『 夜舞 』

白鳥・瑞科（8402）

　端末の着信音が束の間の平穏に終わりを告げた。それを白鳥瑞科（PC8402）はわずかばかりの高揚感をもって紅く濡れた唇の端を愉悦に歪め受け止めた。
　内容に目を通し程なく時計を確認して軽やかな足取りで“そちら”へ向かう。
　任務の為の“作業着”に着替えるためだ。
　鏡の前で一糸纏わぬ身を晒し、椅子に浅く腰掛けラバースーツに足を通す。それだけの事がひどく艶めかしい。光沢のある黒いラバーが彼女の鍛え上げられたしなやかな脚線を際だたせた。立ち上がって腰まであげると動きを確認するように膝を曲げる。その太すぎず細すぎず均整のとれた太股の曲線美と丸みを帯びたヒップラインは思わず息を呑みたくなるほど婀娜めいていた。
　袖を通しスーツの中に潜り込んでしまった長く匂やかな髪を両手で持ち上げ首を振り背中に波打たせる。臍から鳩尾までファスナーをあげ、わがままに主張する豊満な胸を中へと押し込むと首までファスナーをあげて両腕を動かし括れた腰を軽く捻って動きの感触を確かめる。胸がたわわに揺れてしまうのは彼女のバストでは致し方あるまい。
　再び浅く腰掛けニーソックスに爪先を入れた。ただ膝上に食い込ませるだけの仕草がどこかエロティックに見える。勿論誰が見ているわけでもない。ラバーで覆われてしまった絶対領域にベルトを巻き、丁寧に切れ味を確認しながら数本のナイフをホルダーに収納していく。
　細い腰に更にコルセットを巻いて絞り上げると大きな胸は一段と主張を増した。上から纏った修道服は彼女のボディラインを浮き彫りにするもので、歩くたびに太股やヒップの形を露わにする。純白のケープと頭にはヴェールを被り、膝まであるロングブーツに両手にはロンググローブをはめて得物である剣を帯き鏡を見据えた。
　着替えを終えたのと高ぶりが頂点間近である事を確認して任務へ向かう。
　既に日の落ちた本日は星一つ月すら姿を現さぬ曇天。暗夜に風は強く瑞科の髪とヴェールを靡かせている。高層ビルの屋上から星屑を散らしたようなイルミネーション群を見つめているといっそ天と地がひっくり返ったようにさえ見えた。
　再び時間を確認して瑞科は屋上の端から身を投げた。
　任務はオートマトン――便宜上彼と称す――の破壊。そして組織の敵対勢力の資金源の阻止。
　瑞科はナイフを投げ壁に突き立てるとそれを足場に飛んだ。目標を発見。
　彼はちょうど隣のビルの屋上にいて地上を覗いていた。恐らくそこから下に飛び降りて手っ取り早くマシンガンによる無差別大量殺人を行おうというのだろう。
　瑞科は右手を伸ばし、その頭上から重力弾を放った。音にでも気づいたのか彼が瑞科を振り返ったが、重力弾が彼の腕を超圧縮してもぎ取る方が速かった。
　瑞科が軽やかに着地する。腰下までスリットの入った修道服の裾が舞って彼女の美脚が露わになったが、それに目を奪われるような感性を彼は持ち合わせてはいなかった。顔のないそれはまるで動くマネキンのような無個性さだ。ただ人を殺すために作られたプロトタイプ。性能テストと武器商人へのデモンストレーションを兼ねて東京の街を襲うようプログラミングされている殺戮兵器。将来的には、白人黒人金髪黒髪ｅｔｃ、各国の情勢に合わせた皮を被せて現地に潜り込ませ大量殺戮或いは暗殺を謀るのだろう。
『暗殺モード、移行』
　彼が囁くように機械音を吐いた。マシンガンと共に右手は失っているがマネキンに利き手もなにもない。左手に伸縮自在のレーザーソードを構えた彼に、瑞科は楽しげな笑みを浮かべた。
　こみ上げてくる悦楽。
　剣とレーザーが交われば得物の性能差は歴然だ。だからこそ、それを使う人間の力量が問われる。それが楽しくて楽しくて堪らないのだ。
　瑞科の剣が鞘ばしる。
　相手の攻撃を剣で受ける事は出来ない。ラバースーツは耐衝撃性能を備え腰に巻いたコルセットには薄い鉄板が仕込まれているがレーザーソードの前では豆腐を切るようなものだろう。とはいえ、これらに仕事をさせた事のない瑞科である。今日もさせるつもりはない。
　横に凪ぎ払われる切っ先を紙一重でかわす。彼女自身が紙一重なのではない、長い髪も宙に揺れるヴェールも遠心力で広がるケープにも触れさせない。
　その姿はさながら舞うかの如く彼の攻撃を危なげなくかわし、剣が彼の体の部品を削ぎ落としていった。
　スリットの隙間から繰り出された回し蹴りにも怯む事なく間合いを詰めてきた彼に、瑞科は一歩踏みだし返されるブレードを彼の頭を蹴って宙返りでかわす。
　向かいのビルが放つＬＥＤライトがまるでスローモーションのように彼女の姿を艶やかに切り取った。猫のような弓なりの姿は妖艶ですらあったが、残念ながら誰もその攻防を見る者はない――否。
　着地と同時に詰めてこようとするそれに瑞科は後方へ飛んだ。
　さすがに機械なだけあって無駄な動きがない。それでいて攻撃パターンは豊富で単調にもならない。疲れもしない。痛みも感じず怯む隙も見せない。
　けれど所詮、機械は機械だ。血流が上がり、体温が上がり、全身が滾るままに加速する瑞科を機械如きが捕らえられるはずもなかった。むしろ悪人であったなら、瑞科を捉えられない焦りと自らが追い込まれる窮地に翻弄され窮鼠猫を噛むくらいの手応えがあったかもしれないが。
　水滴が彼女の白皙の頬を冷ややかに濡らした。一瞬、集中が途切れたように瑞科は天を仰いだ。雨が降り出す前に終わらせるつもりだった事を失念していた。
　わずかに眉根を寄せたのは濡れた髪が肌にまとわりつく煩わしさを思ってか。だが、それで彼女の動きが鈍るような事もない。
　そろそろ終わりにしよう。高揚感は絶頂に達していた。
　握っていた剣がバチバチと光を纏う。
　刹那、閃光となって稲光った。
　地上の人々が夜の闇に放たれた光線に反射的に顔をあげただろうか。それは下から上へと疾った。
　一撃は光の速度で。迸る雷撃に黒こげとなって屋上に転がった彼に背を向け瑞科は静かに剣を仕舞い胸を小刻みに上下させ熱い息を吐いた。それから怪訝そうに視線を周囲へと巡らせた。
　まとわりつく不快感。まだ、終わりではなかった。
　このオートマトンはプロトタイプだ。そしてこれはデモンストレーション。ならば当然戦闘記録をとっている者がいる。恐らくは近くに。
　瑞科は再び屋上から飛び降りた。
　ナイフを刺して壁を蹴り目的の窓へと飛ぶ。
「ごきげんよう」
　窓辺に立ち瑞科は優雅な仕草で深々と一礼してみせた。濡れているせいか、向かいのビルから漏れるライトが彼女を白く浮かび上がらせている。
　キーボードを叩くことに夢中になっていた男が彼女を振り返り流れるような動きで脇のホルダーから銃を取り出し構えた。
「この至近では銃よりナイフの方が速いこと、ご存じないのですね」
　ひどく残念そうに憂いを帯びた目で囁いた彼女の言葉を最後まで聞く者はない。ただナイフを額に突き立てた男の体がどうと床に倒れ、彼女は目を閉じ鳩尾の前で軽く合掌しただけだ。
　神に祈る修道女のように。
　任務完了に瑞科は背を向ける。
　その報告と後始末を組織に告げる姿が少し沈んで見えるのは、満ち足りた時間が終わってしまったからだろうか。
　だが。
　また訪れるであろうまだ出会った事のない時間を思って、瑞科は天と地がひっくり返ったような雨の滲む夜の街に再び身を投じたのだった。



　END





━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

ありがとうございました。
楽しんでいただければ幸いです。

東京怪談ノベル(シングル)

斎藤晃

東京怪談

2019年07月11日