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『雨の終わり 』
ジェーン・ドゥ8901

 雨はまだ降っていた。

 ジェーン・ドゥ(8901)は髪から滴る雨水を眺めながら歩く。

 どうして、自分はこんなに空っぽなんだろう。

 別に青年と触れ合ったからと言って、失った何かが取り戻されるわけではなかった。

 そんなことは分かったいたはずだ。

 空っぽの心。

 抜け殻の様な心。

 それは、今まで供物に捧げられてきた者たちと変わらないことを意味している。

「私も、供物だったのかしら」

 ずっと昔のことだ。

 その頃の事なんてもう記憶にもない。

 いや、もしかして、記憶も食われていたのかもしれない。

「これから……」

 行く当てなんてなかった。

 あんなことをしてご主人様の元へ戻れるはずもなかったし、かといってもう青年の元にも戻れない。

 これは自分への罰なのだとすれば、納得できる。

 それだけ酷いことを自分はしてきた。

 青年を撫でた手も、青年に撫でてもらった頭もあんなに温かかったのに、今ではもう温度をなくして冷え切ってしまっている。

(きっとご主人様は笑っているでしょうね)

 こうなることも彼には予想できたのだろう。

 だからこそ追ってはこなかった。

(そう、よね)

 行く当てがないのならあの教会へ戻るしかない。

 頭では分かっている。

 それでも、足は教会とは反対方向へ向いたままだ。

(あそこへ戻るのは嫌)

 戻ればどんなお仕置きが待っているかは考えるまでもない。

 それ自体は辛くはない。

 それよりも辛いのは知ってしまったこと。

 どれだけの人の気持ちを、命を踏みにじってきたのかを。

 自分がしてきたその罪の重さを知ってしまった。

 知ってしまった以上、罪の意識を感じてしまった以上、もう出来ない。

(でも……)

 戻れば、同じことを延々と繰り返すことになる。

 それが、彼の望みだから。

(それだけは嫌)

 ぼんやりとした感情の中、それだけは感じることが出来た。

 勿論、ご主人様への忠誠心が薄れたわけではない。

 心を霧が覆うように漠然としたそれをはっきり感じることが出来る。

 昔はこの忠誠心に理由があったんだろうか。

 それも思い出せない。

「もういっそ……」

 足が止まったのは人気のない路地だった。

 そっとかつて少女から託されたカッターを取り出し、その刃を見つめる。

(いっそ、死んでしまえたら……)

「ごめんなさい。死んで償えるわけではないけれど、それでもごめんなさい」

 その言葉は、ご主人様へだろうか。

 今まで騙してきた供物たちへだろうか。

 このカッターを託した少女にだろうか。

 それとも、こんな自分を好きだと言ってくれた青年にだろうか。

 彼女の口から最後に零れた懺悔は誰に対するものなのか彼女自身にも分からなかった。

  ***

 気が付くと、ジェーンはどこかの部屋の中にいた。

 どこか見覚えのあるその風景に彼女は視線を巡らせるが、どこなのかは分からない。

「……ありがとう。ジェニーちゃん」

 聞き覚えのある声と共に抱き上げられる。

(――君?)

 視界いっぱいに青年の姿が映る。

 目にいっぱいの涙を浮かべ、彼はそっと頭を撫でてくれた。

 ぽつりと青年から落ちた涙がジェーンの身体を濡らす。

(そうだわ、ここはこの子の……)

 見覚えがあると思ったのも当然だ。

 つい数刻前までこの部屋の中で彼に会っていたのだから。

 どうしてなのか分からないが、もう一度会えたことが嬉しくてジェーンは微笑む。

「あぁ、泣いてちゃいけないよね。支度するからちょっと向こう向いててね」

 抱き上げられ鏡の前に置かれるジェーン。

(どういうこと……?)

 鏡に映った自分は、青年に何時か渡した木偶人形だった。

 記憶の最後は、雲間から見えた青い空。

 ぬるりとする自分の手と、首元を流れる温かさに自分はまだ人間だったのだとどこかで安堵して、そして意識は途絶えた。

(死んだはずなのに)

 理解が出来なかった。

「さあ、お待たせ、ジェニーちゃん」

 混乱するジェーンを抱いて青年は外へ出た。

「雨、やっと止んだね。良かった」

 そう言われて視線をやると空は雲一つない快晴だった。

「そっか、ジェニーちゃんも嬉しいんだね」

 分かるよ、と青年はジェーンと共に笑って歩き出した。

  ***

 それから数十年後、

「やっと、触れられるわね」

「ジェニーちゃん?」

 ジェーンは皺だらけの元青年の手を取って微笑んだ。

「また会えたんだね」

 涙ぐむ青年の口元へそっと指をやってジェニーは微笑む。

「ずっと側で見ていたの。でも、ずっとこうしたかったわ」

「え?どういう……」

 不思議そうな表情は幼い頃からずっと変わらないな、とジェーンは思う。

「いいえ。――君、もうずっと一緒よ」



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 8901 / ジェーン・ドゥ / 女性 /20歳(外見年齢)/ 鎖が解かれる時 】
東京怪談ノベル(シングル) -
龍川 那月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年06月17日

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