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『知を得て人を識り 』
桃簾la0911

 自宅の最寄りにあるそこは、扉を開けて直ぐ目の前にカウンターがある。桃簾(la0911)が一歩足を踏み入れれば何か作業をしていたようだが顔を上げ、目が合うとほぼ同時に会釈を交わす。所作が上品なぶん、こちらが顔を上げる方がワンテンポ遅かった。些事は気にせず歩み寄っていく。
 こんにちはの後に名前を呼べば、同じ挨拶に桃簾さん、と控えめに呼ぶ声が返ってきた。雑踏の中では掻き消えそうなほど小さな声だが、顔馴染みの利用者しかおらず、軽く話すにしても静かなこの空間にはそれくらいが丁度いい。
「何かありましたか?」
 そう訊いたのは若干言い淀む気配があったからだ。桃簾がここの利用方法に慣れて、しかし親近感を抱く仕草を切欠に尚も話しかけた際、喋るのが苦手と言っていたのを思い返す。彼女はこくりと頷き、そして一拍置いてお探しの本がと言う。それを聞いて桃簾は黄金の瞳を輝かせた。
「ようやく返却されたのですね!」
 喜びのあまりに声が大きくなり、直ぐ様気付いて口元を押さえるが後の祭りだ。だが彼女は微笑を浮かべて、用意しますねと蔵書を管理する端末を操作した後、メモ帳を引き寄せ何か書き込む。手渡されたのは目当ての本がどこに置かれているかを書いた紙だ。礼を返して今は一人故に離席出来ない彼女――司書に見送られる形で桃簾は本棚が並ぶ方へと向かった。
 仕事もアルバイトもなく、友人と遊ぶ予定もない。そんな休日には図書館に足を運ぶことが多い。それはSALFに登録する以前に保護者の青年の蔵書を読み耽っていたことと、ひいては元の世界でも知識を得る手段の大半が書物だった影響が強かった。知れば知るだけ何事に対しても選択の幅が広がり、決して腐ることもない。想像力に富めば見える世界が変わる。何度通っても読み尽くせない図書館なる存在が桃簾の気に入りになったのは今のこの景色を見た瞬間だ。等間隔に本棚が配置された空間を進んで、メモ通りの棚の前で題名を確認しつつ視線を横へと滑らせる。三段目に来たところで件の本を見つけた。
 それは、桃簾の故郷と何処か似た世界が舞台のフィクションだ。世界を股にかける冒険家を目指す男女の珍道中が面白おかしく描かれている。シリーズ物で続きが読みたくて仕方なかったのだが中々返却されずやきもきとさせられていた。つい笑ってしまうといけないのでこれは家でじっくり読むのがいいと判断して、しかしこれで出るのも味気ない。無作為に選んだ本を読み、貸し出しの際に司書が愛おしそうに背表紙を撫でる様子を見つめる。同じ著者の作品について談義していると他の利用者が来たので、
「続きはまた後日話しましょう」
 と約束して、出ることにした。

 クイと腰辺りの布を引かれる感触に桃簾は意識を引き戻される。まだ偏見が根強かった時代に転移してしまった放浪者がこちらの世界の者と親交を深める為に四苦八苦する実体験を綴った本は自身も放浪者であることから大層興味深く、いつの間にか没入していた。椅子に腰掛けて直ぐに出されたお茶も手付かずのまま冷めてしまっている。栞を挟んで本を閉じて、お茶から離れた所に除けて振り返れば、椅子に座る桃簾よりも低い位置に少女の顔がある。
「わたくしに何か用ですか?」
 そう問えば純粋な目を向けたまま緩く掴んでいた手を離し、逆に問い返される。お姉ちゃんお姫様なの? と。少女の視線につられて自らの身体を見下ろす。身に纏っているのは白と淡い青色を基調としたゴシックドレスだ。腰から下、スカートの部分は座っていても膨らみがあり、少女が抱え持つ絵本の主人公の格好に似ていなくもない。しかしこれは普段着の一つに過ぎず、悟られる理由にはならない筈だが。
 桃簾は思案する。素性を自ら声高に話すことはないが、敢えて嘘を言う理由もない。
 数年前まで塾として使用されていたというこの図書館は子供を対象とした本が多く、桃簾が読んでいたのも推薦図書に選定されたものだ。利用者も子供連れが大半で、横の繋がりも広いのが窺えた。少女に顔を寄せるとそっと声を潜める。
「実はそうなのです。ですが、今はわたくしも一住民として暮らしている身。貴女と同じです」
 少女はこてんと首を傾げる。暫しして内緒ってこと? と訊かれたので桃簾は鷹揚に頷いた。
「ええ。これはわたくしと貴女の秘密ですよ」
 知れ渡ったところでフォルシウスの家名が威光を翳すなど有り得ない話だ。それでもここでの自分はとあるマンションに保護者の青年や家政婦と暮らしていて、ライセンサーとして戦場に赴く傍ら、社会勉強の為にスーパーのアルバイトにも精を出す。そんな日々を過ごす桃簾だ。環境に合わせるように変化しながら、未来が定められていることに変わりはないけれど。
 少女がヒミツ! と嬉しそうにはしゃぐ。その姿を見て桃簾の顔も綻んだ。友人の元へ戻った彼女が大声で約束だから内緒だと言っているのを見た後、読破しようと本に伸ばしかけた手でコップを取る。温くてもそのお茶はとても美味だった。

 一ページ毎に時間をかけて細部まで目を通す。動物は身近な存在というが桃簾にとってはまだ馴染みがない。自分も使い捨ての物は使えるようになったが、カメラはカロスに存在しない技術だ。知識としてある動物の名称はこちらの世界と一致しているものの、実物を見たことがない為、細かい差異があるかどうか判らないのが残念だ。自然界に生きる動物をテーマにした写真集を閉じると、息をつく。図書館のはしごは運動代わりにもなるが、大体同じ姿勢なので半日も経てば疲れが出てくる。
 顔を上げればいつの間にか正面の席に座っていた男子学生と目が合った。途端に彼は下を向いてノートにペンを走らせる。横を向くと窓から射し込む光は既に橙に染まっていた。大きな図書館なので閉まるまでにまだ余裕はあるが、帰宅時間を考えると切り上げ時だろう。立ち上がって、大きめの鞄と読みきれなかった本を抱え貸し出しの申請に向かった。途中読み終わった本は戻しておく。
 桃簾がいるのは三階だが、吹き抜け構造なので階下の様子も見て取れた。何故だか言うことを聞かず壊れてしまうコンピューターを前に何か調べ物をしている人々がいる。その利便性は青年の熱弁により知っているが出来ないものは仕方がない。同じ本好きと親しくなる切欠が出来たので良かったと思っている。検索が出来ず、手を煩わせるのは悪いとも思うけれど。これだけ熱心な人も珍しいと喜んでくれるから、桃簾は質問することをやめない。話から良い本を見つけられた時の嬉しさは、ありがとうの一言では表現しきれないものだ。何でも読むので選択肢が広く、初めて来た時にはどれも気になって逆に困った。図書館と一括りにしているが一つとして同じ所はなくてどこも好ましい。
 百聞は一見に如かず、という諺がある。それが的を射る言葉なのは自身も実感し始めた。しかし生涯は有限のものでいつどうなるともしれない。それに自分以外の何者にもなれない以上、経験出来る物事は限られてしまう。連綿と知識を継いで、自らの想いを人に伝えることもまた心を突き動かす力がある。だから本が好きなのだ。
(読み終わったら、また来ましょう)
 それまでは新たな出会いに胸を膨らませる。腕に感じる重みにまずはこれらを読むのを楽しみにする桃簾の足取りは、無意識の内に少しだけ早くなっていた。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
貴族の娘として生まれ育った過去と“桃簾”として生きる現在と
他所の領主家に嫁ぐ未来と……その全てを自然であるように
受け入れているというか、今は楽しいけど戻ったら自由では
なくなるというような悲観的な考えがないのが桃簾さんだと
勝手にそんな印象を抱いています(違っていたらすみません)。
過去と現在を比較しても雰囲気が暗くならないところに
桃簾さんのそうした強さというか、気質が出るのかなと。
今回も本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2019年06月10日

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