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『3分前 』
リィェン・ユーaa0208

 ロンドンの北にあるカフェ。
 リィェン・ユー(aa0208)はダークスーツの襟を正すと共に、エルドリッジノットで結んだマンダリンオレンジのネクタイの角度をなおす。
 薄めに淹れてもらったダージリンのセカンドフラッシュをすすれば、鼻奥に独特のマスカテル・フレーバーが拡がった。
 イギリスも日本も茶はうまいが、濃いのが難だな。
 中国人は発酵の浅い白茶を好む。このあたり、料理とは真逆の嗜好なので、知らない者は驚くわけだが……
「そんなに渋かった?」
 向かいの席へするりと滑り込んだのは、ワイドパンツスーツ姿のテレサ・バートレット(az0030)である。
「あたしもダージリン。薄め用のお湯はいらないわ」
「……なんで俺の茶が薄いってわかった?」
 見抜かれたことに驚き、思わず訊いてしまったリィェンに、テレサはなんでもない顔で答えた。
「リィェン君はいつもそうでしょ」
 それだけいっしょに過ごしてるんだもんな、俺たち。
 リィェンは苦笑し、あらためてテレサと向き合った。
「せっかく迎えに行くって約束してたんだし、本当はバートレット家の門前で、赤いオープンカーのクラクション鳴らして君を呼び出したかったんだけどな」
「それ、アメリカの青春ドラマよね」
 大げさに肩をすくめてみせ、テレサは手を伸べてリィェンの肩をつついた。思えば、テレサもずいぶん気安く触ってくれるようになったものだ。
 問題は、その好意の質なんだがな。
 今日は久々にふたりで会えることもあり、リィェン的にはフルエスコートするつもりでいた。しかしテレサは支部へ寄る用事があるとのことで、こうして待ち合わせをすることになったのだ。
 拒絶はされていない――はず。しかしもう少しでもいい、確証が欲しい。
 そんなことを考え込むリィェンへ、テレサがふと。
「そういえば電話で夢を見たって言ってたわよね? どんな夢だったの?」
「訊くか、それ」
 冷静になってみれば、あれは相当に恥ずかしい夢だった。子どもたちにせがまれて、テレサとキスするなんて!
 つまり俺はあんな家庭を作りたいと思ってるわけで。うーん、しかしどうだろうな。テレサは日本好きだから、日本に家を持ちたいのかもしれない。人口減少問題に貢献するとしたら、子どもは父母のふたりを越える3人以上が必要なんだよな。
「やっぱり訊かないほうがよかった?」
「まあ、そうだな。時間が経っちまうとさすがに辛い。笑って話せるだけの時間が経ったらあらためて話すよ」


「夕方までまだあるし、どうしようか」
「適当に歩くのも悪くないんじゃない?」
 というわけで、ふたりはレストランの予約時間までの間を潰すため、ロンドンの街を北上しつつショーウインドウを冷やかし、リージェンツ・パークへ辿り着いた。
 薔薇咲き乱れるイギリス式庭園があることで有名だが、広大な敷地の内にはアウトドアスポーツエリアも完備しており、今日も多くの人々がクリケットやボール遊び、そして武術の稽古などを楽しんでいる。
「あ、カンフー!」
 最近、ガンフーなどと映画で呼ばれる、銃を用いた格闘術を積極的に学んでいるテレサが高い声をあげた。
 彼女の視線の先では、イギリス人なのだろう初老の男性の指導で、子どもたちが真剣な顔をして套路――中国武術における型――を行っている。
「小八極っていう八極拳の基本型のひとつだな。相手をうつ伏せに倒すのは今風だが、セルフディフェンスの観点からしていい型だ」
 彼が叩き込まれたあの型は、真下へ敵の後頭部を叩きつけるものだった。同じ型でも、時代や必要性に応じてその有り様は変わるもの。
 そういえば、あの夢のティーパーティーの前にうちの英雄が娘に教えてたのも、うつ伏せに倒すほうの型だったっけな。
 思わず思い出して、赤くなるリィェン。俺はまだいない娘になにを配慮してるんだ。
 複雑な思いを抱えつつ、リィェンは型について説明する。
 テレサはそれを聞きながら子どもらに併せて動きをなぞり、深くうなずいた。
「動きがシンプルよね。あれならいろいろ応用できそう」
「一道一式ってな。見た目の綺麗さや派手さはないが、それだけに無駄なく強い」
「スピードで敵を制圧するジークンドーもそうだけど、武術の思想からは学ぶところが多いわ」
 と。テレサは息をつき、ぽろりと。
「でもあの子たち、サッカーに夢中なのよねぇ」
「あの子たち?」
 リィェンに問われ、あわててかぶりを振って。
「なんでもない! ちょっと夢のこと思い出しただけ!」
 おい、テレサも子どもを持つ夢を見たのか!? テレサ以上に動揺するリィェンである。
 いや、だって、夫が誰なのか気になるだろう! まさか会長じゃないよな!?
 意外に根の深い悩みなわけだが、さすがに口にできるはずもなく、リィェンはテレサのとなりで固まるよりないのだった……。

 その後も夢を思い出させるようなシチュエーションへ何度も遭遇し、リィェンの心はその度にすり減っていった。
 さすがにこれじゃ俺が保たない。
 疲れた目をテレサへ向ければ、なぜかテレサも目をしょぼつかせていて。
「――少し休もうか」
 ベンチに並んで座り、屋台で買い込んだアイスラテを飲む。紅茶はホットが基本のイギリスだが、コーヒーその他はコールドドリンクも充実しているのだ。
「さすがにひとりで全部は食べきれないけど、半分なら大丈夫よね」
 テレサが差し出してきたのは、同じ店で買ったブラウマン・サンドイッチ。
「なんでこれを選んだんだ? キューカンバーのやつもあっただろう?」
 またもや夢を思い出したリィェンは、動揺しないよう呼吸を整え、その間をつなぐために問う。それがしたかっただけ、なのに。
「ひとりでうろたえてるのも疲れちゃったから白状するけど……昨日見た夢、あたしが結婚して子どもがいるってシチュエーションだったのよ。家族そろってティーパーティーして、そのとき出したのがフラウマンだったわけ」
 そうして語られたのは、リィェンが見た夢とほとんど同じ内容のもので。
 ただし異なっていたのは、子どもが4人いること。男の子が3人に女の子がひとり。娘は4人目の末っ子なのに、サッカーに夢中な兄たちの世話を焼くのでいそがしい。
「うちの英雄が娘に銃の扱いを教えてて、エージェントになりたいって言ってくれてるの、その子だけなのよね。サッカーも好きだけど、男の子なんだし、ちょっとくらいあたしとかダッドに憧れてくれてもいいのに」
 現実のことのように語り、ため息をつく。
 ここまで聞いてきたリィェンはためらい、ためらい、ためらい。ついに耐えきれなくなって訊いてしまった。
「なあ、テレサ。そのダッドっていうのは、会長……じゃない、よな?」
 テレサは眉根を跳ね上げ、いやいや、かぶりを振って。
「さすがにそこまで子どもじゃないわよ」
 弾みをつけて立ち上がり。
「リィェン君だった!」
 指先をリィェンに突きつける。
「それはそうなるわよね。だって、あたしの周りにいる男の子なんてリィェン君しかいないんだから。選択の余地がないでしょ」
 しかめっ面で言い切って、彼女はさらにリィェンへ詰め寄った。
「さあ、聞かせてもらうわよ! リィェン君の恥ずかしい夢の話!」
 勢いに押され、リィェンはおずおずと。
「俺のはほとんど君と同じだったけどな。ちがうのは――」
 3分後、答合わせを済ませたふたりはそろって顔を覆って悶絶するわけだが。
 今は互いにただただ必死で、来たる未来を想像することなどできようはずがないのだった。 
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2019年07月18日

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