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『足跡は霞み消えゆく 』
ロベルla2857

 ――真っ暗闇だろうが現代の人間に恐れるものは何も無い。時間帯を問わず絶えず人の気配はそこかしこにあって、自らが鳴らす靴音の遥か遠くで微かに音が響く。朝になれば幾らか煩わしさを覚える程光を取り込む窓、そこに背を向ける形で狭い枠内へ腰を下ろした。特に何の意図もなく、手癖のようにポケットから取り出した煙草に火を点ける。一瞬の光源が消え失せた後でも、先端から幽かに紫煙が立ち昇るのが分かった。若干の間を置き口に咥えると背後へと振り返る。窓から見える夜空は新月――地球と太陽の間に挟まったが為に鮮烈な光に覆い隠されて輪郭も見えない。何も無いように見えるのだから終わりの方が相応しい気もするが、文字通り始まりを意味する。
(本当に生まれ変わってたら面白いんだがねぇ……)
 在る筈の月を眺めるのをやめて正面へと向き直る。上半身を軽く前へ倒し楽な姿勢を取ると黙って目を閉じた。自らの息遣いも消した空間に僅かながらも未だに音が聴こえる。探り当てる間もなくその正体が解った。いちいち口から煙草を離すのも億劫で、心の中で呟くに留める。
(こんな夜中に練習とは熱心なもんだ)
 一体何処の誰だか知らないし知りたいとも思わないが。躓く度に最初のフレーズへと戻る演奏は、己が望む望まないなど無関係に続いている。その拙い音色を引き金に、ロベル(la2857)は回顧の糸を辿り始めた。

 幼い頃に祖母が死亡すると孤児院へ引き取られた。そこには情報教育とかいう無意味でしかないモノがあって、誰しもが必ず受けなければならない授業の一つに音楽も挙げられていた。音楽の場合歌は特に顕著だが、芸術というジャンルは何よりもセンスが物を言う世界だ。努力をし続ければ一定のスキルは必ず身につく――なんてのはお伽話で、絶望的なまでに下手なまま上達せず、周囲の目が気になって授業を嫌がる子供もいた筈だ。実際に上手い部類の“仲間”に見下され、笑われていたのだから当然だろうが。
 自身もまるで興味は無かったが、此処に居続けなければならない以上やらざるを得ない。折しも、果たして純然たる善意だったのか疑問は残るものの、授業に使ってほしいと誰かから楽器が寄付されたところだった。新品かそれに近い状態の様々な楽器を興味のある子供から好き勝手に選んでいく。自分が選んだのはヴィオラだった。理由は単純に余っていたから。今にして思えば、一般的には小さめのサイズではあったが未成熟な身体で扱うには大きく、小柄な人間には扱い辛かったせいだろう。後は合奏ならともかくとして、独りで弾くにはあまり魅力がないとされていたのもあるのかもしれない。当時あの院に居た職員を含む者にどれ程音楽の知識があったのか不明だが。
 個々人で選んだ楽器の他にはピアノも有った。少なくとも来た当初から一室に鎮座しており、それなりに年代物のように見えた。教師代わりの職員だけでなく子供も自由に使っていい物だったから、粗雑な扱いを受けてひどく痛んでいただけかもしれない。割とすぐ触る機会があって二度目か三度目か、鍵盤に初めて触れてそう経たない内から何か弾けていた気がする。どんな曲だったか、そもそも何が切欠で演奏を試みるようになったのか。もはや記憶は朧げで、手繰り寄せようとしても見つからなさそうだ。
 ただ、このことは記憶している。何の意味も持たない筈の音楽の授業だったが、然し自らが出す雑音は他の雑音を掻き消す。フォーカスが外れてぼやけた視界に映る全てが目を閉じれば暗闇に沈み、そこには仮初の孤独が生じる。それを知ってからは授業以外でも時間さえあれば良く触るようになった。ピアノにしろヴィオラにしろ演奏の才能は有ったようで、誰か聴いている者がいれば必ず賞賛の拍手が返ってきたし、職員は世辞か本気か、練習を続ければ院を出る頃にはこれで食べていけるだろうとまで言っていた。自らに練習しているつもりなど毛頭なかったが、それを言ったところで彼らの中で凝り固まった空想が覆るわけでもない。覆したいと思いもしなかった。素直に受け止めることも謙遜することもせず柳のように受け流すだけだ。
 繰り返し繰り返し、飽きず音を鳴らし続ける。いつまで経っても消えないのは己の内から響く雑音だった。瞼を下ろせども光をじっと見つめた後のように焼きつく残像はそれだけでは何かよく分からないが、視覚と聴覚が同時に刺激されることで一つの像を結んだ。
 荒い呼吸。濡れた感触が肌に吸い付いてじゅるりと音を立てる。薄着でも露出しない箇所に刻まれるのは赤か青か。喉から悲鳴がほとばしるのは一瞬、じきに鈍痛にも慣れて何も感じなくなる。後は人形にでもなったつもりで唇を噛んでやり過ごせばいい。それはそれで“あれ”の逆鱗には触れるが、反応を示した方が長引く。一秒でも早く終わるのに越したことは無い。身体を縮こませて、息さえ肺に押し込んで飲み込んで。自らの身体も感情も既に在り処は此処には無い。――そんな断定が、己の心というものを証明している。楽器を通して自身の耳へと流し込んでいたのは、まさにそれだった。
 雑音で雑音を重ねて消して、残った自己の存在を確認し肯定している。その事実にふとした瞬間気付いて、そして何もかもが嫌になった。それは惨めという感情にも似ているかもしれない。何も知らず舞台に立って観客に笑われるピエロのような。
 知ってしまえば演奏という行為を続ける気になる筈もない。ぷつりと糸が切れたように敢えて近付かない様になり、一切触れることもなくなった。授業の一環なのだから当然、決して許されはしなかったが。慣れて諦めてしまった様々な行為ではなく、演奏を強要された事こそが離れる契機になったのかもしれない。

 最近は依頼で触れる事も少ないなりには有る。鍵盤を一つ叩く、たったそれだけでも何とも言えない感情が奥底に湧きあがった。誰かの為になどと大層な思惑はないが。自らの心を介さずに、知っている曲を求められる形でなぞる分に気楽だ。弾く行為がたまらなく嫌いで、なのにやめられない。誰に聴かせるでもないのに弾いてしまう性分に呆れる。
 ――過去は所詮過去だ。過去の自分と今の自分は、似て非なるモノ。そう思い、想い込んでいつしか心の臓はすり減るだけすり減っていった。振り返れども擦り切れるほど読んだ本のあらすじをなぞる様に自らが体験した出来事という実感は薄れ、記憶のパズルもボロボロになって繋がる筈のピースが判らなくなる。
「何も無くなればこんなに楽な事は無いだろうにね」
 吐き出した煙の後に零れるのは感慨の無い言葉だ。自殺願望は無い、だが同時に生に執着する理由も無い。もし夢物語の様に誰か一人の犠牲で世界が救われるというならば、名乗り出る事も吝かでは無かった。お陰で無事に世界は救われました。めでたしめでたし――なんてハッピーエンドにはならないにしても。ナイトメアが絶滅して幸せになろうが不幸せになろうがロベルには無関係だ。
 何事も適当で良いと思っている。つまるところ世の中はなる様になるし、なる様にしかならない。そういう仕組みで出来ている。一つだけ望む事、それは――。
「せめて死の先は“無”であると願うよ」
 そう考えたら少しくらいは生き易くなる。
 紫煙は闇に溶け、煙草も切れた。ロベルは息をつき立ち上がる。下手糞な音色はもう聴こえなかった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
他人事に近い淡々とした空気を上手く表現出来ているでしょうか。
もし自己解釈が入っている部分でミスがあったら申し訳ないです。
大きくぼかす形でも、というふうに書かれていた描写に関しても
ロベルさんの人格を形成する上で重要なことだろうと思ったので、
大分ふんわりした感じではありますが入れさせていただきました。
今回も本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2019年07月10日

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