていた。しかし、それを押しつけていいだけのものが自分にあるのか。失わぬためにあがき、守りたかったものを掴むことかなわず空を切った仁菜の両手を取り、引いていい資格が。
 悩むことかよ。あるはずないだろ、俺なんかに。
 葛藤を押し切って発した「大丈夫」が彼を苛む。
 結局、俺はニーナに失くさせただけだ。やっと立ち上がったニーナをまた暗闇に追い立てて追い込んで。
 心の奥でゆらめく朧――かつてリオンが失った大切なものの影がささやく。
 王子、失ってきたばかりのあなた様に、なにを得ることもできはしますまいよ。それはあなた様に心重ねし兎姫もまた同じこと。
 ああ、そうだ。俺がいるからニーナは何度も何度も失くして、守れなかったって……
 と。
 仁菜は膝をついていた共鳴体を立ち上がらせた。
『強くなる。救いたいもの全部、この手に掴んで抱え込めるくらい、強く』
 涙を、そして懊悩を拭い払って、口角を上げて。
「リオン、いつものやつちょうだい」
 まるで行きつけの店で注文するように言い放った。
 リオンは大きく息を吸い、止める。
 そっか。ニーナは全部抱え込んだまま、それでも先に行くんだな。
 俺は今でも迷いっぱなしだけど、でも。そんな俺なんてどうだっていい。ニーナがニーナを貫けるなら、地獄のどん底でだって俺はバカみたいに言い続けてやる。
『大丈夫だよ』
 肚を据えて笑みを作り、言う。
『ニーナは絶対できる。俺がついてるから大丈夫!』
 仁菜は内のリオンを抱きしめるように、フレイヤの切っ先で傷つけられた胸を抱き。
「リオン、ありがとね」


 こうして終わりを告げたフレイヤ討伐戦。
 それは仁菜とリオンが新たな一歩を踏み出すきっかけであり、新たな闇の内へ迷い込むきっかけとなる一幕であったのだ。
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2019年06月05日

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