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『負うべきもの 』
リオン クロフォードaa3237hero001)&エリズバーク・ウェンジェンスaa5611hero001)&九重 依aa3237hero002

 とあるカフェバーのテラス席。
 実は後年、ロップイヤーの兎姫の御用達となる店だったりするわけだが……ともあれ。
 高く脚を組んだエリズバーク・ウェンジェンス(aa5611hero001)はアイスティーのロンググラスを揺すり、氷がカラカラとぶつかりあう固い音を響かせた。
「落ち着くつもりのないお店で、飲みたくもないお茶を手に、話したいはずのないあなた様を前にする。……私にとって、なにひとつ好ましいもののない状況なのですけど」
 彼女をここへ呼び出したリオン クロフォード(aa3237hero001)は、引き結んでいた唇をわずかに緩め、ついに声音を発した。
「……大丈夫?」
 は?
 あまりにも予想外の言葉に、エリズバークの眉根が跳ね上がる。
「その。手、治ったかなって」
 エリズバークの左手には、彼女自らが撃ち込んだ魔導銃の弾痕が残されている。綺麗に消すこともできたのにそれをしなかったのは、彼女自身の思惑あってこそだ。
「おかげさまで。もっとも、今も時折痛みますけれどもね」
 おかげで、いつでも思い出せる。リオンへの憎悪を滾らせたあの世界でのことを。リオンを赦さないと決めたこの世界でのことを。そして、それに囚われ続け、苛まれ続けることを誓った自らの心を。
 私はたまらなく苦しくて、おそろしく痛い。
 王子様にもそれを、是が非でも教えてさしあげたいのですよ。だって、そうしなければ私は1ミリだって救われないんですから。
 驚愕から一転、冷めた笑みを形作るエリズバークに、リオンはためらいながら切り出した。
「この前、結局エリーさんがどんな人なのかって話、聞けなかったから」
「わざわざそれを確かめに?」
「うん」
 リオンはうなずき、これまでの弱々しさを押し割る強い表情をエリズバークへ向けて。
「恨んで当然だって、エリーさんは思ってるんだろ。だったら俺は、俺が恨まれて当然な理由を知らなくちゃいけないと思うんだ。そうじゃなきゃ、受け止められないから」
 受け止める、ですか。ずいぶんと傲慢な物言いですけれど、それもまた心を据えた証なのでしょうね。
 エリズバークは胸中に吐き捨て、口の端に固定した笑みを傾げてみせた、

「今度こそあきらめない。どんな状況でもあきらめずに守り抜いて、進む。あなた様はそうおっしゃいましたね」
 据えたなら揺らせばいい。
 虚をもってではなく、実をもって。
「では伺いましょうか。その御手は、いったいどこまで届くとお思いです? たとえばの話、今はお部屋で、次に作られるお菓子のことを考えていらっしゃる兎姫様にまで?」
 リオンの顔色が変わる。ええ、ええ、そうでなくては。これほど古典的で無粋な手、本当なら使いたくなかったのですけれどね。
 これもすべてはあなた様のせいですよ。この私を言の葉で縫い止められるなどと思い上がった、あなた様の。
 エリズバークはスマホに映しだされた画面をリオンへ見せた。
 そこはリオンの住まいのキッチンであり、契約主であるワイルドブラッドの少女がいた。それを撮っているのは、角度的にダイニングテーブルの隅に置かれたカメラだろうか。――って、そんなところにカメラあるんだよ!?
 エリズバークはあえて語ることなく薄笑みをうつむける。
 リオンからの呼び出しを受けたエリズバークは、ひとつの贈り物を彼の能力者へ届けさせていた。
 それは小さなオブジェで、名目上は愚神王討伐を記念し、H.O.P.E.から全エージェントへ贈られたことになっている。
「機能についての説明は避けますが、それがそこにあり、私がこうしてお話していることで、少しはお察しいただけますでしょうか」
「……」
 最初こそ驚愕に表情を歪めたリオンだが、今はすべての表情を消し去り、エリズバークをただ見ている。
 おもしろくありませんね、王子様。余裕なのか、弱みを見せたくない強がりなのか知りませんけれど、せめてもう少し、揺らいでいただかないと。
 エリズバークは舌裏へ含んでいたものを押し出し、前歯でくわえてみせる。
 これはオブジェと連動した、スイッチ。噛み締めれば指令が飛び、オブジェは内に詰め込んだものを一気に吐き出すのだ。
 ほんの少しだけ思い知らせてやろう。ここまで蓄えてきたらしい自信の無意味さを――
 しかし、それが噛まれることはついになかった。

「知ってるはずだがな。姫に仕える騎士はひとりじゃない。そしてふたりめはひとりめとちがって迂闊じゃないことも」
 影のごとくに現われた九重 依(aa3237hero002)は、空いている席へ無造作に尻を落とすと同時、上着のポケットから引き抜いたなにかをテーブルの上へ転がした。
 ボタンだ。
 何の変哲もない、シャツのどこかを留めていただけの、ボタン。
「言ったろう、俺はいつでも、あんたの契約主に挨拶へ行くって」
 次いで、小さなカプセルをいくつか、並べて置く。
 契約主のシャツのボタンと、オブジェに仕込んでいた致死性ガスのカプセルを見下ろし、エリズバークは吐き捨てた。
「……いいご趣味ですこと」
 依は兎姫の命を救った上でカメラだけを残し、そしてエリズバークの契約主の元へ向かってボタンを切り取ってきたわけだ。彼女と同じことを、彼女に先んじて実行することもできるだと告げるため。
「ただ証明しただけさ。言葉だけじゃなにも止められないだろうからな」
 依としては、エリズバークに本気で兎姫をどうにかする気はなかったものと思っている。別に彼女の善意を信じているわけじゃない。彼女がリオンにしたい復讐は、なにかを壊せば済むというようなものではありえないこと、これまでの“彼女”から察していたからだ。
「それはあんたも同じだろう? 言葉だけじゃ騙せないと思ったからこそ、殺せるだけのしかけを用意した」
「殺せるしかけを用いておいて、それがフェイクだったと?」
 湖水さながらの碧眼をすがめるエリズバークに、依は熾火がごとくの赤眼を返した。
「本気なら、起動方法は複数用意しておくものだ。それをターゲットの手へ渡す過程も十二分に整えてな」
 エリズバークは鼻を鳴らして口の端を歪めた。
 依が言うほどフェイクではなかったが、確かに兎姫へ送ったオブジェは起動しようが起動しまいが構わない代物だった。ようは少しでもリオンを動揺させ、綺麗にコーティングされただけの薄汚い本心を露わしてやるための種。
 しかし、それにしても。
「王子の余裕は、あなた様あってのものでしたのね」
 この依という男が、リオンにとっても能力者にとってもジョーカーとして作用することは知っていたはずなのに……王子を前にして、少々浮かれすぎました。
 と。
 リオンは八の字に眉根を跳ね上げ。
 依は思わず苦笑を閃かせる。
「リオンはなにも知らないさ。そこまで気の回る奴なら、あんたのことだってもう少しうまく丸め込んでる。俺はこいつからあんたとの経緯を聞いて、勝手に嗅ぎ回っただけだ」
 なにも言えずに押し黙るリオンを横目で見やり、依はあらためてエリズバークと対峙した。
「ひとつ不思議に思うことがある。あんたは復讐者の割に隙がありすぎる。消し切れてない痕跡を辿れば、かならずあんたへ届く。まるで道が整えられてるみたいにな」
 その意図はいったい、どこにある?
「さあ。なにを言われていらっしゃるものかわかりませんけれど?」
 依はかぶりを振り、静かに口を開いた。
「俺が訊いてるのはエリズバーク・ウェンジェンスじゃなく、エリザベス・ウォードにだ」
 エリズバークの口の端が引き絞られ、吊り上がる。
「お知りになられましたか、私の真名を」
 エリズバークに焦りはなかった。
 なぜならそれは巧妙に隠されたものでありながらけして葬られたものではない……言うなれば誰かへ見つけさせるために隠しただけの、景品だから。
「あなた様に見つけていただくために隠したわけではないのですけれどね」
 その迂闊が意図的なものであることを知らせ、エリズバークは息をついた。
「それにしても、私となんの縁もないあなた様が掘り当ててくるなんて。大切に思われていらっしゃるのですね、王子を」
 両眼をすがめ、嘲りを含めた声音を添える。
「いえ、かわいい兎姫様の御為、でしょうか?」
 依は表情を濁らせることもなく肩をすくめてみせ、あっさりと。
「リオンと契約主は俺の“家族”だそうでな。家族のためになにかしたいと思うのは当然のことだろう」
 次いで言の葉の剣を切り返し。
「逆に訊こうか。あんたはあんたの本当の名前を、誰に見つけさせたかった?」

 依の追求を押し退けたのは、エリズバークならぬリオンである。
「それは関係ない俺たちが訊いちゃだめなやつだ」
 そしてエリズバークに対し、あらためて告げた。
「俺が訊きたいのは、前に話してくれた俺の過去とエリーさんがどう関係してるのかだよ」
「それは以前お話したとおりですとも。あなた様に煽動されて、絶望の内に明日を失くしたひとりだったのかもしれない存在、それが私です」
 エリズバークはいつでも跳びかかれるよう浅く腰をかけた依へ牽制の視線を送り、しっかりと腰を据えて座すリオンを見た。
「だから、教えてさしあげたかったのですよ。民を、国を、世界すらも喪ったあなた様が、ただ行き会っただけのお姫様と並んで王子様ごっこに興じる無様を。だってご自覚できませんものね? 守れなかったものがなにかも思い出せないあなた様には」
 嘲笑を傾げ、さらに言い募る。
「なのに、忘れ果てた記憶に苛まれることすら投げ出して、あなた様は得ようとしていらっしゃる。得ていいはずのない今日を、明日を、その先を。今度こそ、今度こそと繰り返してなにを守ることもできなかった己に蓋をして、守る守るとさえずって」
 滑稽ですわね。ええ、滑稽ですとも。
 リオンへの嘲笑はやがて、エリズバークの内で自嘲へとすげ替わる。
 私は先も明日も今日すらも得られずに、喪ったあのときへ縛られたままこの心を灼かれ続けている。
 在りし昨日の世界を返せとは言わない。精いっぱいの今日を紡ぎ続けた国を返せとも言わない。共に先を目ざした民を返せなどと、言えるはずもない。しかし。
 悔恨と後悔と憤怒で塗り固められた心を甘やかに溶かしてくれたあの人すらも、私は喪ってしまった。
 結局は逆恨みなのでしょうね。私たちを――私を守ってくださらなかったあなた様だけが前を向いて、こんなにも苛まれている私を置き去って明るい未来へ進んでいかれるのが。
 ですから、ねえ。
「苦しんでいただけますか? せめて私と同じほどに。そして喪ってくださいませ。あなた様が得ていいはずのない先を、明日を、今日を」
 思い出せなくとも、私が微に入り細に入りお教えいたしましょう。そのお綺麗なお顔から無垢な笑みが、高貴を気取る心から澄んだ偽善がすべて削げ落ちるまで。
「なぜか? それこそがあなた様にしていただける唯一の贖いですもの」
 寂寥を含めた笑みをこぼし、エリズバークは言葉を切った。

 リオンはなにも言わなかった。言えるはずがなかった。
 エリズバークを復讐者へ堕とした原因はまぎれもなく自分だ。言外にまで含められた彼女の凍熱を突きつけられて、彼はただそればかりを思い知る。
 だとしたら、俺はどうすればいい? なにもかもを捨てて、自分の先を閉ざすしか……
 惑うリオンを掌で抑え、口を挟んだのは、依。
「あんたの能力者が死んだのはリオンのせいじゃない。それまで負わせるのは唯一の範疇を越えてる」
 彼はエリザベスの名と併せ、この世界での彼女の経歴を確かめていた。英雄として顕現した彼女が能力者の男に深く傷ついた心を癒され、やがて愛し、愛されるようになったこと。その男がヴィラン討伐任務の中で、仲間とほかならぬエリザベスを救うためにその身を投げ出したこと。
「……それはもう存在しないはずのお話なのですけれど」
「登録名を変えて記録を抹消しても、人の記憶はそうそう消せるものじゃない」
 人は、忘れられない悔いを語ってしまうものだ。おまえは悪くないと言われることで救われたくて、すべてを受け容れてくれるだろう誰かへすがってしまう。依はそのことを誰よりも知っているから……利用した。大切な家族のために、己の悔いを餌にしてまで。
「あんたがしつこくヴィラン狩りに出たがるのも、妙な隙を作ってるのも、仇に自分の素性を手繰らせたいからなんだろう。食いついた仇を逆に手繰るために。それはいいさ。だが、これだけは言っておく」
 依は半ば閉ざした眼をリオンへ向け、言い聞かせるように継いだ。
「愛する男といっしょに死ねなかったのは、あんただけが負うしかない悔いだ」
 空になっていたエリズバークの心に、憤怒が爆ぜる。
 知ったようなことを――!
 激情に突き上げられるまま、エリズバークは依へ魔導銃の銃口を突きつけた。シャドウルーカーがどれほど迅くとも、ゼロ距離なら外さない。
 そのはずだったのに。

「エリズバークさんでもエリザベスさんでも、エリーさんでいいんだよな」
 エリズバークが銃を抜き出すよりも速く、リオンが依を背にかばい、銃口をその胸で受け止めていた。
「俺はエリーさんの痛みからも苦しみからも逃げないよ。真っ正面から何度だってさ」
 そして静かにかぶりを振って。
「その代わり、エリーさんのそれを抱え込んだりもしない」
 エリズバークを見据えたまま、重ねた。
「これだけいろいろ聞いたのに、なんにも思い出せないままで……俺は結局、なにがどう痛かったのかも苦しかったのかもわからない。それが悔しくて、辛いんだ。でも」
 音を探り、ひと言ずつ、紡いでいく。
「それは、俺だけが抱えて、噛み締めて、なんとかしなくちゃいけないものだ。って、ヨリの受け売りだけど」
 今度は依がかぶりを振る。言葉の上では受け売りかもしれないが、そうじゃない。
 誰に押しつけることなく、自らへすべてを負わせる覚悟を決めたのは他の誰でもない、リオンだ。
 その気高さを嗤いはしない。誰にも嗤わせない。
 おまえは本当に王子様だよ。それ以上、言い様がないくらいな。
 依はリオンを追い越し、固まったまま動かないエリズバークの手からそっと銃を取り上げた。
「うちの王子は頭が悪くてな。よく迷って、すぐ見失って――それでも最初に決めたことを最後まで貫く」
 安全装置をかけた上で床に銃を転がして、踵を返す。拾い上げてまでエリズバークが撃つはずはない。それができるほどの恥知らずなら、兎姫はとっくに死んでいる。
「憶えておきましょう。王子の愚直と、あなたの忠義を」
 納得したわけではない。しかし、これ以上、この場ですべきことは残されていなかった。絶望を拒絶した王子を揺らすには、相応の罠を用意してこなければ。
 そう思うのに、足がどうしても動かなくて、エリズバークは椅子に座したまま思う。
 さて。いったい私はどこへ向かえばいいのでしょうね。
 昨日?
 今日?
 明日?
 迷うほどに重くなる脚を組み換え、エリズバークは苦い息をつくばかりであった。
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2019年07月17日

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