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『石の楽園』
デルタ・セレス3611


 SHIZUKU(NPCA004)が、またしても行方不明になった。
 彼女のファンは、ネット上で大騒ぎを繰り広げている。今度こそ宇宙人に拉致された、エレベーターで異世界に行った、きさらぎ駅でうっかり降りてしまった、等々。
 まあ恒例行事と言ってよいだろう。皆、彼女が無事に戻って来る事を信じて疑っていない。 
「……僕だって、信じてはいるけれど」
 1人の少女が呟きながら、雑居ビルを見上げている。
 ショートの黒髪、いくらか怯えた黒い瞳。まだ発達の余地があると思える細身に、白のセーラー服が愛らしく似合っている。
 どこか小動物的な可憐さのある少女であった。
 可愛らしい兎が、何やら意を決して、肉食獣の棲む洞穴にでも乗り込もうとしている。そんな様でもある。
 ビルの3階。窓の傍に、看板が出ている。
 女性専門のマッサージ店。ネット上の『評判のお店ランキング』のような所で、このところ大抵、上位に名前が掲げられている。
 姿を消す直前の頃、SHIZUKUがこの店に通い詰めていたらしい。噂ではあるが。
「女性専門……男子禁制で、スタッフも女の人……」
 デルタ・セレス(3611)は呟いた。
「……だから、こんな格好で来たんだ。女装なんて……好きで、しているわけじゃないんだからっ」


 店内BGMは、SHIZUKUの知る人ぞ知る名曲『自動筆記のラブレター』である。
 待合室で、セレスは落ち着けずにいた。
 瀟洒なソファー、点けっ放しのテレビ。そして……何体もの、石像。
 待たされている客は今のところ、セレス1人だけである。
 ソファーの上でセレスは、まるで石像たちに監視されているかのようであった。
 全て、本物の石で出来た人物像である。ここへ運び込むのは、さぞかし大変であったろう、とは思える。
「だけど、ちょっと……運んだ人たちには申し訳ないけど……うん、悪趣味」
 セレスは独りごちた。並べられた石像たちは、はっきり言ってアクセサリーとしては全く機能していない。
 小さな身体を、ソファーの上でさらに縮めながら、セレスはちらちらと見回してみた。
 どの石像とも目が合ってしまう、ような気がする。
 不気味なほどに出来の良い石像の群れ。まるで、生きているかのようだ。全て、今にも動き出しそうである。
 生きて、動いていた人間たちが、そのまま石像に変わってしまったかのようでもある。
「石化……」
 この世で最も不吉な単語を呟きながら、セレスはいつの間にかソファーから立ち上がり、石像たちをまじまじと観察していた。
 男女比は2対8ほど、であろうか。大半が女人像である。男子禁制の店ではあるが、飾り物の石像には何人か男がいる。
 その何人かが、苦しそうにしていた。石の全身で、これでもかと言うほど恐怖を表現している。不細工な顔はさらに醜く歪み、手足も胴体も、まるで溺れているかのように苦しげな躍動感を維持したまま固まっている。
 対照的に、女性たちは恍惚としていた。
 皆、美しい。もはや永久に崩れることのない魅惑のボディラインを誇示しながら幸せそうに微笑み、ゆったりと踊っている。踊りながら石像に変わり、時を止められている。
 男女問わず全て、生きた人間が石化したものである事を、セレスはもはや疑わなかった。
 女人像たちの中に1つ、見知った姿があるからだ。
「SHIZUKUさん……!」
 行方不明のアイドルが、石像と化していた。
 幸せそうに歌い、踊りながら、石化している。
「安心しなさい。死んでいる、わけではないから」
 声がした。
 セレスの背後に、その女性はいつの間にかいた。
「彼女は……彼女たちはね、永遠に生きるのよ。もはや朽ちる事のない美を、こうして体現しながら」
「……それは……石化能力を持つ魔物たちが、等しく抱いている……邪悪な思想です……」
 会話を試みながらセレスは視線だけで振り返り、相手の姿を確認した。
 店主の女性である。話題の女性マッサージ師として、ネットでも紹介されていた。
 画像で見るよりも、ずっと美しく、禍々しい。
「腐ってしまう内臓を取り除いて、ミイラを作る……それと同じ」
 彼女は言った。
「穢れの根源である生気をね、ひとしずくも残さず丁寧に吸い取ってあげるの。そうするとね、穢れる事のない美しさだけが永遠に残る」
 優美な繊手が、石像と化したSHIZUKUをそっと撫でる。
「この子が行方不明になった時、どんな噂が流れたかはご存じ? まあ大半は微笑ましくも他愛ないもの……けれどもね、中にはいるのよ。ブティックで拉致されて売り飛ばされただの、手足を切り落とされて飼われているだのと、ちょっと笑って許してあげるわけにはいかないフェイクニュースを垂れ流して喜んでいる輩がね。やっぱり男は駄目、そういう発想しか出来ないから」
「……その人たち、ですか」
 男の石像たちを、セレスは見やった。
「まさかネット上で特定して……拉致したとでも」
「そして戯れに石化してみたけれど、美しくないわねえ。本当、男って使えない」
 言葉と共に、男の石像が全て崩れ落ちた。
「醜いものは消えて失せた。さあ、貴女も……美しいものしか存在しない世界に、いらっしゃいな」
「……ストーン・サキュバス……!」
 この世で最も不吉な魔物の種族名を口にしながら、セレスは右手を振りかざした。
 可愛らしい五指が、淡い黄金の光を帯びる。これも忌まわしい力ではあるが、やむを得ない。
 その手が、しかし硬直した。
 セレスの全身から、一切の行動能力が奪われていた。
「ミダス・タッチ……なるほど。貴女も私の、同族のようなものね」
 ストーン・サキュバスが微笑む。人間の女性では、絶対に到達する事の出来ない美しさ。人外の美貌。
 その両眼に、呆然としたセレスの顔が映し出される。自分は今、サキュバスの瞳に吸い込まれているのか、とセレスは思った。
 動けなかった。
 ストーン・サキュバスの眼差しが、セレスの細い全身を愛撫する。
 動けぬ身体に、優美な細腕が蛇の如く巻き付いて来る。
「美味しい……こんな上物の生気は、初めてよ」
 端麗な唇が、セレスの耳元で囁く。
「この澄みきった芳醇な生気も……人の世ではね、どうしようもなく穢れてゆく。腐り果ててゆく」
 抱擁の中、セレスの細身がいくらか気怠げに反り返る。起伏に乏しい曲線を精一杯、強調する感じにだ。
 セーラー服もろとも自分は今、本物の少女に変わってゆく。
 そんな夢見がちな錯覚を、セレスはぼんやりと抱いていた。
「……驚いたわ。貴方、男の子なのね」
 もはや動けぬ少年の細身を、ストーン・サキュバスが愛おしげに抱く。
「男だけど……いいわ、貴方は特別。処分せずに飾っておいてあげる。貴方には……美しいものだけの世界に、身を置く資格があるから」
「…………」
 反発の言葉を紡ぎ出そうとする己の唇が、幸せそうに微笑んでゆくのを、セレスは止められなかった。
 短いスカートから、つるりと伸び現れた細い両脚が、もじもじと触れ合いながら滑らかに固まり、石化してゆく。凹凸のない胴体、女の子よりも弱々しい細腕、全てが時を止められ石と化す。
 可憐な美貌が、陶然と微笑んだまま、石像の顔面に変わった。
「穢れてしまうもの、腐ってしまうもの、私が吸い尽くしてあげる……貴方は、永遠の存在になるのよ」
 囁き声も、もはや聞こえない。
 店内BGMが『終末の予定』に切り替わった。
 SHIZUKUの歌では、こちらの方が好みだ、とセレスはぼんやりと思った。
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年06月11日

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