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『姑獲鳥の慟哭』
松本・太一8504


 母性とは何か。父性とは何か。
 考えても意味のない事だ、と松本太一(8504)は頭ではわかっている。
 子供を可愛がるのが母性か。子供を厳しく指導するのが父性なのか。
 家の中で、子供を育てるのが母性か。家の外で、子供が生きるためのものを稼ぎ出すのが父性か。
 家の中で、子供に勉強をさせるのが母性か。家の外で、子供にアウトドアスポーツでも強制するのが父性であるのか。
 太一の両親は、どれにも該当しない。父も母も、平穏に普通に自分を育ててくれた。
 普通に育てる。つまるところ、それが最も難しいのだろう。
 太一は溜め息をついた。
 腕の中で、赤ん坊がキャッキャッとはしゃいでいる。松本太一の息子、という事になってしまうのであろうか。
 会社近くの、とある保育施設である。
 ここに子供を預けている女性の1人が、太一に声をかけてきた。
「あら松本さん、お疲れですか?」
「ああ、いえ、そういうわけでは……仕事に疲れている、わけではないんですけどね」
 この数日の間、何となく会話をするようになった相手である。
 そろそろ歩く練習か、と思われる年頃の女の子をベビーカーに乗せながら、彼女は言った。
「ここに子供を預ける人……男の方も、増えて来ましたよね」
「皆さん大変だと思いますよ。やっぱり子供を扱う体力は、女性の方があるような気がします。偏見かも知れませんが」
 男の体力など所詮、力仕事にしか向かないのではないか、と太一は思う。自分は、それすら苦手だが。
「ふふ……やっぱり、そう思われちゃいますよね」
 女性が微笑む。
「子供に優しいのが母性。そんな感じになっちゃいますよね」
「母性とは何か、父性とは……そんな事を考えていると、仕事よりも疲れてしまいますよ」
「松本さんは、母性に取り憑かれていますね」
 口調がいくらか変わった、ようである。
「母性の暴走で、随分と失敗をなさった?」
「貴女は……!」
 太一は、息を飲んだ。
 この保育所で、ただ何となく会話をするようになっただけ。そんな女性の正体に、気付いたのだ。
「……そう、ですか。夜会の方でしたか」
「貴方の事が気になって。ごめんなさいね、監視のような事をしています」
 魔女が、ベビーカーを押して歩き出す。太一もそれに続き、2人で保育所を出た。
「私が男だから……というのは言い訳にもなりませんが、母性の制御がどうにも上手くいかないように思えまして」
 太一は言った。
 腕の中で、赤ん坊が上機嫌そうにしている。太一を、父親と認めてくれているのか。あるいは母親と思っているのか。
「情報改竄の痕跡を残してしまったり、装着物に身体を乗っ取られたりしているようでは……あの委員会のような方々に、際限なく狙われてしまいます」
「あの連中の言う事を気にしては駄目ですよ。あれは単なる、事なかれ主義者の集まりです」
 言いつつ魔女が、ベビーカーの中をひょいと覗き込む。女の子が、たどたどしく何か喋っている。
 見たところ、普通の人間の幼女である。
「……私がこの子を拾った時にもね、あいつらは干渉してきました」
「この子は……」
「そちらの赤ちゃんと同じようなものですよ。この子はね、未就学児に見えますけど……実はもう15歳なんです。生まれてから15年経った、という意味でね。もちろん保育所には、そういうものは一切ごまかして預けているわけですけど」
「……成長を、巻き戻したんですか」
「10歳の時、この子は『商品』にされたんです。売られた先で酷い目に遭って……私、あなた方と違って物事を最初から無かった事にするような力はありませんから。ただ、この子を虐めた連中を魔界獣の餌に変える。売り飛ばした両親も含めてね。そして、この子を赤ちゃんの段階から育て直す。出来ているのは、それだけです」
『……それも母性のなせる業、というわけ?』
 太一の中で、姿のない女性が声を発した。
『まさか後悔や反省をしているわけではないわよね。いいじゃないの、母性。子供を守るために、戦う。殺し尽くす。命あるものとして当然の有り様よ』
「私の子供、ではないのですけれどね」
 魔女の美貌に、陰惨な笑みが浮かぶ。
 太一は思う。自分も、同じような笑い方をしていたのかも知れない。姑獲鳥となって、この子の両親を殺戮した時に。
「松本さん……私のラボに来ますか?」
 魔女は言った。
「母性の暴走にお悩みなら、ちょっと飼い慣らすための研究をしてみましょう。母性に呑み込まれないための、訓練もね」


 姑獲鳥が、鳴いている。啼いている。哭いている。泣いている。
 魅惑的にくびれたボディラインを切なげに反り返らせ、豊かな胸を天空に晒し、細腕の原形をとどめた翼を左右に広げながらだ。
 むっちりと伸びた美脚の末端では、鋭利な猛禽の爪が屍を踏みつけている。
 積み重なった、人体の残骸。
「どうして……どうして、なんですかぁ……」
 己の作り出した屍の山に、姑獲鳥は問いかけていた。
「人は、自分の子供を守るためなら残酷になれる……それは、わかりますよ。見知らぬ他人より、自分の子供の方が大切に決まってるって……私、思ってました……違うんですか!? どうして、あなたたちは! 自分の子供に対してだけ残酷になれるんですかぁあああああああああッ!」
 無理だ、と私は思った。
 母性を飼い慣らす。母性を、暴走させない。
 姑獲鳥という生物に、そのような事が出来るわけがないのだ。
 私は自宅兼研究所に松本太一を招き入れ、実験を行った。
 自分の産んだ赤ん坊を、汚物にまみれさせて放置する女。自分の娘に対して性的虐待を繰り返す男。自分の息子を物で殴り、浴槽に沈める男。自分の娘に売春をさせ、暴利を貪る女。
 そのような、様々な父親と母親の姿を見せつけられて、姑獲鳥が冷静さを保てるか。その実験である。
 結果が、この光景だ。
 殺戮の光景を、私の娘はきょとんと見つめている。松本太一の息子は、私に抱かれたまま、ただ楽しげに笑っている。
『……無理に決まっているでしょう。この連中を生かしておけるようなら、それはもう姑獲鳥ではないわ』
 慟哭する姑獲鳥の中で、姿なき女が言った。
『母性の暴走。その具現化が、すなわち姑獲鳥……変に調整して暴走を抑えようとしたら、おかしな事になる。存在意義のぼやけた、中途半端な怪物になりかねない。それなら、このままの方がずっといいわ』
「貴女ならそうでしょう。でも、松本さん御自身はどう思うでしょうね……」
 自分は愚かな事を言っている、と私は思った。この女が、松本太一の心情など考慮するわけがないのだ。
 私の周囲に、何人もの赤ん坊が浮かんでいる。シャボン玉のような魔力球体の中で、すやすやと眠っている。
 たった今、目の前で両親を虐殺された子供たち。その全員を、私が赤ん坊に戻したところである。
「母性……ね。自分では子供を産まず、他人の子供を憐れみ慈しむ。それを母性と呼ぶのなら、姑獲鳥は確かに母性の化身」
 実験の結果を、私は総括してみた。
「元が男性であるからこそ、母性を抑えきれずに暴走してしまう。自分の子供を産めない怪物であるからこそ、人間の子供を愛してしまう。人間から、子供を奪わずにはいられない……そういう事、なのでしょうか」
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年07月17日

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