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『水に映る影 』
ラィル・ファーディル・ラァドゥka1929

 道の果ての空に、明るい星が輝き始めた。
 速足で歩いていたラィル・ファーディル・ラァドゥ(ka1929)だったが、そこで諦めたように足を止める。
「あかんなあ。さすがに間に合わんかったか」
 頭を掻いて空を仰ぐ。

 ある町のバザールの噂を聞いて、売り物を持って訪れたのが今朝のこと。
 バザールは規模こそ小さいがなかなかに賑やかで、両隣の売り子たちとも楽しく話しているうちに、あっという間に時間は過ぎた。
 共に酒場にと誘う声に後ろ髪を引かれつつ、翌日の予定もあったので町を出ようとした。
 ところが、そこで親とはぐれた迷い子に出くわしてしまい、そのまま見捨てることもできずに親を探し、慌てて出立したのだ。
 途中で荷馬車にでも逢うかと思ったが、とことんツキがなかったらしい。
 街道を歩いているうちにすっかり日が暮れてしまった。

「こんな時間に出くわす奴に、ろくなのはおらんやろうな」
 もっとも、他人がここで一人歩いているライルを見かけたら、やはりそう思うのだろうが。 
「ここからがんばっても、一番近い村に着くのは真夜中になるやろな。完璧に不審者や」
 ラィルは足を街道沿いの森に向ける。
 とりあえずは喉の渇きをいやしたかった。

 こんもりとした森には、時々旅人が立ち寄るらしく、下草を踏んで歩いたような跡がある。
「水のにおいやな」
 ラィルは確信し、さらに進んでいく。すると微かな水音が聞こえてきた。
 木々の隙間から見えるのは、小さな泉だった。
 ライトの小さな明かりで照らすと、鏡のように光を反射する。
「へえ。昼間に見たら、綺麗なんやろうな」
 ぐるりと照らしてみると、泉は小さな岩の割れ目から湧きだす水が流れ込んでできたものだった。
 みずみずしい草を踏んで近づき、流れ込む水を手に受ける。
 冷たい水に触れると、そこから疲れが流れ去っていくようだ。
「まあ大丈夫やろ。根拠はないけどな」
 ラィルは手に受けた水を飲んだ。うまい水だった。
 続いて顔を洗い、タオルで拭うと、大きく息を吐いた。
「はあ。生き返るわ」

 今夜の宿はこの場所と決めて、荷物を置いた。
 そこでふと、水が流れ出してくる岩にあるくぼみに気づいた。
「なんやろ?」
 明かりを向けると、明らかに人の手で加工されてできたものだ。
 表面を覆う苔を取り除くと、小さな人の姿が岩に刻まれていることが分かった。
「守り神なんかな。なんや、ええ感じのお顔やな」
 ラィルは思わず微笑む。
「うん、守り神さんがいるんやったら、宿を借りるのにご挨拶せんとな!」
 ひとり野宿する寂しさを紛らすように、ラィルは独り言をつぶやいて、荷物に括りつけていたリュートを取り上げた。
 バザールで誰も集まらないときに人集めに使うことがあり、かさばるが持ち歩いているものだ。

 泉に向かって座り、居ずまいを正す。
 頬を撫でる風は、何かを待っているかのように吹き過ぎて行く。
 軽く何度か弦を弾き、張り具合を調整する。
 静かに息を吸い、吐いて、やがて指は思いつくままの調べを奏で始める。
 初めは静かに、挨拶するように。
 やがて流れる水の美しさ、冷たさをたたえるように、流麗な調べ。
 それからのどを潤す水に対する感謝を伝えるように、柔らかな調べ。
 いつしかラィルは目を閉じ、音楽そのものに入り込んでいった。

 どれほどそうしていただろう。
 ラィルは演奏の手を止めないまま、薄く目を開く。
 泉の面には、キラキラと輝く小波が立っていた。
 そこで思わず手が止まる。
 月のない夜。ラィルは明かりを消している。
 ――では、あの光はなんだ?
 ちらちらと瞬く光が徐々に弱まり、消えそうになった。
 ラィルが慌ててリュートを奏で始めると、光はまた力を取り戻したかのように瞬き始める。
 魅入られたように光を見つめながら、ラィルは静かな調べを奏で続ける。

 光は何かに似ていた。
 弾むように水面の上に立ち上がり、やがてそれはヒトの形をとる。
 ラィルは目を凝らして光を見つめ続ける。
 光はラィルの視線に応えるように、ふわりと広がった。
 水面の上に花畑が現れた。
 風に吹かれる、色とりどりの花。
 蝶が遊び、華やかな鳥が舞う。
 その向こうには、天上の世界もかくやという美しい建物が連なっていた。
 そして夢のような光景の中、花を散らして踊る姿は――。

「やめろ!!」

 ラィルは突然、リュートの弦を激しく弾いた。
 千切れた弦は跳ね、手に当たって細く赤い筋を刻む。
 荒い息をつきながら草の上に手をつき、心を落ち着けようとする。
 水面の光は消え去り、夜の闇が静かにラィルを包みこむ。

「なんでや? なんでそんなもんを見せるんや?」
 口を突いて出たのは、弱弱しい言葉。
 だが疑問の形をとっていても、自分自身がその理由をよく知っていた。
 逢いたいと思っていたから。
 楽しそうな姿を見たいと思っていたから。
 自分の手で消し去った全てを、取り戻したいと思っていたから――。

 ラィルは笑っていた。
 くぐもった、何かを刻みつけるような声。
 それは泣いているようでもあった。
「あかんなあ。まだまだ修業が足らんみたいや」
 顔を上げたラィルは、岩の窪みの彫像を見た。
「僕の演奏を気に入って、お礼に見たいもんを見せてくれたんやな。きっと」
 彫像はもちろん何も答えない。
 ラィルは立ち上がった。
「途中で失礼なんやけど、ここにいると迷惑をかけそうなんや。もう行くわ」
 血のにじむ手に裂いた布を巻き付け、リュートを大事に荷物にくくりつける。
 泉に背を向けて歩き出し、数歩行ったところで振り返った。
 水面は黒々として、静まり返っている。
「いつか、もっとちゃんと落ち着いて演奏できるようになったら――そのときはまた、改めて聴いてもらうわな」
 そして今度こそ振り返らず、森を後にした。

 夜の街道を、ひとり男が歩いていく。
 吐息のような歌声が、か細い水の流れのようにその後を流れていくのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

またのご依頼、誠にありがとうございます。
今回はややシリアス気味にしようと思い、このような内容になりました。
もし現状にそぐわないようでしたら、過去の出来事としてお読みいただけましたら幸いです。
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ファナティックブラッド
2019年06月17日

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