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『働く父と戦う母』
松本・太一8504


 出社する人間が、ほぼ半分になった。
 大規模なリストラを断行した、わけではない。仕事を、大きく2つに分類しただけである。会社へ行かなければ出来ないもの、端末1つあれば自宅で片付けられるもの。
 営業の仕事は、まあ後者ではないだろう。生身の人間を相手にしなければならない仕事である。取引先まで直接、身体を運ばなければならない。逆に、社外から来た人間に対応しなければならない時もある。
 だから松本太一(8504)は、本日も定時に出社した。
 そして、定時に退勤するところである。
「やあ松本君、お疲れ様」
 トイレで用を足し終えたところで、声をかけられた。
 恰幅の良い老年男性である。真っ白な頭に頭巾を被り、ワイシャツの上から前掛けをまとい、マスクにゴム手袋、長靴まで装備している。
 太一は頭を下げた。
「どうも、お疲れさまです……これから、トイレのお掃除ですか?」
「ここだけ終わったらね、俺も上がるから」
 老年男性が清掃用ロッカーを開け、道具を取り出している。
 相談役、という肩書きを持った人物である。
 こういう、何をしているのか不明瞭な人々に、まずは明確な仕事をさせる。それが重要なのだ。
 会社として、利益を上げるのは容易ではない。だが無駄を省く事は出来る。
 椅子に座ってお茶を飲んでいるだけ、窓際で呆けているだけ、会社のパソコンでネットを眺めているだけ。そういった社員に、何でも良いから作業をさせる。例えばトイレ清掃でも立派な仕事であるという意識を持たせる。
 そのために太一は少しだけ、『夜宵の魔女』の能力を行使した。本当に、少しだけだ。
「松本君は、今日も外回り?」
「はい、お得意様とのお話に専念出来ました。おかげさまで」
 何しろ人が少なくなったので、会議が減った。もともと不必要な会議であったという事だ。
 様々あった不要な物事から太一は解放され、営業回りに専念する事が出来た。早急に決めておかなければならない事も、定時までにあらかた片付いた。
 無駄を省き、効率を上げる。何か新しい事を始めるよりも、そちらの方が容易く利益に繋がるのだ、と太一は思う。
 自分に、新しい事を始める才覚がないだけかも知れない、とも思う。
「いやあ、身体を動かして仕事をするのも久し振りだよ。この爽快な気分も久しく忘れていたなあ。最近ね、ビールが美味いんだ」
「飲み過ぎないように気をつけて下さいよ。お先、失礼します」
「おう、また明日」
 もう1度、頭を下げて、太一はトイレを出た。


『中途半端な力の使い方をするのねえ』
 太一の中にいる女性が、呆れている。
『貴方その気になれば、会社勤めなんてしなくても生きていけるのよ? 新しい世界の創造主にさえ成れる、そんな力を……ただ会社の職場環境を良くするためにだけ使うなんて。まあ別にいいけれど』
「会社勤めはね、もう辞められません。30年近くも続けていると、もう人生そのものになってしまいますから」
 1人、夜道を歩きながら、太一は姿なき相手との会話を続けた。
「それに、新しい世界の創造主なんて大変じゃないですか。万年平社員をやっていた方が気が楽です」
『冴えない万年平社員……貴方を、そんなものだと思ってはくれない連中もいるわけで。さあ、どうするのかしら?』
 その言葉通り、と言うべきであろうか。
 太一は、取り囲まれていた。
 黒い、としか言いようのない一団が、太一を包囲している。人数は5、6名か。全員、黒い衣服と言うか闇そのものに身を包んでいる。顔も見えないが、そもそも顔があるのか、と太一は思った。
 表情が、感情が、この者たちにはあるのか。
「松本太一……お前の存在を、抹消する」
 抑揚に乏しい男声。機械による合成音のようでもある。
 人か機械か判然としないものたちによる包囲の中で、太一はいつの間にか『夜宵の魔女』に変わっていた。ほぼ無意識にだ。
 身体が、本能が、危険を察知したという事だ。
「どちら様……ですか? 夜会関係の方?」
「様々な情報への度重なる違法アクセス……お前の行動は、黙認の限界を超えたのだ」
 黒いものたちが、武器と思われるものを構えた。刃物にも銃器類にも見える。
「ゆえに存在抹消を実行する。委員会の決議である」
「委員会と来ましたか」
 詳しく訊く必要のない事だ、と太一は思った。そういうものが、この宇宙のどこかに存在していて、『夜宵の魔女』の行動をマークしていたという事だ。
「正義の味方、というわけですね……まあ確かに、私は魔女ですけど。それも能力使って好き放題やってるわけですし」
 太一は、とりあえず微笑んで見せた。
「でもあの、誰か……困ってる人、います? 確かに洗脳に近い事もやってますけど、でも放っておけばパワハラで誰か自殺させちゃうかも知れない人の意識とか習慣をアレコレ弄って、誰からも好かれる上司に改造するのって……そんなに、いけない事? まあ……いけない事、なのかなぁ」
『駄目よ、弱気になったら』
 姿なき女性が、呑気な声を発した。
『ここは自分の正しさを押し通しなさい。正しくなくても正しいと思い込む。貴女は、そのくらいがちょうどいいのよ』
「そ、それって……色々と問題起こしちゃう会社の、経営陣の考え方です……」
 そんな会話をしている場合ではなかった。
 黒いものたちが、謎めいた武器を向けてくる。
「抵抗はするな。苦痛が長引くだけだ」
「お前の存在は消える。最初から、無かった事になる。ただそれだけの事、心静かに受け入れるが良い」
「な、なるほど。私、最初からいなかった事になっちゃいますか……その場合って」
 太一は訊いた。
「……私が、今までやって来た事も? 無かった事になるわけですか。例えば、あの子……普通に親御さんに殺されて、それっきり……ですか?」
「それが本来あるべき事態。全てが、その状態に戻るだけの事。心静かに受け入れよ」
 謎めいた得物が、夜宵の魔女を包囲したまま光を発した。
 全てを消滅させる光。太一は、そう感じた。相手の肉体、命、存在、ばかりではない。過去の行動、それによって生じた物事をも、消し去ってしまう光。
 激しく羽ばたくものが、その光を打ち払い粉砕していた。
 光の破片を蹴散らしながら、それは夜宵の魔女の肢体をふわりと包み込む。
「姑獲鳥の……羽衣……」
 太一は、それを拒み振り払う事が出来なかった。
 細腕が、翼に変わる。凹凸のくっきりとした身体が、柔らかな羽毛をまとう。
 ハルピュイアが、そこに出現していた。汚物を撒き散らす害獣ではない、本来の姿……凶暴化を遂げた、風の女神。
 その翼が、激しく空気を打つ。豊麗な胸の膨らみが横殴りに揺れ、むっちりと肉感溢れる太股が猛々しく禍々しく躍動し、猛禽の爪が一閃する。
 黒いものたちは、砕け散っていた。肉片か、機械の残骸か、よくわからぬものが大量に飛散しながら消滅する。
『そう……それがね、今の貴女よ』
 姿なき女性が、告げた。
『誰かを守るというのはね、そういう事なの。守る事は正しい、守るためならば全ての暴虐が肯定される……そう思わなければね、やっていられないわよ』
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年06月28日

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