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『ただひとり 』
日暮仙寿aa4519)&不知火あけびaa4519hero001

 7月3日を迎えた日暮仙寿(aa4519)は、大学へ向かう準備を整えながらふと独り言ちた。
「そうか。今日が7月3日か」
 朝から夕方までは法学を学び、夕方から夜までは剣を学ぶ彼。その1日はほぼほぼ修行で埋められており、ゆえに油断すれば今が何月何日で何曜日なのかを忘れてしまう。正直なところ大学という場所が、本気で向かえばこれほどいそがしい場所だなど思いもしなかった。
 仙寿は息をつき、部屋を出た。
 今日、彼は20歳となる。生まれた時間までは憶えていないが、自分の本質を思えば夕刻なのかもしれない。
「俺も20歳になるんだな」
 口に出してみたが、心臓が跳ねることはなく、心がかき混ぜられるゆなこともなかった。
 当然だ。動揺も覚悟も2年前――あけびが20歳となった10月23日に済ませてきたのだから。
「明鏡止水とは言わないが、座して待つ心境ってやつか」

「仙寿、なんだか真面目な顔してる?」
 日暮邸の門前で合流した不知火あけび(aa4519hero001)は指を伸ばし、仙寿の眉間をぐいと押し上げた。
「神妙な顔ってほうが合ってる気はするけどな」
 眉根から力を抜き、苦笑する仙寿。
「そっか」
 あけびはなんでもない顔を翻した。
 こうなると仙寿も言葉を継ぐことはできなかった。言えるはずがない。「今日は俺の20歳の誕生日なんだけどな」などとは。
 座して待つ心境とは言ったけどな。これ、生殺しじゃねーか。
 と、ため息をつきかけた仙寿だったが。
「今日は授業終わったらまっすぐ帰ってくること!」
 再び翻ったあけびの顔は、いたずらっぽく笑んでいた。
「だって特別な日だもんね」
 仙寿的には安心すると同時、少しばかり腹立たしくもなる。忍の詐術、俺に発揮する必要あるか? まずは「おめでとう」でも、「20歳だね」でも、そういう言葉をくれるべきだろうに……それともこれは、大人の余裕ってやつだったりするんだろうか。
「あけび、おまえ――」
「あー今はなんにも言わないで追求しないで疑問にも思わないで! 今いろいろ言っちゃいたくなるの、鋼の自制心でがまんしてるんだからね!」
 特に動いてもいない仙寿をぐいぐい押し離し、あけびは顔をうつむけたままわーっと言い募る。
 うん、どうやら忍の詐術も大人の余裕も、あけびにはなかったらしい。
 ずいぶんやわらかそうな鋼の自制心に障らぬよう口をつぐみ、仙寿はあけびを促して歩き出した。
 なんともかわいらしい歳上の恋人を往来で抱きしめてしまわぬよう、それこそ鋼の自制心をもって己を抑えつけながら。


 落ち着かない。
 授業内容をノートへ自動的に書きつけながら、仙寿は深いため息をついた。
 あけびとは取っている授業がちがうこともあり、朝に別れてから一度も会っていない。様子を見に行こうかとも思ったのだが、それこそあけびにはあけびのつきあいもあるだろうし、学びの邪魔をするつもりもないから自重した。
 って、自重しなくちゃならないくらい、俺は浮き足立ってるのか。
 こうなると思い知る。未成年から成年となる20歳は、それほどに重いものなのだと。しかも三世を契った恋人がいるとなれば、それを二世に縮めることも自らの意思で可能となるのだから。
 そう思ってみれば、自然と心は鎮まった。
 今日まであけびを待たせてきたんだ、俺は。だから、応えなくちゃな。もうひとりで待たせたりしないって。
 早くあけびに逢いたい。
 早くあけびに伝えたい。
 知らぬうちに急き立てられ、再び浮き足立っていく自分を意識しながら、仙寿は時が過ぎるのを座して待つ。

 仙寿、まじめに授業受けてるかなー。
 いつもとちがう窓際の席へ腰かけたあけびは、ガラスに隔てられた鮮やかな夏へと視線を投げる。
 今日は仙寿にとって特別な日だ。
 そしてそれは自分にとっても同じこと。
 だからこそ準備も入念に進めてきたし、自分の心も整えてきた。
 私、予感とかじゃなくて確信してる。今日っていう日が、忘れられないことのひとつになるんだってこと。
 これまでたくさんの忘れられないことを仙寿とふたりで重ねてきた。出逢いも反発も、追いかけっこも戦いも闘いも……すべてをきざはしとして、こんなに深いところまで登ってきたのだ。
 早く仙寿に逢いたい。
 早く仙寿に伝えたい。
 想い人と同じように焦れていることを知らず、あけびは彼を象徴する日暮れの訪れを待ち続けるのだった。


 果たして逢魔が時は来る。
 家人が減ったことでずいぶんと静かになった日暮邸の離れ。絽の薄物を着崩した仙寿は熱を含んだ風に銀の髪を梳かせ、両眼を細めた。
 暑く、熱いはずなのに、涼やかだ。それはきっと、仙寿の心身に灯る熱のせいなのだろう。

「仙寿」
 濡れ縁に座す仙寿の横へ並んだあけびが低くささやきかける。
 そのにおいで、見ずとも知れた。あけびが大紫をまとっていることは。
 これまで幾度となく肌を重ねてきたはずなのに、胸が高鳴る。あけびが心ばかりかその身を、今日という日に仙寿へ預けてくれることがうれしくて……いっそ切なくなる。
「どうしようもないくらい惚れてるよ、俺はあけびに」
 突き上げられるまま仙寿は語り、あけびの肩を引き寄せた。その手を燃立たせる情の熱は切なさの静謐に冷まされて、熾火となる。
「そんなこと言われちゃったら、とっておいた言葉も気持ちも、ここで全部思い知らせたくなっちゃうでしょ」
 仙寿の肩へ頬を預け、あけびは目を閉じた。心の底から想いが溢れだしてしまわないように。仙寿から染み入るすべてを閉じ込めたいように。
「なんだ、思い知らせてくれないのか?」
 喉の奥をくつくつ鳴らし、仙寿はさらに強くあけびを引き寄せた。
「……神様ってのは孤独なのかもしれない。一にして完全なら、ほかの誰も必要ないんだからな。俺はあけび溶け合って完全になりたいなんて思わない」
 彼の不器用な説明に、あけびは小さくうなずいて。
「うん。共鳴の向こう側まで行けば完全なひとりになるのかもだけど、私は仙寿がいなくちゃやだ」
 首を伸べて仙寿の唇をついばみながら、語る。
「そうだな。俺もあけびにあけびでいてほしい。なんでも思いどおりになる平穏なんてつまらないしな」
「私がいっつも不意討ちで大騒ぎしてるみたいなこと言うー」
 ちょっと覚えがあるのは悔しいところだが、しかし。
 そう言ってくれる仙寿がいてくれるから、私は私でいられるんだって思うから。
 仙寿が仙寿でいられるこれからを、私があげたいんだ。
 そしてあけびは勢いをつけて仙寿から離れ、後ろに置いていた盆を引き寄せて。
「20歳の誕生日、おめでとう」
 そこに置かれた黒いガラス製のグラス――ぐい飲みより少し大きいくらいの小グラスである――を仙寿へと手渡した。
「薩摩切子か。これはすごいな」
 グラスに彫られたものは、精緻にして大胆な八重の桜。確かにそれだけでも美しいのだが。
 切子は彫刻を施したガラス細工であり、下絵を裏から透かしながら彫り上げるものである。しかし、このガラスが黒いと光が透過しないため、当然のごとく下絵が確認できない。見ずとも彫り上げられる技術をもった切子職人だけが、この黒グラスを世へ送り出せるのだ。
「私のは染井吉野だよ」
 そろいのグラスを取り上げて、仙寿のグラスと縁を並べてみせた。
 ふたりは黄昏の内に影をまとって合い咲く八重と染井吉野へしばし見入る。
「大事にする」
 やっと口を開けば、仙寿はそれ以外に言えることがなかった。
 自分の不器用が嫌になるが、心だけはありったけに込めて、告げる。このグラスと、それよりもなによりもあけびのことを、大事にすると。
 語らずに伝えられた真意を噛み締めて、あけびは仙寿を促した。
「仙寿。このお酒の封、切って」
 と、前に置かれたのは、ラベルのつけられていない半升瓶。
 あけびの20歳の誕生日に仙寿が贈り、これまでずっと大切に保存されてきた品だった。

 果たして染井吉野のグラスへ澄んだ酒が、仙寿の手で満たされる。
「じゃ、ご返杯」
 そう言ってあけびが手にしたのは、静岡県が生んだ“静岡酵母”で仕込まれた酒――俗に云う静岡型吟醸の一本である。
「秘蔵の1本とまでは言えないんだけど、仙寿が初めて飲むお酒は私が選びたかったから」
 選び抜くまでにどれほどの酒を飲み干してきたものかは語らず、あけびは八重のグラスに酒を注いだ。
 そして互いにグラスを取って、互いの思いを溶かした酒を味わった。
「これが酒か」
 仙寿は思わず目を見張る。
 果実のように爽やかな香がするりと喉を通り、胃の腑へ至ってじわりと効く。その後に、香の奥から米の甘やかな滋味が染み出して、咲いた。
 後味というものをこれほど強く意識したことは、もしかしれば人生で初めてかもしれない。
「香りと舌触りがかろやかなんだよね、静岡吟醸。……仙寿のお酒は逆にじっくり味わわせる感じだけど」
 あけびのグラスを満たす酒は、寝かせておいたこともあってかとろりと重く、辛口ながらキレよりもコクの深みを感じさせる。
 今はまだ若さが先に立って見て取れはしないが、そう――
「このお酒、仙寿みたい」
 ほろりと語ったあけびに、仙寿はふと顔を上げた。
「俺も同じことを思った。かろやかに匂い立つなんて、まるであけびみたいだってな」
 恥じらいもなく言い切った仙寿は、あけびのグラスを取って酒を含む。
「これが俺か。いや、今の俺じゃ、この円熟はありえないな」
 飲み下して言い募り、息をついて。
「あけびが思ってくれるくらい腰の据わった男に、早くなりたいもんだ」
 ああ、仙寿がすごくかわいい。そういえば弱いんだよね、お酒。
 過去のことを思い出しつつ、あけびは仙寿のグラスから酒をなめた。
 酔って素直になるのは仙寿の性だが、言わなければ伝わらないを標語と定めてから、仙寿は裏表なく直ぐである。そうして隠すことなく伝えてくれた言葉の数々は、いつもあけびの心を黎明へと導いてくれる。
「そう言ってくれてすごくうれしい。でも私、そんな私のこと裏切るからね。もっと濃くて深い私になって、仙寿のこと酔い潰してみせるから」
 それは宣言で、願い。
 酔わせて、酔わせて、酔わせて……仙寿の芯まで染み入りたくて。そんな女に、早くなりたい。
「これからはあけびとじゃなく、ひとりで飲む」
 仙寿はグラスを置いてあけびの膝に頭を預け、とろりと目を閉じた。
「酒だけじゃなくてあけびにまで酔わされちまったら、それこそ抜け出せなくなりそうだ」
 これ、酔ってなくても言うからなぁ。
 あけびは苦笑して仙寿の額をなぜる。なにせ人たらしな仙寿である。いろいろな女子――この際男子のことは置いておく――に素面で言い歩くのだから仕末が悪い。
 いつもこうやって膝の上にいてくれたら、私も余裕であしらえるんだけどね。
 あけびは仙寿の顔を肴にグラスを呷り。
「仙寿がそうなっちゃったら私、髪結いでもするよ。ひと結い50文、結構稼げると思うし」
 この言葉に仙寿は薄目を開けて口の端を上げた。
「それなら安心して溺れられるな。酒じゃなくてあけびに」
 不意討ち! こんなのあしらえるわけないでしょ!
 くぅとかぶりを振るあけび。
 その大紫の衿元へ伸べた指を差し込み、仙寿は彼女の鎖骨をなぞる。
「酔ってるからじゃねーぞ。俺には本当の本気で、おまえだけだ」
 ああ、もう。仙寿はほんと、天然たらしだよね。こんなときに狙ったみたいに口調崩したり。それも無意識でやってるんだから。
 でも、いつだって真剣で、まっすぐで……だから私もまっすぐ応えるしかなくて。
「うん」
 やさしく応えて、あけびは仙寿の頭を抱え上げ、口づけた。先ほどのようについばむのではなく、激しく重ね、強く吸い上げ、深く貪る。
 そして息が切れるまで味わい尽くして、ようやく唇を離して、ささやいた。
「私が私を開いてみせるのは仙寿だけ。それだけは忘れないでね」
 対する仙寿は、もたらされた余韻を舌先で転がしながら、それはもう不敵な笑みを彼女へ返し。
「そんなこと言われても、俺は記憶力に自信がないんでな。忘れないうちに思い知らせてくれよ」
 先の言葉を用いて言ってみせたのだ。
 ……酔っ払いのくせに言ってくれるじゃない。
 あけびはふんと鼻を鳴らし、仙寿の薄物の襟を指先でかっ開いて。
「明日起き上がれなくなるくらい思い知らせて酔い潰してやるから!」
 自らのまとう大紫で、愛しい男を押し迫る夜のとばりから覆い隠した。
 仙寿は誰にもあげたりしない。たとえ世界にだって、それどころか神様にだって渡さない。この暮れる日は、私だけのもの――
 
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2019年06月06日

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