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『名は体を表すと云うならば 』
桃簾la0911

 唐突に聞こえた、しかしながらそろそろ聞き慣れてきた奇声に桃簾(la0911)はドアノブに回しかけた手を止め、一度振り返った。声の主は住み込みの家政婦――ではなく、同居人であり、便宜上自分の保護者役にもなっている青年だ。このマンションの所有者でもある彼は所謂富裕層ではあるが、同時に変人と呼ばれる部類の人間らしく、やれあの作品のこのキャラがなどと熱っぽく語ってはそれを聴く家政婦には引き攣った顔をされている。オタク特有の発作と呼ぶようだ。桃簾にはよく分からないが、命に別状はないらしいので好きにさせている。
 なので関心も直ぐに外れ、改めて扉を開き直した。青年が管理している部屋だが直接触らなければ好きにしていいと言われているので問題ない。
 広い部屋には棚が並んでいる。全面ガラス張りなので圧迫感はないにしろ、一つ一つ見て回ろうとしたら相当時間がかかるだろう数だ。その中を桃簾の足は淀みなく目的の物を目指し進む。然程関心はなかったのが近頃ここに来る機会が増えていた。
 そうしてガラス製の戸をスライドさせ、台の部分を両手で支え持つようにしてそれを手に取った。台座の前に置かれていた紙にはチューライト、そして別名と和名の両方が併記されている。

 机を挟んで対面に座る青年がどうしたい? と問いかけてきた。最初の不躾な視線は面影もなく、真剣な眼差しがじっとこちらを見返してくる。
「どうしたい、とは?」
 聞き返すと彼は唇を尖らせて、うんうんと唸りながら首を左右に繰り返し傾けた後、現状を理解しているか確認してきた。頷き応える。
 今まさに婚儀が執り行なわれようとしていた矢先、気付けば故郷では有り得ない建物の中にいた。そんな非現実的な状況に置かれれば誰しも混乱するに違いないが、理性を保たなければと己を律する以前に、青年の動揺が凄まじかった。異世界ラブコメかな? これって夢? ベタ過ぎて一周回って新しいな! などと早口な上に聞き取れても意味が解らない言葉を興奮しながらひとしきり発し続ける。自分より動揺している人間がいると冷静になるようで、素性とここがどこなのかを問い質せば急にすっと落ち着き放浪者か、と真面目な顔をした。リビングに通され、この世界が地球であることとナイトメアなる脅威に晒されていること、自分のような異世界の人間は放浪者と呼ばれており、公的な保証が欲しいならSALFという組織に所属する義務があること。そして今のところ放浪者を元の世界へ戻す手立ては見つかっていないと説明を受けた。
 青年は呈示する。件の組織に所属して市民権を得るか、頼らず好きに生きるか。ただし後者を選ぶなら一人で生活するのは難しく、彼の目の届く範囲で暮らす他ない。何故ならば何をするにも身分を証明出来ず行動が制限されるからだ。好きにしたらいいと青年は突き放す素振りを見せる。同時に部屋が有り余ってると受け入れる姿勢も感じられた。
「わたくしは――」
 実を言えば気持ちの整理は全くついていない。だが自分が何をしようが状況が変わらないということは理解した。ここには父も母も兄たちも、顔さえ知らない添い遂げようとしていた相手もいない。結婚が嫌で失踪したと誤解を受けている懸念はつきまとうが、どれだけ考えたところで答えが見つかるでもない問題だ。出来ることを努めて冷静に見極める。
「この地ではフォルシウス家の姫ではなく、いち放浪者として生きてみたいと、そう思います。経験はありませんが戦えというのなら、危険もまた自らの糧にしましょう」
 自分の足で立ち、見たいものを見てやりたいことをやろう。青年は帰る手段がないと言うが、突然異世界に転移したということはその逆も然りだ。再びカロスに戻る可能性もあるのではなかろうか。なら自由を謳歌するのも悪くない筈だ。
 それじゃ偽名でもつけとけば? そう何の気なしに青年が頬杖をついて言う。は、と短く息を吐く。
「SALFという機関に所属する必要があるのでしょう」
 言外に名を偽る行為を咎めれば、それも好きな時でいいよと彼はまるで他人事だ。しかし納得していない様子を見かねて、本名を名乗る規則はないと説明する。確認する手段もないしね、とも付け足して。
「別の名と言われてもすぐには思いつきません」
 言えば青年は一拍置き、じっとこちらを見据えて名前を訊いてきた。躊躇は一瞬。
「ロゼリン。ロゼリン・フォルシウスです」
 ロゼリン、ロゼリンと彼は口の中で繰り返し音を滑らせる。そして十秒程経過すると、閃くというよりもまるで全てを悟ったような顔をして、桃簾ってのはどう? と妙にいい笑顔で言った。
「トウレン?」
 馴染みがない響きに小首を傾げれば、なんか聞き覚えがあるなと思ったらロザリンだ、あ、ロザリンっていうのはチューライトの別名で、でもチューライトって長ったらしいし、なら和名の桃簾かなって、ちなみにさ桃に簾って書いて桃簾ね、簾っていうか御簾だけど大名とか公家が使うイメージもあるし……我ながらナイスアイディアじゃないか!? と早口でまくし立てた。使用人に名を呼ばれると我に返り、咳払いし腕を伸ばしてくる。頭に触れてくるのではと咄嗟に身構えたのを他所に、彼は空中で指を縦に動かした。指先は顔から逸れ、横目で見れば自身の髪が視界へと入る。
 楽しげに青年が微笑む。髪の色と似てる、だからこの名前が浮かんだんだと言い。それを見ながら、かろうじて聞き取れた先程の説明を反芻した。検討するのではなく飲み込む為に。
「ではこの先、桃簾と名乗ることにします。――わたくしに名前を与えてくれてありがとう」
 言葉を切り、彼の名を呼ぶ。するとハッとしたように彼もようやくフルネームを名乗った。そして急に立ち上がるので驚いていると、実物を見てほしいと言い残し、勢いよく飛び出していく。それを呆然と見送った後、真正面に向き直れば使用人――ここでは家政婦というらしい――と目が合い、すみませんと頭を下げるので桃簾は首を左右に振った。

 大切に抱えた鉱石はあの日と変わっていない。研磨されていないそれはありのままの形の標本だ。青年の他のコレクションと比べると地味な筈なのに、何故だか目立つ所に飾られている。白や濃いピンクも混じっているが、ベースは桃簾の髪と同じ鴇色だ。
 少し前に友人が話してくれたことを思い出す。彼女は桃簾と同様に春という季節を彩る花の名を冠していて、その共通点からふと話題にのぼったのだ。
「桃は邪気を払う花なのだと、確か言っていましたね」
 女児の健康と成長を願う雛祭りは桃の節句とも言う。神話や民話にも登場すると聞いたので、次にまた図書館巡りをする際には是非調べておきたいところだ。
 青年としては偶然に自分の趣味と結びついただけで、特に深い意味はなく、思いつきで付けただけかもしれない。あの時点では桃簾は身の振り方を考えていなかった。ナイトメアと戦うのはあくまで選択肢の一つに過ぎず、まだ想像の埒外だったのだ。
 青年の言葉の欠片を拾い、新しい意味を知る度に楽しくなる。
「この名に相応しい人間でありたいと思います」
 “桃簾”を形作るものとして自らと重ね合わせれば、愛着が生まれてますます気に入っていく。手の中の無垢な桃簾石を見つめ、愛おしげに破顔すると桃簾は青年の様子を見に行こうかとそんな風に思いを巡らせた。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
筋金入りのオタク気質らしいのと一言のセリフから
保護者さんのキャラをかなり勝手に広げてしまいました。
突然やってきた桃簾さんを受け入れ一緒に暮らせるのは
本当に凄いことですし、名前や服装以外にもこうして
桃簾さんに影響を与えていると思うと微笑ましいですね。
前回の話が期待外れだったら申し訳ないという気持ちは
ありますが、何度もご縁を頂けるのはとても嬉しいです!
今回も本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2019年06月13日

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