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『女神差向 』
スノーフィア・スターフィルド8909

 ここは肴がドカ盛りゆえおひとり様での入店は禁止、そして酒ならなんでも190円で出すという酒場の一席。
「インスタントコーヒーの粉がですね、やけにさらさらしててこう、ケミカルな味なんです」
 スノーフィア・スターフィルド(8909)は、店が生ビールと称する発泡酒をすすりながらため息を漏らした。
「あー、外国の安いやつってそうなんだよなー。マジでコーヒー飲料って感じ。俺は基本、豆だけどさ。安いやつだと酸化してて酸っぱまずいんだわ」
 皿に山盛られた揚げ餃子(380円)のひとつを口へ放り込み、ハイボールで流し込みつつ、草間・武彦(NPCA001)がうんうん、大げさにうなずいた。

 先に角打ちの酒屋で出遭って以来、スノーフィアはそこそこの頻度で武彦と顔を合わせている。まあ、主に安酒場や量販店の酒売り場で……だから、遭うべくして遭っているような気もするわけだが。
 そうなれば立ち話をするようにもなるし、なんだかんだで飲みに行こうぜって話にもなっていく。
 そして。
『俺、最高にお安くて最高な店知ってんだけど』
 なんて最高を2回重ねて言われたら、それはもう見かけは金欠麗人、中身は金欠おじさんのスノーフィア的には一択だろう。
 というわけでふたりはここにいて、なんだかんだ安い酒を飲みつつ、愚痴を垂れ合っている。

「豆ですか。毎回挽くのもそうですし、器具のお手入れなんかも大変ですよね」
「紅茶だっていちいち葉っぱやらポットやらの仕末しなくちゃだろ。慣れだよ、慣れ」
 冷めてしまった餃子へ出力を絞りに絞った火魔法を送り込んであたため、ピータン豆腐は同じように超低出力の氷魔法で冷やし、スノーフィアはひと口ずつ味わう。
「慣れですか、結構、慣れたつもりなんですけど。なかなかいろいろ、うまく行かないんですよね、私」
 特別料金(250円)のホッピーセットを注文しつつ、スノーフィアはまたため息をついた。
 スノーフィア・スターフィルドとしての体と、そこへ備わった能力。どちらもそれなり以上に使えているつもりだ。しかし、結局のところは内に残された“私”はスノーフィアになりきれていないから……心と体のズレが次第に大きくなっているように思えてならない。
「ま、日本語はそのへんの日本人よりお上手だけどな」
 ソーダ少なめ、すなわち濃いめのハイボールを追加した武彦が、肩をすくめてみせた。
 このへんも実はちょっと微妙で、今はこうして「日本に馴染めていない外国人」への配慮を見せている体だが、実はすでにスノーフィアという存在の異質を察しているようにも見えて。ただ、だとしたらなぜそれを言及しないのか、わからないわけだが……
 いずれにせよ、スノーフィアの側から明かすような真似はしない。「曝け出さないほうがいい」と忠告してくれた彼には。
“私”は知ってほしいんでしょうけどね。だって彼は、そういう存在を知ってるかもしれない人ですから。
 気を取りなおし、スノーフィアはホッピーをすする。ビール風飲料という観点では発泡酒と同じなのだが、なぜだろう。酒場にはこちらのほうがハマる。
「しっかし姉さん、バルとかで生ハムにワインでもやるほうが似合うだろうに、揚げ餃子でホッピーだもんなぁ」
 テーブルの端で手巻き煙草を巻きあげてくわえ、火を点けた武彦はうまそうに紫煙を吸い込んだ。なんでも普通の煙草よりもこちらのほうがリーズナブルらしい。煙草の重課税が進む近年、愛煙家はいろいろと大変だ。
「勝手に吸っちまってすまん。嫌だったら消すぜ」
「あ、大丈夫ですよ。むしろ落ち着きます」
 周り中が吸っていた年代の“私”にとって、このにおいは郷愁めいた感慨をもたらすものだった。
 思えば遠くへ来たんですね。
 スノーフィアではなかったころの“私”は、紫煙に曇る安酒場の片隅で揚げ餃子をホッピーでやるなんて日常風景だったはずなのに。
 結局、“私”はスノーフィアに慣れていないし、成れてもいないのだろう。
 だからいつまでも“私”だったころをなつかしんで、未練がましく引きずってしまう。
 女神の力を有用に使いこなし、なにを為すこともできないのは、スノーフィアという巨大な器へ“私”という小さな粒が転がり込んでしまったがゆえの、当然の結果だ。
「それでも、生ハムでワインを嗜むべきなんでしょうか」
 問いならぬ問いが、ぽろりとこぼれ落ちる。
 せめて形からスノーフィアらしく振る舞えば、いつか“私”は彼女へ融合し、この世界でなにかを遂げられるのではないか――そんなことを考えたとき。
「好みなんてのはそれぞれでいいんじゃねぇか?」
 彼女の独り言をかろやかに掬い上げ、横へ払い投げる武彦。
 顔はすでに充分酔いが回ってはいたが、その言葉はしっかりと強く、太い。
「姉さんが誰かから求められる形はあるんだろうさ。そりゃ俺だって変わらない。少なくてもうちのバイトは、安いインスタントコーヒー飲んで、煙草なんざやめて、マジメに仕事する俺になれって言うし」
 苦い顔で数え上げて、彼は全部放り出した。
「でもな、そうなっちまったら俺じゃねぇよ。だったら、姉さんだって生ハムワインじゃねぇだろ」

 手を挙げて注文を告げる武彦。
 果たしてテーブルに置かれたものは、量販店でよく売られている、4リットルペットボトルの安ウイスキーだった。
「俺は明日、とんでもねぇ頭痛と吐き気でのたうつだろうよ。でも迷わねぇ。それが嘘でも偽りでもねぇ俺だからな」
 渋い笑みを決めて言い切る。
 なんという覚悟だろう! 多分、ラベルに書いていない不純物が混ざりまくりのこの酒を痛飲すれば、翌日はそれこそ地獄の有様だ。仕事なんてできるはずがないし、きっとバイトの人にも鬼のように責められるだろう。
 それでも武彦は飲むのだ。
 社会人の体裁も雇用主の面子もかなぐり捨てて、だめな人としての矜持をここに示すがため、全力で。
「あなたの生き様を見届けるとは言いませんよ。なぜなら私も、迷いませんから」
 ホッピーを空けたグラスへ、左手ひとつで持ち上げたペットボトルを傾げてウイスキーを注ぐ。この腕力はスノーフィアのもの。しかし、それを振るっているのは“私”だ。
 いいんですよね、それで。
 いいんですよ、それが。
 ズレていようがなんだろうが、スノーフィアは“私”。未だ目標なんてものは見えないが、今日を越えて明日になれば、それだけ目標に近づいて、視認できるようになるかもしれない。
「さすが姉さん、そうでなくっちゃな!」
 スノーフィアから注いでもらったウイスキーを掲げ、武彦が不器用なウインクを右眼で弾いた。
「いえ、気づいただけです。結局のところ、飲みが足りていなかったのだということに」
 いろいろと弁えているスノーフィアは、だからこそ知っている。難しいことも不安なことも、酒精満ち足りれば光のごとくに行き過ぎるのだと。
 だからこそ、足り過ぎるほど飲む!
「乾杯です! もちろん乾杯とは言葉どおりの乾杯ですので!」
「出るまでに財布は空っぽにしとけよ!? 道で寝ちまったらもう、盗られ放題だからな!」


 かくて翌日のスノーフィアはまあ、酷いことになったわけだが。あえて魔法やポーションに頼ることなく、地獄でのたうつ道を選んだ。
 だめな自分の有様を、「それはそれで私らしさですから」と開きなおりながら。
 ちなみに、先送った問題の答なり目処なりはさっぱり見えなくて。
 これは今日も飲んで、明日に投げ渡すしかありませんね?
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年06月10日

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