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『静空圏 』
リィェン・ユーaa0208

『3、2、1、パージ』
 通信機によってデジタル化されたリィェン・ユー(aa0208)の声音が音へ再変換され、管制室へと届く。
 と、同時。成層圏を突き抜けたロケットから個体ロケットブースターがパージされた。
 さらに中間層から熱圏へと至ったロケットは空気抵抗を減じるための上部フェアリングを分離。第1段メインエンジンの燃焼を停止して分離。第2段メインエンジンを始動させてこれもまた分離。本来は衛星などが積まれる先端部に据えられた“石頭”からいくつものフェアリングをパージしつつ、上へ、上へ、上へ。ついには外気圏へと達し、“石頭”はブースターを繰って自身を安定させた。
「目標高度に到達、軌道も安定した。各部に異常なし……と、宇宙ステーションから祝電が来てるな。せっかくだから遊びに来いとさ」
 対Gジェルで満たされた“石頭”の内、いつもどおりの神経接合装備に身を包んだリィェンは、踏みしめることのできない地球を見下ろして苦笑した。
 宇宙ステーションは高度400キロを、その質量と地球の重力との釣り合いを保つため凄まじい速度でぶっ飛んでいる。その倍近くの高度にいるだけでなく、わずかな質量に釣り合うだけの出力しか備えていないリィェンがランデヴーできるものか。
 管制室で同じように苦笑したグロリア社の技術者が付け加える。共鳴していないことを忘れないでくださいよ。
「わかってる」
 応えたリィェンは1000度を軽く超えている外気温を確かめ、息をついた。
 彼自身が開発に関わった神経接合式装備は、延髄部に据えつけられたコネクタによって彼と同調し、意志ばかりでなく反射や無意識までもを反映して駆動する。
 それをそのままに生かした神経接続式小型有人衛星こそが“石頭”であり、現状はリィェン専用機としてしか使い道のない代物なわけだが、なぜそんなものが造り出されたかといえば――
 管制室からのゴーサインを受けて、リィェンはできるかぎりの「いい声」で語り出した。
「地球のみなさん、ごきげんよう。来年の8月に世界一斉公開されることが決まりました映画『Heavy Blade』、その主人公の元になったH.O.P.E.エージェント、リィェン・ユーです」
 彼よりも高い場所を飛ぶ衛星により、彼のコメントは世界各地のテレビ番組やラジオ番組へ中継される。
 文言が少しややこしいのはしかたないことだ。彼を主役に据えた映画の製作許可を出したとはいえ、さすがに自分が主演するわけにもいかないし、古龍幇はカンフーに覚えのある実力派を主演としてねじ込んでくれた。彼がハンサム過ぎないところもリィェン的にはありがたいところだったのだが、ともあれ。
「今、自分は地球から約800キロの上空を飛んでいます。定義で言えば高度100キロから宇宙らしいんですが、ここまで来て思い知ることがありますね。800キロから10000キロまでは外気圏で、自分はまだ本当の意味では宇宙に辿り着いてないんだって」
 そしてひとりの女性の顔を思い浮かべて、さらに語る。
「それだけじゃない。映画では最終決戦の場所になる月までの距離は、384400キロ。誰かを月まで連れていくには383600キロも足りてなくて」
 最初は断った映画の話を受けたのは、交換条件として彼専用にしかなりえない“石頭”を得るためだ。これがあれば、共鳴していなくとも宇宙へ行ける。彼の手で、彼女を月まで連れて行ける……そう思ったのに。しかし月まではあまりに遠く、だからこそリィェンはもどかしさで胸を押し詰める。
「映画の公開に合わせて月まで行けるかはわからないんですが、どうせなら月から見たいですね。映画の封切りも、そのときの地球も」
 リィェンは一度言葉を切り、息と心を整えた後、再び口を開いた。
「せっかく来た宇宙ですが、今日はテストなのでこのまま地球へ戻ります。衛星も星といえば星ですから、流れ星代わりに願いをかけてもらえたら」
 通信を切り、自らと繋がる“石頭”へ減速を命じたリィェンもまた、心の内で願うのだ。
 どうか、俺が君との約束を果たせるように――

 そして“石頭”は北太平洋のただ中へ着水し、リィェンはテレサ・バートレット(az0030)の出迎えを受けて香港へ戻る。
 後ろに、時の人である彼と、その関係が噂されるテレサを追いかけるマスコミを引き連れて。
「……地球は騒がしいな。空の上とは大違いだ」
「こうなると月に逃げたくもなるわね……」
 互いに言い合って、そして。
 リィェンは心を決める。


 通常ではありえないハイペースでテストを重ねるのと同時に進められてきた、映画にも登場するパワードスーツが完成した。
 神経接合システムにかかる重量的、操作的な負荷の増大が、リィェンにどれほどの影響を与えるかを計るため、まずはパーツの一部だけを接続した状態でのテストが行われることとなったのだが。

『リィェン君、ランデヴーに入るわよ』
 高度8000キロメートルで軌道を固定し、2時間余りの単独飛行を続けていた“石頭”。それに追いついてきたシャトルからテレサが告げる。
『ああ。いつでも』
 応えたリィェンは、神経接合装備の上からパワードスーツの背骨部分だけを装着した状態で、“石頭”の内より応えた。
 神経接合システムからのデータで誘導されたシャトルが“石頭”と並び、アームを伸ばしてホールド、ゆっくりとカーゴの内へ抱え込む。
『回収完了。リィェン君はそのまま待機してて』
 システムを通じてデータがシャトルへ送られていく。
『重量増大による負荷はほとんどないみたいね。これなら次は外気圏の外でテストできそう』
 テレサが英雄と共にここへ来たのは、各種データの収集やシチュエーションテストのためばかりでなく、不測の事態が起こった際に共鳴して事へ当たるためだ。
 不測の事態を起こさずにすんだことをうれしく思いながらも、リィェンはため息を抑えきれない。
「外気圏の外か。そこまで行っても月まで30000キロ近くあるんだよな」
『あきらめて宇宙遊泳くらいにしておく?』
 テレサの顔が見られないのはつまらないが、逆に顔を見ていないから、少しだけ大胆になれる。リィェンはテレサの英雄が側にいないことを確信して――なんだかんだで気を利かせてくれているだろうから――言い切った。
「あきらめるわけないだろ。そのために共鳴しなくても月まで行けるシステムを開発してるんだからな」
『え?』
 そんなことのために、と、テレサは思っているだろう。でも。
「俺だけが飛ばせる船に、君だけを乗せて行く。誰も追いかけてこれない月まで」
 手に入るはずだった権益のすべてを古龍幇とH.O.P.E.に投げ渡し、リィェンはここまで昇ってきた。しかしそれは最初の一歩に過ぎない。あと383600キロ、なにを投げ打ってでも昇りつめてみせる。
 世界にただひとりしかいない、彼だけのヒロインの手を取って。
『月はきっと静かよね』
 テレサのため息にうなずき、リィェンは言葉を継いだ。
「中継さえ切っちまえば誰の声も目も届かない。ただし、俺以外のって注意書きつきだけどな」
 テレサは喉の奥で笑って。
『お弁当の宇宙食も用意しなくちゃね』
「せっかくだから君の料理の宇宙食化を進めてくれよ。俺はそれまでに鍛えとくから」
『意味わかんない! でも、了解よ』

 こうしてふたりは騒がしい地球へと戻っていく。
 高度8000キロメートルで交わした小さな約束を胸に抱いて。
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2019年07月08日

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