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『胡蝶 』
リィェン・ユーaa0208)&イン・シェンaa0208hero001)&aa0208hero002

 ぺしん。腰を落とすことで曲げた外膝で幼い女児の蹴りを受けたイン・シェン(aa0208hero001)は、かるく外功を通してその蹴り足を弾き飛ばし、左眼をすがめてみせた。
「急ぐあまりに気がまるで練れておらぬ。それでは武術の裾野へ足をかけるには及ばぬぞ」
 長く伸ばした金の髪を後ろで束ねた女児は、気の強さを映して強く吊り上がった眉を一層吊り上げ、呼気を噴く。
 その様を満足気に見下ろし、インはうなずいた。うむ、よい“絞りかす”じゃ。吸気を丹田までしっかり落とし込み、体の内へ巡らせておるわ。

 一方、零(aa0208hero002)のほうは、昔ながらの銀玉鉄砲で男児を狙い撃っていた。
「不用意に身を晒せば蜂の巣にされるぞ。敵の玉数を計れ。引き金を引く拍を読め。両者が同時に途切れた隙こそ、汝が踏み出すときぞ」
 庭木の裏でガバメントタイプの銀玉鉄砲を手に身を潜めた男児は、指を折って零のオートマチックが撃ち出した玉の数を数え、その装填数である24をカウントし終えると同時に跳びだした。
「薬室に1発残して弾倉を替えよ……そう教えたぞ」
 銀色に着色された粘土玉で眉間を打たれた男児は尻餅をつき、すぐさま跳ね起きた。

「大いに遊ぶのは結構だが、内容に少々、偏りはないかね?」
 テラスに置かれたガーデンチェアへ座すジャスティン・バートレット(az0005)が、幼子たちと英雄が繰り広げる“決闘ごっこ”の様にため息をついた。
「両親が両親ですからね。背中を見ていれば自然と興味も湧いてくるんでしょう。しかもあのふたりが近くにいて、老師になってくれてるんです。あの子たちはもう、おとぎ話なんて読んでくれません」
 彼にビフォーミルクスタイルでミルクティーを振る舞うのは、幼子ふたりの父親であるリィェン・ユー(aa0208)である。
 30歳を越えた彼の面は、若さという熱こそ減じてはいたが、代わりに円熟へと向かう強靱さを増しつつある。22歳のころの彼よりも今の彼のほうが女の目には魅力的に映るだろうし、実際にその通りだった。
「新しい映画の製作話が来ているそうだね。H.O.P.E.の広報部に泣きつかれたよ。息子さんを説得してほしいと」
 ジャスティンがH.O.P.E.の会長職を退いて2年ほどになるが、その影響力は今だ健在で、だからこそ彼がH.O.P.E.に近づくことはない。
 ちなみに現会長は数多の戦いを粘り強く指揮し、有情をもって背に負った人々を守り抜いてきたブラジレイロ(ブラジルの男)が務めているが、公明正大な彼が全会長への接触を広報部に許したのは、それだけの事情があるということなのだろう。
 しかし。リィェンは口の端へ浮かべた苦笑を左右に振り。
「説得される前にお断りしますよ。あなたに頼まれたら受けざるを得なくなりますから」
 英雄たちを相手に幾度もやられながらもあきらめず、突撃していく子らに、リィェンはやわらかな目を向けた。
「いつまでも愚神やエージェントに縛られてちゃいけないんですよ、人は。これからの時代に必要なのは自分みたいな武辺なんかじゃなく、それこそおとぎ話のヒーローでしょう」
 ここへ辿り着くまで、彼は多くの困難を踏み越えてきた。幾度となく打ちのめされ、泥を噛み、壁に阻まれ、それでも不屈を貫き進んでのだ。
 しかし、それができたのは、なにもリィェンが特別な存在だからではない。
 大切な夢があったからだ。
 リィェンがどれほどの苦痛に巻かれたときにも光となり、先を示してきた、夢。それがあればこそ、彼はおぼつかない足を繰って、確かな一歩を重ねることができた。
 人は、夢があればこそ前を向ける。かなうことを祈るばかりでなく、かなえるのだと定めた心が、その足を踏み出させる。
 ようやく愚神から解き放たれた世界には、その先を目ざさせる夢が――未来を創るヒーローが必要なのだ。
 ジャスティンはリィェンの言わんとしたことを察し、鼻をひとつ鳴らしてみせて。
「ならば昔と先とを繋ぐ者もまた必要ではないかね? 次代へ託すことは、先人に課せられた義務というものだよ」
 私が君たちという次代へ託したようにね。ジャスティンは言い添えて、ミルクティーを口へ含む。
「そのとおりだとは思うんですが……さすがに気恥ずかしいところもありまして」
「なにがだね?」
「いや、まあ、その」
 口ごもるリィェンが次の「あの」を言い出すより早く、後ろからかけられた声音がそれを遮った。
「誇張されたラブロマンスが入るのが恥ずかしいんだって。別に自分で再現しろって言われてるわけじゃないのにね」
 ブラウマン・サンドイッチ――全粒粉のパンに野菜サラダ、チーズ、チャツネなどを挟んだもの――の大皿をガーデンテーブルへ置き、テレサ・バートレット(az0030)は肩をすくめてみせる。
「それだけじゃない。今度の映画はあのボクサーを敵にしたいって言ってるんだぜ。恋愛沙汰の片手間に戦える相手じゃないのは、君だって思い知ってるだろう。ナンセンスだ」
「じゃあ、あのときはあたしに恋してなかったわけ?」
 リィェン同様、30歳を越えているのに、まるでそれを感じさせないかろやかさで指を突きつけてくる。
 今も肌を焼いてるから――じゃないよな。ほんと、いい意味で君は変わらない。
 リィェンは妻であるテレサの顔を見上げ、薄笑んだ。
「……どうすれば振り向いてもらえるかって、そればかり考えてたさ。俺にもう少し分別がなければ、それこそ高校生みたいに自転車でバートレット家の前を夜通し往復しただろう。もしかして君が、窓から顔を出してくれるんじゃないかって」
「ちなみにそのときのあたし、あなたのこと考えてる余裕なんて10分の1インチもなかったけど」
 あっさり白状して、テレサは子らと英雄たちを呼び寄せる。
「グランダッドもお待ちかねだし、そろそろ休憩にしましょ! 4人とも、ちゃんと手を洗ってきてね!」
 ちなみにテレサの姓は今もバートレットのままだが、それを勧めたのは他ならぬリィェンだ。H.O.P.E.のエージェントとしても、古龍幇の“表の顔”としても、ジーニアスヒロインの名が持つブランド価値を奪えるはずがない。それにひとり娘がユーとなってしまったら、バートレット家は滅亡してしまうこととなる。
『政治だけの話じゃない。家名を守り伝えるのは大事なことだ。だから、君と会長さえよければ俺がバートレット家に入るよ』
 結婚式前夜に告げたリィェンへ、テレサはかぶりを振って。
『ありがとう。でも、あなたから始まったユー家のこれからも同じくらい大事よ。捨てさせるわけにいかないわ』
 そうして別姓で夫婦生活を開始したふたり。そうして授かった子らは現在、ユーを姓として名乗っているわけだが……娘はユーという武術の家にあることに誇りを持っているようだし、逆に息子はバートレット家の伝統と格式に惹かれているようだ。まあ、結果的にどちらの姓を名乗るかは、子らの意志によっていずれ確定されることだろう。

 汗を拭い、手を洗った子らと英雄たちが所定の位置へつき、ティーパーティーは始まった。
「せめて包子はないのかえ? こんな淡白なパンでは、酒のアテにならぬ」
 さっそくぶうたれるインへ、テレサはスマホを手に苦笑して。
「うちの大食らいが街で遊んでるわ。よければそっちに合流する?」
 あのときと姿形を変えぬまま、ついでに食欲もそのままに在り続けるテレサの契約英雄。今もインとはよき食道楽仲間である。
「では、後の稽古はリィェンに任せるのじゃ」
 えーっ! と不満の声をあげる女児へ、インは厳しい顔を向けて。
「武辺は酒を飲まねば死ぬ。妾が今宵儚く散り消えるがそちの本望かえ?」
 無茶苦茶な屁理屈だったが、効果は抜群。
 ぐっと詰まった女児は、老師が元気なほうがいいですと健気に告げて送り出す。
「そんなに落ち込まなくていいだろう。俺だってなかなかに功夫を使うぞ?」
 ダッドは甘々だから……娘に返されて、今度はリィェンが息を詰めた。
 武の鬼たらんとしていた時期こそあれ、今はさすがにそのままの心持ちで、しかも娘に当たれるはずがない。
 それに武術というものは技ばかりでなく、心を教える必要があるのだ。名選手がかならず名監督になりえるとは限らないわけだが、こうして親となってみれば、教え導くことの難しさを痛感させられるばかりである。
 その傍ら、零とジャスティンはかるく目を閉ざし、それぞれに唱えた。
「d4、ポーン」
「d5、ポーン」
 それはクローズドゲームと呼ばれるチェス熟練者向けの定石であり、ふたりは頭の内に置いたチェス盤へ駒を進めているらしい。
「頭の体操にはいいんだろうけど。それにしてもなかよくなったわよね」
 テレサは苦笑し、黙々とサンドイッチを食べ続ける息子に甘さ控えめのミルクティーを出してやった。
 インの下で鍛錬に明け暮れ、その野太い生き様に感化されてもいる娘は、義と豪快をテーマに生きている。よく食らい、よく笑い、よく泣き、よく怒り、そして損得など関係なく、縁を得た者をけして放ってはおかない。このあたりの血の熱さは、さすがリィェンの子といったところ。だからこそリィェンも心配しているのだが、テレサは大丈夫よというばかりである。
 逆に、零のストイックさを手本としているらしい息子は、同じ年頃の子よりも淡白だし渋好みだ。ただしそれは見かけだけの話で、実際はタフで濃やかである。不義へ突撃する娘を完璧に支援し、彼女の正当性を理解させるための根回しを欠かさない。顔立ちや姿にはテレサの血を色濃く映している彼だが、このスマートさは祖父ジャスティンの血だろう。
「この粘り強さはスナイパー向きよね。ただ、性格的にはガンカタとかガンフーで前線張るタイプだろうから、どうなるかしらね」
「娘のほうはもう確定してるしな。問題は拳じゃなく、剣のほうにも興味を持ってくれるかどうか」
 リィェンは武術家にして大剣遣い。得物は今もバージョンアップをし続けている屠剣「神斬」である。
「そっちは期待しないほうがいいかもね。ウーシュー(武術)の道は限りないっていうのが最近の口癖よ? それに」
 テレサは娘が毎晩、何千回もめくり続けているせいでよれよれになったカタログをテーブルに置いて苦笑した。
「木人椿、買ってあげる気なんでしょ?」
 木人椿は詠春拳の稽古に使用する器具であり、お値段もそこそこのもの。
「いや、老師鍛錬はひとりで繰り返すもんだし、正しい姿勢を確かめるのも大事だからな」
 リィェンは娘の頭に手を乗せてなぜ、次いで息子の頭にも手を置いてなぜ。
「おまえには本物のハンドガンだ。銃はマムに選んでもらうことになるから、よく相談するんだぞ」
 思いきり喜ぶ娘と、無表情の下でぐっと拳を握る息子。
「……ふたりにはまだ早いんじゃないかね? どちらも体が仕上がってからでいいはずだ」
 横から口を挟むジャスティンに、リィェンとテレサは同時にかぶりを振った。
「始めるのは早いほどいいんです。動体視力や反射速度は幼少期に固まってしまうものですから。それこそ辞めるのは、学んだ先でも遅くありませんよ」
「そこはあたしもちょっと思うところがあるのよ。もっと早くからあたしが訓練を始めてたら、あの香港でリィェンを救いあげられたんじゃないかって」
 手を伸ばしきれなかったっていう後悔を、この子たちにはしてほしくないから。
 そううそぶくテレサの肩へ、リィェンは手をかけて。
「早すぎるなんてことがないのと同じで、遅すぎるなんてもこともないんだ。俺は君に救われたよ。君の見せてくれた光が、俺を煉獄の底から引き上げてくれたんだ。感謝してる。たったひとつのことを除いて」
 その腕に肩を預け、テレサは「なに?」、甘く潜めた声音で問う。
 対してリィェンは彼女を生真面目な顔で抱き寄せて。
「君のせいで、俺には君しか見えなくなっちまった」
「謹んでお詫び申し上げるわ。賠償もしないとね?」
「十二分に保障してもらったさ。逆に、なにを払い戻せば釣り合うんだろうな。それが今の俺のなによりの悩みだよ」
 リィェンはやわらかく笑み、告げる。
「あの香港で俺は君に恋をした。夢中で追いかけて、やっと追いついて……それで俺は終わるんじゃないかと思ったよ。でもちがったんだ。熱いだけだった恋はあたたかい愛になって、俺をこうしてあたため続けてくれる。だから俺は、君に贖いたい。俺の全部を尽くしてだ」
 含み笑いを交わすふたりからげんなりと、礼儀だけは正しく目を逸らすジャスティン。夫婦仲のよさはすばらしいとしても、実娘の甘々っぷりはさすがに堪える。
 そして零である。この場にインがいれば、それはもう『こんな甘ったるい空気を吸わされて酒が飲めるか』などと吐き捨てたことだろうが、それなり以上の経験を重ねてきた彼としては、さすがに空気を壊すような真似もできなくて。
 と。大人たちの甘々とげんなりを壊したものは、空気を読まない年頃の娘と息子だった。
 娘は小首を傾げ、問う。マムはダッドのこと愛してる?
「愛してるわよ。ダッドと逢えなきゃ、あなたたちとだって逢えなかった!」
 リィェンごと抱きしめた子らへ、テレサは思いきり頬をすりつけた。
 リィェンは邪魔しないようになるべく腹をへこませてやりながら、やれやれ。息をつく。
 そこへひょっこり顔を出したのは、テレサのすりすり攻撃をくぐり抜けた息子。
 愛してる夫婦はキスするよね?
「「え?」」
 思わず声をそろえるリィェンとテレサ。それを息子はじっと見つめ、愛し合ってない夫婦はハグもキスもしなくなるって。
「ハグは今してただろ。でもな」
 さすがに義父の前でキスは……ためらうリィェンに、テレサはにっこりと。
「してくれるんでしょ、払い戻し?」
「情操教育という観点からして、軽々しい行いは慎むべきかと思うのだが」
 苦々しい顔で言うジャスティンに、零は同じくらい苦い顔を左右に振ってみせた。
「御尊父、この期に及んではなにを言うてもただの野暮ぞ」
 果たして。リィェンはそっとテレサを引き寄せて、幸せなキスをしたのだ。


「――ああ、まあ、そうだよな」
 私室の寝床から上体を起こし、リィェンは深いため息をついた。
 今日はテレサと連れ立って公園へピクニックに出かける。特に明言はしなかったから、テレサがどう思っているかはわからないが、リィェンとしてはデートのつもりである。
 だから、緊張で眠れなかったら困ると、昨夜は睡眠導入剤を使ってみたのだ。それが思わぬ夢を彼に見せてくれたということらしい。
 いや、思わなかったわけじゃない。むしろずっと思って、祈ってることだ。
 と、ここでリィェンは薄笑み。
 家庭ってのは子どもが中心になるんだな。悪くない。いや、むしろいいもんだ。

 身支度を整え、リィェンはテレサへ迎えに行くという連絡を入れる。
「そういえばいい夢を見たんだ――って、君もか? 後で聞かせてくれよ。いや、恥ずかしくなんてないさ。俺のは最高に恥ずかしいからな」
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2019年07月16日

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