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『Hide-and-seek 』
ミラ・R・Ev=ベルシュタインla0041

 試験を始めようか。
 両眼をすっぽり、そのシルクハットの下へ収めた紳士が告げる。
 告げられたミラ・R・Ev=ベルシュタイン(la0041)は返事をせず、ただ小首を傾げてみせた。
 試験とはいえルールは変わらない。いつもどおり鬼になって獲物を狩るだけのことだ。

 いつもどおりと言われたわりに、放り込まれたフィールドは妙に湿っぽく、青々しかった。
 剥き出しの荒れ地ではなく、草や木に覆われた大地だからだ――気づくまでに時間がかかったのは、知識の上でしかそれを知らなかったから。
 そう、ここは彼女の故郷たる世界ではない、異世界なのだ。
 とはいえ、世界の別などに興味はない。ステップワークで獲物の逃げる先を狭め、追い詰めて。
「いない、いない……ばぁ」


 体育の試験は1日おき、場所を移して行われる。
 こちらの世界の獲物は殺すことにも殺されることにも慣れていないようで、だからこそミラは容易く試験に合格し続けることができたのだが。
 平らかなばかりの日々は、唐突に終わりを告げた。

 その獲物は他のものと同じく無手だった。
 この世界の獲物はひどく脆弱であるとの判断から、今日のミラは無手での鬼ごっこを命じられていたわけだが。
 それにしてもなぜなのか、反撃の手段など持っていようはずのない、彼女に体力や筋力、基本的な体格すらも遠く及ばないはずの獲物を捕まえることができない。
 追いつく寸前、獲物はミラの動きの逆を突き、そのあたりの木や茂み、斜めに傾いだ金属板――後にそれが滑り台だと知る――を駆使してその手を逃れるのだ。
 なにも考えず、だからこそ迷わずに獲物を追ってきたミラは、ついにひとつの疑問を抱いた。もしかして、わたしの動きを読まれてる?
 同時に思い至った。身体能力で勝る鬼から逃げることは難しいが、地形効果を利すればその差は埋められる。逃げられてるのは、読まれてるだけじゃない。私に地の利がないからだ。
 ミラは視線を巡らし、獲物が次に使うだろうものを探す。あの茂みは……4歩かかるから使わない。茶色い橋――アスレチックの吊り橋だ――に乗ったら、走るのが遅くなるから使わない。だったらそこの木だ。それを挟んだら、私の手は届かないから。
 数瞬で確信へ至り、フェイントを織り込んで踏み込んだが。
 獲物はミラが見定めた木に手をついて方向を変え、彼女が可能性を捨てた橋の下をくぐって逃げ抜けてみせたのだ。
 あわてて方向転換したミラだが、橋に行く手を阻まれ、足を止めるしかない。
 そうか。獲物は私より小さいから、それを利用したんだ。使えるのは地形だけじゃない。自分だって使えるもののひとつだから。
 ただ追いかけて殺せばいいと思っていたのに……無感情の奥底から滲み出す苦いものの正体に思い至ることかなわず、ミラは荒い息を漏らしたそのとき。
 彼女の腕へ巻きつけられた通信機が濁ったアラームを鳴らし、試験時間の終了を告げた。
 今日の結果についてはさすがに報告してくれるのだろうね? 紳士の問いにミラは淡々と言葉を返す。
「……次、も、同じ……場所で、やる」
 と。
 アスレチックの向こうから、高い声が飛んできた。
 また遊ぼうね。
 ただの獲物が、ずいぶんと挑発してくれるものだ。
 いつにない苛立ちを感じながら、ミラは視線を獲物から引き剥がした。そのはずなのに――いつまでも獲物の顔は彼女の前から消えることなくちらついて。
 そればかりに気を取られていて、気づけなかったのだ。
 不可思議な苦みがいつしか、不思議な甘さへ変わっていたことに。

 シュミュレーターによって再現した今日の地形と獲物の戦術を見やり、ミラは自身の犯した失態の原因を洗い出していく。
 捕獲に拘りすぎた。打撃で足を止めて、その後頸椎をひねり折れば100カウント内に終わっていた。終わっていたはず。だけど。
「……それ、じゃ、私の……負け、だ……」
 能力に優れる者が勝つことは当然。問題は勝ちかただ。相手の戦術のすべてを超える以外の勝利はありえない。
 それにしても、だ。
 あの顔はなんだ? 口の端を上向けて……やはり挑発なのか?
 机の上へ指先で描きつけた獲物の顔を後ろからのぞき込み、紳士は興味深げにうなずいた。これは驚いた、君がエガオに興味を示すとはね。
「え、がお?」
 ワード検索で意味を確かめたミラは小さく息をつく。
 笑顔。笑っている、顔。
 笑ったことなどなかったし、これまで対峙してきた獲物がそんな顔を見せることもなかった。紳士は笑うのかもしれないが、帽子で隠れて見えないのでどうにもなるまい。
「笑顔……」


 ミラは再び、あの獲物と遭遇した場へ立つ。
 ここは公園という場所らしい。草木が植えられ、遊具が設置された、障害物の多いフィールド。しかし、もう惑わされはしない。あらゆるシチュエーションを想定し、自らの能力をもってそれらを乗り越える策を携えてきた。
 もう来ないのかなって思ってたよ。獲物は口を尖らせてミラへ言う。
 獲物が成体に至らぬ雄――少年というものであることは学習してきた。成体よりも筋力で劣る代わり、瞬発力に優れる個体。
 だが、それだけのものだ。今日こそ捕獲し、命を奪う。腰を落とし、跳び出す準備を整えたミラだったが。
 今日は鬼ごっこじゃなくてかくれんぼしようよ。
「……なに?」
 通信機越しにそれを聴いていた紳士はすぐに許可を出してきた。いいじゃないか、戦場に想定外は付きものだからね。

 果たして30カウント、姿を隠した少年を探し、ミラは踏み出した。
 地や芝生へ残された足跡を辿り、風に混じったにおいを嗅ぎ取り、漏れ出す気配を読み、そして潜められた息を聞く。
 それなりに広い公園とはいえ、草木と肉体が放つものには明確な差異があるものだ。気配はもちろんだが、特ににおいはごまかせない。成体よりも未成体のほうが、新陳代謝の差もあってか、濃いのだ。
 自分の隠しかたも知らないくせに、そんなに殺されたいのか。
 あっさりと隠れ場所を突き止めたミラだが……そこまでだった。
 見つけてしまえば終わってしまう。
 それがただひとつの為すべきことであるはずなのに、足が進まなくて。
 しかし、このまま時を引き延ばすことはできない。紳士になにかしらの介入をされれば結局少年は死ぬこととなり、ミラ自身にも軽からぬペナルティを課される。いや、ペナルティなどはどうでもいいのだ。
 私が嫌なのは――
 少年が身を丸めて潜り込んでいた茂みに手をかけ、割り開く。
「見つ、けた」
 見つけてしまった。
 噛み締めながら少年を見下ろして。
 ミラはまた、見つけてしまう。
 見つかっちゃったと笑む少年の顔を。
 途端。ミラの内をなぞっていた薄氷が割り砕けて。

 ああ。私はとっくにこの笑顔に見つかって、捕まってたんだ。
 敗者は勝者に命を渡さなきゃいけない。
 この少年のために生きて、死ななくちゃ。

 ミラは少年の体を掬い上げ、駆け出した。
 通信機を握り潰し、あらゆる技を尽くして進路を偽装し、進む。
「……どこに、行けば……いい?」
 胸を弾ませる甘やかな鼓動を無表情の奥に押し詰め、問うた。

 それを見送る紳士は通信機を依頼主であるナイトメアへと繋ぎ、事の顛末を説明した。あらゆる怒号を聞き流し、まあまあ、後金は結構ですよとだけ告げて通信を切った。
 ミラのこの先は、けして明るいものではないだろうが、それは彼女自身が思い知ればいいことだ。それよりも次の商品を見つけて仕上げにかかろう。
 紳士は駆け去ったミラに背を向け、何処かへ姿を消した。
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グロリアスドライヴ
2019年06月10日

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