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『監獄の堕天使』
デルタ・セレス3611)&石神・アリス(7348)


 不景気と言われてはいる。
 だが、芸術という腹の足しにもならぬ分野に金を注ぎ込む人々が、いなくなったわけではない。
 彫刻の専門店などという需要に乏しい商売が、どうにか成り立っているのが何よりの証拠だ、とデルタ・セレス(3611)は思う。
 何人かの著名芸術家が、定期的に道具や素材を注文してくれる。小中学校から、美術の授業で用いる物の大量発注が来る事もある。
 だからと言って当然ながら、たまたま店に足を踏み入れてくれた一見客を、疎かに扱うわけにはいかない。
 その客は、もう随分と長く店内にいる。
 少女だった。
 セレスと同じく中学生か、あるいは大人びた小学生か。
 小柄な細身で、どこかのお嬢様学校の制服らしきものをきっちりと着こなしている。
 この少女をモデルに、彫像を造ってみるとする。さらりと美しい黒髪は、木材でも石材でも再現が困難であろう、とセレスは思った。
 いくらか難しい表情を浮かべた、その可憐な美貌もだ。
 店内の清掃が終わったところで、セレスは声をかけてみた。
「あの……何か、お探しでしょうか」
「なかなか良いものを取り扱ってますのね」
 素材売り場に並ぶシナノキの円柱を1つ、愛らしい指先でそっと撫でながら少女は言う。
「ふむ、これは兎さん」
「?」
「ころころ丸まっている兎さんが見えますわ。例えばフクロウさんや猫ちゃんを彫ろうとしても駄目、無残な失敗作にしかならないでしょう。だって、この中には兎さんしかいませんもの。フクロウさんを彫るのでしたら……そちらの、檜ですわね」
 短めの角材を1つ、少女は指差した。
「猫ちゃんを彫るなら……ふふっ。店員さん、あなたのお勧めは?」
「猫ちゃん、ですか……」
 とある仏師の言葉、であるらしい。
 仏様は木の中にいらっしゃる。自分たちは、それを出すだけ。
 その仏師と同じく、であるかどうかはともかく、この少女は店内の木材に兎やフクロウを見出しているのだ。
 当然セレスには猫など見えない。
 自分が猫を彫るとしたら、どれを使うのか。それを正直に告げるしかなかった。
 セレスは、桂の丸板を手に取った。
「……こちらなど、いかがでしょう」
「ほうほう、なかなかの芸術眼。確かに、綺麗なレリーフの猫ちゃんが見えるよう……」
 言いかけながら、少女はようやくセレスの顔を見た。
 澄んだ瞳が、ギラリと不穏な輝きを孕む。
 目的のものを見つけた芸術家の目だ、とセレスは感じた。
「でもね、わたくしの造りたいものは猫ちゃんではなく人ですのよ。そう、あなたのような綺麗な人間!」
「え……?」
「申し遅れましたわ。わたくし、石神アリス(7348)と申しますの」
 少女が、ぺこりと礼儀正しく頭を下げる。
「で、あなた。わたくしの作品になって下さらない?」
「作品とは……」
「大会がありますの。在野の芸術家が腕を競い合う、芸術大祭……その彫像部門にね、わたくしエントリーしておりますのよ」
 彫像。つまりモデルになれ、という事であろうか。
「もちろん、それなりのものをお支払いいたしますわ。ここでちょっとポーズを取っていただくだけで結構ですから、ね? 後で必ず元に戻して差し上げますから」
「わ、わかりました」
 芸術志向の強い客ばかりが来る店である。このような要求をしてくる客も当然いる。
「どのようなポーズを……」
「まずは、やって御覧なさいな。芸術的と思うポーズを」
 彫刻専門店の宿命だ、と思いながらセレスは、両脚を広げて踏ん張り、存在しない弓矢を思いきり引いて見せた。
「ああもう駄目駄目、全ッ然ダメですわ」
 アリスが、容赦なく駄目出しをくれた。
「弓を引くヘラクレスなんて、あなたに一番似合わない題材でしてよ? あなたみたいな子が力強さと筋肉をアピールしてどうなさいますの」
「そ……そんなに駄目、ですか……?」
「あなたはもっと、可愛らしさと儚さと弱々しさをね……そう、まずは服をお脱ぎなさい」
 アリスの両眼が、不穏な輝きを孕んだまま、セレスを射竦める。
 硬直したセレスを見据えたまま、アリス自身がまずは制服を脱いだ。ぴっちりとしたレオタード姿が露わになった。
 脱いだものを、アリスが差し出し、押し付けて来る。
「そして、これを着なさい。わたくしの頼み事を1度受け入れた以上、拒否権などありませんわよ」
 少女の言葉が、それ以上に眼光が、セレスから一切の自由を奪い去っていた。
(僕は……何を、している……?)
 のろのろと、セレスは言われた事を実行した。ほぼ同い年と思われる、少女の目の前でだ。
 尊厳などというものが自分にあったのだとしたら、それを柔らかく優しく容赦なく蹂躙された、という気がした。
 気がついたらセレスは、その場に座り込んでいた。剥き出しの内股が床に密着するほど、ペッタリと。
 小柄な少女を、いくらか上目遣いに見上げる格好となった。
「そう……わたくしが求めていたものは、まさにそれ!」
 嬉しそうな声を上げながら、アリスは目を輝かせている。
 愉しげに、不穏に、禍々しく輝く瞳が、セレスを見下ろしている。
 見下ろされながら、セレスは動けなくなっていた。精神的な拘束力が、肉体的・物理的なそれに変換されてゆく。
「あ……貴女は……」
「わたくしの作品になって下さるのでしょう? 拒否権なしと、何度でも言いますわよ」
 床の冷たさが、左右の内股を、両脚を、下半身全体を支配してゆく。
 いや、それは石化の冷たさであった。
 セレスは、下半身から石像に変わりつつあった。
 喉元、声帯にまで石化が及ぶのは、もう少し先であろう。だがセレスは悲鳴を上げる事も出来なくなっていた。
 息を呑み、恐怖に支配されながらも、弱々しく呻く。
「モデル……じゃ、なかったんですね……」
「その通り、あなたはわたくしの作品そのもの……ご安心なさい、後で必ず元に戻して差し上げますわ」
 魔眼の輝きでセレスを束縛しながら、アリスは微笑んだ。
「大会期間中、ほんの2日か3日の辛抱でしてよ」
「そう……ですか。それなら……まあ……」
 石の冷たさが、硬さが、上半身をも支配しつつある。
 生身の少年から、石の少女へと変わりながら、セレスはもはや目を離す事が出来なかった。にっこりと優しく歪む、少女の美貌から。
 天使の笑顔だ、とセレスは思った。
 この天使が、約束を破るはずはない。そう思うしかなかった。


 天使は、最初から悪魔だった。
「ごめんなさいね。まさか、優勝してしまうとは思いませんでしたの」
 大会終了後の今も相変わらず、石神アリスは微笑んでいる。
 美術館の展示品と化したセレスを、熱っぽく鑑賞しながらだ。
「優勝作品というものはね、優勝の瞬間、作り手の私物ではなくなってしまいますのよ。私にはねぇデルタ・セレスさん、あなたという自信作を世の人々の目に触れさせる義務があるのですわ」
(何を言っているのか全然わかりませんが……)
 唇も舌も声帯も、石化したままである。声が出ない。セレスは、心の中で叫ぶしかなかった。
(あの、元に戻してくれるのでは……? 約束が違うような、その……僕、騙されたの!?)
「騙したのではありません。想定外の事が起こっただけ、ですわよ? そう、あなたの美しさは全くの想定外……」
 アリスは、両の細腕を広げたまま身を翻した。
 この自慢の場所を、全身で指し示している。そう見えた。
「わたくしね、ちょっと可愛い美しい程度のものを、ここに飾ったりはしませんもの。あなた、誇りに思ってよろしくてよ」
 美術館である。今のセレスと同じような石像が、瀟洒な感じに並べられている。展示されている。見せ物にされている。
「ああ本当にもう、どういたしましょう。もちろん自信のない作品で大会に挑むわけはないにせよ、まさか優勝してしまうとは」
 アリスは、おどけているのか。
 半ば本気で、困惑しているようにも見えた。
「こうなれば……そう、ここで満足していては駄目。今後わたくしは、少なくとも今のあなたより美しい作品を造ってゆかねばなりません。それが優勝者の義務」
 可憐な美貌に、ニヤリと悪魔の笑みが浮かんだ。
「あなたの事……調べましたのよセレスさん。お美しく可愛らしい、ご姉妹がいらっしゃる」
(やめて……)
 セレスは、声を発する事が出来ない。
(みんなに、手を出さないで……やめて! どうか、やめて……)
「ご安心なさいな、セレスさん」
 アリスが、軽やかに背を向けて黒髪を揺らし、歩み去って行く。
「……寂しい思いは、させませんわ」
(やめてぇええええええ!)
 叫び声は、しかしセレスの石化した体内に籠もるだけだ。
 周囲の石像たち全てが、同じような悲鳴を、嗚咽を、絶叫を、解き放つ事が出来ず石の体内に反響させている。
 その禍々しい響きが、今のセレスには全身で感じられる。
 ここは美術館などではない。セレスは、そう思う。
 ここは、監獄であった。 
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東京怪談
2019年06月21日

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