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『聖女と狼姫の今日 』
柳生 楓aa3403

 スポーツ用のレギンス、その上から義脚の出力と動作に問題がないことを確かめて。
 柳生 楓(aa3403)は「よし」、自分に弾みをつけて内へ踏み込んだ。
 ここは都内のスポーツジム。ボディビルダーがメインの客層であるがゆえに、高い負荷をかけられる設備がそろっていることで有名だ。
 さすがに平日の午後は人も少なくて、だからこそ楓は彼女をすぐに見つけることができた。
 黙々とレッグプレスを繰り返す彼女のとなり、同じマシンに我が身を預けてトレーニングを開始する。重りは彼女と同じ、170キロ。
「……」
「……」
 なにを言うことも言われることもなく、セットをこなしていく。
 そして。
「機械の脚を鍛える意味、あるのか?」
 ぽつりと投げられた彼女の言葉に、したり顔で返事をした。
「気は心じゃないですけど、これが私の脚ですから」
「そうか」
 そっけなく応えた彼女は、手早くマシンの後片づけをすませ、次のトレーニングへ向かう。
 彼女の名はリュミドラ(az0141)。元は愚神群所属のヴィランだった、アルビノの少女である。


 ジムを出たふたりは、路地裏にあるクラシカルな純喫茶店の一席で向かい合った。
「ベロニカ」
「同じものをお願いします」
 膝をそろえて座す楓の言葉に、ソファへぞんざいに背を投げたリュミドラは眉根を引き下げて。
「甘ったるいジュースとかじゃなくていいのか?」
「私だってコーヒーくらい飲みますよ」
 応えながら、楓はリュミドラの白面を窺った。
 彼女の目に敵意はない。ひと月前の投げ槍さも、今はずいぶん薄れているようだ。
「コーヒーが好きなんですか?」
 それが確かめられたから、なんでもない話題を振る。
 自分が実はなかなかに世話の焼きたがりであることは自覚していたから、気を引き締めて余計な心配が漏れ出すことを防ぐのだ。
「……女神がな」
 彼女を庇護していた鉱石の愚神は、存外に人の文化へ馴染んでいた。愚神に付き従う中で、リュミドラは『話をするときは茶を飲む』ものだと学んだのだろう。
 話をしてくれるつもりはある、ということですよね。
 運ばれてきたカップから立ち上るやわらかな香で顎先をあたためながら、楓は言葉を継いだ。
「トレーニング、今も欠かさないんですね」
「それ以外にすることもない」
 楓は眉をしかめてコーヒーをすするリュミドラへ砂糖壺を押し出してやって、「でも、体を休めることも必要だったでしょう? そのときはなにをしていたんです?」
 リュミドラは難しい顔で砂糖壺をにらみつけながら応えた。
「アクセサリーパックの中身を食ってた。……ただの暇潰しだ」
 欧米の戦闘糧食(軍用レーション)へ付属するアクセサリーパックには、塩や砂糖、ちり紙といった物の他、インスタントコーヒーや粉ジュース、ガムが収められている。戦闘の疲労と緊張を癒すためのちょっとした嗜好品だが、心にもたらされる救いは想像以上に大きいのだろう。
「戦闘糧食ですか。最近のはおいしいんですよね」
「なんでおまえが知ってる?」
「妹みたいな子がいつも食べてますから、分けてもらうこともあるんですよ」
 空色のアホ毛を思い出して、つい笑ってしまう。
 と、不可解な顔をしているリュミドラに向きなおり。
「そういえば、お気に入りのメニューなんてあるんですか?」
「別に。必要なカロリーと栄養が摂れればなんでもいい」
「最後に食べるって決めてるものは?」
「ストロベリーシェイク」
 あ。自分に失言に気づいて、リュミドラが赤瞳をすがめて逸らした。次いで、開きなおった表情でコーヒーへ砂糖を1、2、3。
 戦場での楽しみは、甘いものを食べることくらいなのだろう。甘味が多く収められた戦闘糧食は、それこそリュミドラにとってなんでもいいくらいのごちそうだったのだ。
 だから。
「このお店、タワークリームふわふわパンケーキなんてメニューがあるんですね」

 パンケーキを半分ずつ分けて、たっぷりの生クリームを味わうふたり。
「やっぱり生クリームですよね……明日太ってそうですけど」
「トレーニングを増やせばいいだろ」
「えっと――そうですよね、その、そうなんですけど」
 戦いがほぼ収まった今、日々の中で運動する機会はなかなかにない。楓は自分の二の腕を寂しげに見やり、息をついた。
 逆に、なにを気にすることもなくパンケーキを食らっていたリュミドラは、ふと手を止めて。
「……今日はなんの用だ?」
 今さらながらの問いを投げてきた。
「それは」
 口ごもった後、楓は整理する。
 リュミドラの元を訪れたのは、H.O.P.E.の観察下にある彼女と面会するためだ。
 すでにライヴスリンカーではない彼女が愛銃“ラスコヴィーチェ”を繰ることは不可能で、戦争終了後に犯罪行為を犯していない彼女は、犯罪者ではなく更生保護の対象者として扱われていた。夜間こそ専用の施設に戻ることを強要されはするが、朝から夕方までは基本的な自由が保障されている。
 それを知りながら、施設ではなく街で会うことを選んだのは――楓の私情だ。おぼつかない足取りながら先へ向かい始めたリュミドラに会いたいというだけの。
 しかし。自分の我儘を素直に告げてしまえば、そんな自分の気後れを見透かされるのではないか? そう思ってもしまうのだが。
「会いに来ました」
 迷いを振り切り、口にした。
 不器用で意固地な自分をまっすぐに貫き、ここまで来たのだから、今このときにもリュミドラへ尽くしたい誠意を貫こう。
「ただ会いに来たんです。好きなものとか趣味とか、なんでもないことを訊いて、そうだったんですねってうなずきたくて。ずっと戦場で向き合ってばかりだったから――そうじゃないあなたの毎日を知りたくて」
 リュミドラは深い息をつき、楓の視線を手で追い払う。
「父さんは最期、あたしに死ぬなって言った。群れのみんなもあたしを生かすために尽くしてくれた。あたしはそれに応えなきゃいけない。できること探して、みんなが待ってるところに行けるまで、生き続ける義務がある」
 いつになく長い、実に彼女らしい不器用な語りを終えて、彼女はすっかり冷めてしまった甘いコーヒーを飲み下した。言葉にしきれない万感を腹の奥へ収めたいかのように。
「いっしょに探します。私はあなたのそばにずっといますから」
 無理強いするつもりはなかったはずなのに、気がつけばそんなことを言ってしまっていた。
「失せろって言ってもくっついてくるつもりなんだろ?」
「つもりじゃなくて、確定です。だって、不器用で意固地な聖女様――それが私なんですから」


 店を出た楓は、リュミドラにスマートフォンの画面を見せた。
「あのジムの会員手続きが終わりました。あなたのトレーニングについていけるよう鍛えなくちゃいけませんし」
「もうどっちが目的で手段かわからないな」
 口の端を歪めたリュミドラは彼女に背を向け、歩き出す。
「じゃあな、聖女様」
「じゃあなじゃありませんよ」
 楓はリュミドラの前へ回り込み、顔を合わせて。
「またね、です」
 そして身を翻して駆け出したのだった。

 私と家族になりませんか?

 ――そんな言葉を胸へ押しとどめて。
 今はまだ問うべきときではなかったから。リュミドラが狼ではなく人として自らの行く先を定め、明日へ踏み出せるまでは……見守る。
 焦りませんよ。リュミドラさんとの新しい勝負、まだ始まったばかりなんですから。
元狼姫は、さぞかしやげんなりしているのだろうなと思いつつ、楓は笑みを深めて義脚を踏み出させていった。
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2019年06月18日

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