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『恋は恋の侭に散って 』
神取 アウィンla3388

 いらっしゃいませと今では慣れた掛け声の頻度の高さに、アウィン・ノルデン(la3388)は顔には出さず舌を巻いた。普段このコンビニで働くのは夜間である場合が多く、休憩に入るまでもなく暇を持て余してストレッチをしたくなるくらいの余裕が出来ることもあるのだが、今日はこの時間の担当となっている大学生が課題に追われてバイトどころではないというので、任務も他のバイトもないアウィンが出勤することになった。
 まだ陽は高いが夕方で学生も会社員も帰宅の途を辿る頃合い。人の出入りが激しく、レジはアウィンよりもバイト歴の長い同僚が二列編成でテキパキと捌いている為出る幕はない。となれば自分の役割は商品の補充だと客の邪魔にならないよう上手く回避しつつ倉庫と店内を往復する。忙しいし疲れもするがその方が性に合う。
 そうして発売日なので売れ行き好調な雑誌を抱え黙々と並べていると、脇のイートインコーナーに座る女性客の声が聞こえてきた。一瞥すれば女子高生が窓際のこぢんまりとした空間に並んでいて、先程まで他の客の声に紛れていた内容も耳に入る。一人がデート中の彼氏の言動について不満を述べると友人と思しき女性たちが口々に共感の声をあげて、話題を振られた別の人物が誰々が格好いいと話せば告白しちゃいなよと一斉に囃し立てては笑っている。
(成る程、これが俗に言う“コイバナ”か)
 トーンだけでも分かる楽しげな様子に、自身には無縁ながら感心する。目下の生活は安定したといえど戦いに挑む身では少なくとも彼女らのような恋の仕方は出来そうもない。と。
(……恋、か)
 思えば、経験がないわけでもなかった。ふと甦るのは初恋の記憶。多忙さと遠ざかる故郷の思い出の中に埋もれかけていたそれはほろ苦い――。

 アウィンの母親はノルデン領主である父親にとって二番目の妻だ。それも亡くなった最初の妻の侍女、更にいえば庶民の出でもあった。領主や跡継ぎは良好な関係を保つ意味もあって、他の領主家から姫を迎え入れるのが慣例となっており、多分に漏れず先妻もノルデンの南、カロスの中央に位置する領土の姫だった。彼女が命を賭して産んだ双子は男女で、長男が次期領主になると決まりきっている。だがもし万が一が起こったらと、裏で異母兄と比較する者は少なくなかった。
 父が三人の子を等しく愛していることも両親が愛し合って己が生まれたことも、兄と姉が世話係だった母を慕っているのも知っている。兄と姉の自分を見る目は慈愛に溢れて、可愛いと語りかけてくるかのようだ。家族の優しさを知り尊敬しているからこそ、一部しか見ていない人間に母を悪く言われるのが許し難い。しかし生まれを否定することは出来ず、抗弁だけで理解してもらえるとは到底思えなかった。庶民の血を引いているから劣っていると言われる。――なら能力は兄と同等だと、兄弟として並び立てればきっと、母に陰口を言う人間はいなくなる。そう悟ったのは五つ上の兄と姉の顔を大きく見上げていた頃だった。寝る間を惜しみひたすら努力を重ねる。時間は着実に手応えに繋がり、だから止まり方を忘れていった。そして人を好きになる余裕もないまま、十六歳になった。

 思えば目覚めた時点ですこぶる調子が悪かった。顔を洗って、半ば癖のように己の額にある紋様を見つめる。兄と同じ血を半分引いている証明。ぐるぐると目が回り、喉をせり上がりそうになる嘔吐感を押し込め、自らの表情筋の硬さに有難みを感じながら、人前では普段通り振る舞った。感情の機微に聡く訝しげな顔をする兄を躱しつつ。しかし、昼も過ぎて暫く経つ頃には悪化が明らかで、人目を避けた結果倒れ目覚めた後には医者から大目玉を食らう羽目になった。診断は過労。下手をすれば大事に至っていたと指摘されてようやく、如何にそれが異常だったかを知る。多忙な父と兄が見舞いに来ても嬉しさより申し訳なさが先に立った。母の慈しむ顔は嫁いだ姉も似たような表情を浮かべそうだと血の繋がりはないのに何故かそう思わせる。
 反省しつつもじっとしているのが落ち着かないアウィンを諭しベッドに押し留めようとするのは、使用人でもう一人の姉のように思っている女性だった。優しく肩を押されてシーツに沈み、額に山で採れた氷を使ったのだろう、ひんやりしたタオルが乗せられる。目眩の酷さに眠るのもままならず天井を眺めているアウィンの傍で、椅子に座り薬の用意をしていた彼女が不意に名を呼んだ。見れば真剣な眼差しと重なって、その滔々とした言葉がすっと心に入り込む。
 彼女は言う。――俺は俺なのだから兄と比較しないで良いのだと。何の衒いもない。ただ思ったことを口にしたような飾り気の無さがアウィンの心に突き刺さる棘を抜こうとする。無理をすれば自分も皆も心配になるとそんな言葉も嬉しかったがそれ以上に、
(彼女は俺を見てくれていたのだな)
 と、その事実がたまらなく嬉しかった。心の底では身内ではない彼女も内心どう思っているか分からないと、醜い疑念は僅かながら確かに存在していて。罪悪感が霧消し、心が軽くなった。ただ居心地が良いと思っていたのが何だか落ち着かない気分になる。彼女を横目で見て笑顔を返されれば体調不良も相まって死んでしまうのではと疑うくらい心臓が跳ねた。人として抱いていた好意が別の何かに変わっていく。二人きりでぽつぽつと言葉を交わし合うだけの時間は今までに感じたことがないほど幸せなものだった。

 数日後体調が万全になってやっとアウィンは補佐役――今は見習いだが――に復帰することになった。女性の言葉のお陰かかつてないほど心も軽やかで、より仕事も頑張れそうだった。休憩中の勉強を減らして彼女に会いに行こうかと思案しつつ廊下を歩く。と、角を曲がって視界に入ったものに、アウィンは咄嗟に引っ込んだ。壁から顔半分を出して覗いた先、女性と兄が喋っているのが見える。彼女は笑う。母が父を見る時と同じ顔で。
 それはただの直感だ。しかし何故か確信がある。自らの胸に手を当て、そして気付いた。一瞬見ては外れる視線、赤らんだ頬、少しぎこちなくなる会話。ここ数日自身が彼女にしていたことだ。アウィンは初恋を知り、同時に失恋した。彼女が想いを寄せているのは兄だから。
(やはり俺は、どうやっても兄上に勝てないのか)
 華やかな外見に朗らかな性格、人の上に立つ才覚もある。女性の垂涎の的となるのは自明の理だ。兄には遠く及ばないのだと、己を肯定してくれた女性を見て思い知った。
 断られると承知で想いを告げることなど出来ず、何より彼女の口から兄の名を聞くかもしれない、そのことがたまらなく恐ろしかった。きつく目を閉じ、息を吐いて。誰にも悟られることがないようにとそれだけを考えた。

 二十三になった現在、アウィンは思い出に僅かな苦笑を零す。あの時の失恋を引きずってはいないが、ふと兄の婚儀が決まった時の彼女の苦しそうな表情がよぎった。
「……そして年齢イコール恋人いない歴というものになったが、まあ些細なことだ」
 記憶を仕舞って、賑やかな女子高生たちの横を通り過ぎてまた倉庫へ向かう。レジ裏の時計を見れば、もうじき上がる時間だった。何だか無性に走りたい気分なので、終わったら遠回りして海岸線を通り全力疾走をしよう。アウィンはそう決意して、残り時間もバイトに勤しむのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
尺的な都合もあって僅か数日の初恋になってしまい、
アウィンさんには申し訳ない限りです!
もし自覚してたら、というパターンを考えてみると
お兄さんのことが好きかもという発想がなかったら
自覚してすぐにガッと行動に出そうな気もしますし、
想い人とお母さん、自分とお父さんと重ね合わせて
悩んでしまうような気もしますね……。
地球で一人の人間として幸せになってほしい感がありつつ、
自己肯定してお兄さん達と向き合ってほしい感もあります。
書いていて幸せになって! と勝手に感情移入しまくりでした。
今回も本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2019年07月17日

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