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『生まれて、育って、いつかは 』
銀 真白ka4128)&黒戌ka4131

「……は? 兄上、今何と?」
 銀 真白(ka4128)は耳を疑い、聞き返しながら思わず箸を持つ手を止める。ちゃぶ台を挟んで真正面に座り、お裾分けしてもらったという漬物を頬張り蕩けた顔をしている兄の黒戌(ka4131)は豪快な音を立てて咀嚼したのち、何の気なしに同じ言葉を口にした。
「明日から三日程、赤ん坊を預かることになったでござるよ」
 黒戌の言うところによれば、漬物のお裾分け元である若い夫婦の妻方の親が怪我を負ったらしい。命に関わるような重いものではなかったし治るまでの面倒は近隣に住む兄弟が見てくれるという話だが、やはり子としては心配で様子を見に行きたいと思っていたようだ。ところが産まれたばかりの赤子がいる身であり、夫婦二人暮らしなので頼る宛もない。それで諦めつつも浮かない顔をしているのに黒戌がふと気付いて、尋ねてみたら話を聞くことが出来た。そして、
「普段から良くしてもらっている身でござるからな、微力ながら責任を持って助太刀致そうと、そう申し出た次第でござる」
 うんうんと善行をした自分自身にか、満足げな笑みを浮かべる黒戌はこちらを見るときょとんと目を瞬いた。視線は静止したままの真白の手元へと落ちる。
「うん? 何やら浮かない顔でござるな? 心配せずとも拙者自らが請け負ったこと、一切の世話は任せるでござるよ」
 と言い、どんと自らの胸を叩く。やけに楽しげというか誇らしげというか、甚く機嫌のいい様子も気にならないでもないがそうではなく。
「嫌だというわけではないのです。ただ……今まで赤子に接する機会がなかったので、どうすれば良いものかと……ですが、兄上がそう仰られるのであれば安心です」
 言葉に迷いつつ、しかし兄に本心を偽る意味など全くないので包み隠さず吐露した。言ってしまえば急激に気が抜け、黒戌もなるほどと得心する。
「そうか。数多くの依頼を経験してきたが、赤ん坊の世話には今まで縁がなかったでござるな」
 ハンターズソサエティに舞い込む依頼は様々だが、さすがにここまで個人的な話はまずない。
 兄は当然ながら、真白もこの数日用事がないので、家に居る時間が多いだろう。勿論任せっきりにするつもりはない。だが全くの初心者である自分に出来るのはせいぜい、指示を仰ぎつつミルクを用意する程度ではなかろうか。真白は一息ついてようやく食事を再開した。

 そして翌日。折角だからと黒戌と共に件の夫婦――無愛想な自分にも挨拶ついでに声を掛けてくれる気さくな人たちだ――の家についていき、そして、成り行きで赤子を抱いて帰ることになった。
「真白よ、顔が引きつっているでござるよ……」
「し、仕方ないではありませんか」
 門を出てから帰るまで大した距離ではないが、真白の足取りは物盗りを警戒する一般人さながらに過剰に慎重でぎこちない。元々歩幅の違いが大きいのにこちらの歩みが鈍足なせいで、黒戌も歩いたり止まったりと実に怪しい挙動である。幸いにも見ている者はいないが。
 黒戌は率先して預かると言い出しただけあって慣れているに違いないが、真白は昨日も口にした通り、柔い子供に触れたことなどまるでなく、然りとて抱き上げる程度ならば何とかなるだろうと踏んでいた。
 しかし、おくるみ越しに触れただけだというのにふっくらとした見た目から想像していたよりも軽く、もし落としてしまったらと思うと、この子が抵抗する術を持たないのは明らかで一気に血の気が引いた。側にいる者に身を委ねる以外ない、そんな命の重みを感じて緊張が高まる。力を緩めれば落としてしまう恐れがあるが、だからとて何が起こっても離すまいと抱き締めるのも怖い。
「ほら、この兄に任せるでござる」
 その言葉に真白が立ち止まると、正面へと回った黒戌がしゃがんで受け渡しし易いように両手を前に出した。その大きな手に恐々と赤子の身を預けその代わりに荷物を受け取る。安堵に思わずつい溜め息が零れた。兄は肩を震わせて笑いを堪えながら、大きさを確かめるようにしげしげ眺めてから慣れた手つきで抱きかかえる。そして普段通りこちらに合わせた遅めの歩調で進んでいく。隣に並び殆ど同じ高さにある赤子を眺める。決して悪くはない、けれど己が未来を思い描いてもどうもピンと来ないのは確かだった。

 ◆◇◆

 台所で預かった替えの衣服や哺乳瓶、オムツなどを取り出しつつ、黒戌は感慨に息を吐き出した。当時の自分の年齢を真白は既に越している、その事実を改めて実感する。最初は周りに訊きつつ手探りでやっていたのが段々慣れて、しかし四つん這いになって歩き出せるまでは案外掛からず、成長に合わせて育てる側も変化を促される。そんな日々がひどく懐かしくて、胸に迫る重苦しい記憶には今は蓋をした。
 横目で見れば再び縋るような視線を向けられ笑ってしまいそうになるのを堪える。戦闘面ではとうに一人前といって差し支えない実力を持ち、純粋であるが故の行動が思いがけぬ結果を齎す場合もある。無論ハンターになってからの成長には志を同じくする友人たちの影響が強いが、駆け出しにもなる前から手塩に掛けて育てた身としては鼻が高いというもの。そんな誇らしい真白が珍しくも困惑に眉根を寄せて自分を頼っている。この状況に黒戌の兄というよりも保護者としての色が濃い喜びが溢れ出た。
 ぎこちなくもあやすように身体を揺らしつつ、今にも泣き出すのではないかとチラチラ赤ん坊を見る。無表情が標準装備の真白なのだが、どうすればいいのか判らないから助けてほしいと顔に書いてあった。
「そう身構えずとも大丈夫でござるよ」
「で、ですが、その……力加減を誤れば傷付けてしまうのではと思い」
「そんな弱くはないでござる。例えば――そう、物の道理も判らぬような子供でも何とかなるでござるからな」
 ははは、と軽やかに笑ってみせるも真白は半信半疑といった様子だ。百聞は一見に如かずという。慕ってくれているとはいえど、実際にそう感じているのだから納得がいかないのは当然のこと。訝しげな顔の彼女に黒戌はオムツの形状を確認しながら言う。
「憶えておらぬだろうが、一応は拙者もお主を育てた身でござる」
「そうだったのですか?」
「乳母が何人も居ったのでな、とても親代わりなどといえるほどではなかったが、離乳食作りとおしめ替えに、沐浴も寝かしつけもと、乳をやる以外のことは全てやっていたでござるよ」
 指折り数え、いつ欲しがってもいいよう鍋にミルクを入れる用意をしておこうと考えて。何気なく真白を見たら少し伏せた横顔に仄かに朱が差しているのが判った。ただ思い出を懐かしんで口にした言葉だったが、羞恥を覚える話題だったらしい。商店街のお買い得商品の情報やら何やらで普段から世話になっている恩を返そうと、昔取った杵柄があることからさして気負いなく請け負った次第だった。しかし慣れないことに戸惑う真白を見るに留まらず、昔話まで出来るとは。同じハンターになる前にはよく故郷や家族の話をせがんでいたが、最近は情勢が混迷を極めているのもあり、思い出話をする機会はほぼ無くなっていた。――なるべく嘘はつかず自分が憶えていることを伝えたい。改めてそんな風に思う。と、沈黙を破ったのは真白の方、彼女が抱いた赤ん坊だ。火がついたように泣き出すのを見て、
「兄上!」
 と真白が声を上擦らせ助けを求めてくる。無論赤ん坊が今この時を健やかに過ごせるのが第一なので、すぐそちらへ向かった。もし真白が望むならば万全の態勢で見守りつつ彼女に世話をさせてもいいと考えていたが、この短期間で慣れるのか微妙なところだ。

 しかし、赤ん坊というものは掛け値無しに可愛い。親しい間柄とはいえ預かるのが初めての子供でもこれなのだ、目に入れても痛くないという我が子は如何程のものか想像もつかない。
 ただ贔屓目を抜きにしても当時の真白もまた、負けず劣らず可愛かった。いや、この子は男子だから女子では真白が一番に可愛いといっていいのでは。そんな兄馬鹿っぷりをダダ漏れにしながらオムツを付け替える黒戌に、心なしか冷たい視線が注がれる。泣けばあやして、適温のミルクを飲み易い角度に傾けつつ飲ませ、排泄にも嫌な顔せず汚れを拭き取り、こうして整える。十五年以上も空いているとは思えないと自分でも感心するくらいだ。
 責任は持つと念押ししたにも拘らず、真白も庭で鍛錬に励むでもなく居間に座ったままじっと様子を窺っていた。世話をしたいのかと思い声を掛ければ断られるが、その視線は赤ん坊ではなく黒戌の手元を追っている。四六時中一人で世話をするのは大変だと心配しつつも手伝おうとすると腰が引ける、といったところか。
「さてと、そろそろ食事の時間でござるな」
 言って、目を向けると綺麗になってご機嫌の赤ん坊を差し出す。え、と一瞬硬直したものの、真白も手を伸ばし慎重に慎重を重ねて受け取る。とそこまでは良かったのだが、緊張のあまりがちがちに硬直して中途半端な格好で動けなくなっている。すーはーと繰り返し深呼吸し、やっと座布団の上に座り直した。一連の流れを見てから手を洗いに行き、その後支度に取り掛かる。
 今日の分だけだけど、と申し訳無さそうに用意してくれた食材をその都度作るよう余らない量に調整してから茹でて磨り潰す。戻れば安堵したのも束の間、何かを悟って緊張した面持ちになり。
「ご、ご飯を食べさせるのは、兄上にお任せしたく」
 言葉よりも銀色の瞳が饒舌に任せたいと語る。微笑ましさに笑いを噛み殺しながら了承して匙を手に取った。

 赤ん坊のご飯を片付け自分たちの分を準備していると、背後から再び泣き声が聞こえる。作業の手を止めて黒戌は振り返ると、
「真白、お主に任せたでござるよ」
 とだけ言って真正面に向き直る。本人も手伝いたいと思っているのだからと心を鬼にし手元に集中する――つもりが、耳だけはつい後ろの様子を探り。
 真白は助けを求めない。畳を擦った音がして、僅かな足音に立ち上がったのだと気付く。そのままこちらに来るのかと思いきや、その気配はなかった。暫しの沈黙、そして。
 それは小さな声だった。戦場では凛と張った声が辿々しく唄を紡ぐ。ねんねんころりよと乳母たちが歌って黒戌も真似たように。彼女らがいた当時の思い出は真白にはない。この子守唄を知る余地はその後の――。
 真白からは見えないのをいいことにだらしなく頬を緩める。無事に立派に育って良かったとしみじみしながら楽しい三日間になりそうだと笑った。

 ◆◇◆

 自らは女子ではなく武人であり、かつ性格も性質も女性の細やかさとはまるで無縁な無骨者だとそう認識している。そんな人間に赤子を取り扱えるものかという不安は拭えない。だって頬も指も手のひらも、どこもかしこも柔らかくて鍛えたこの身ではちょっと力を入れるのも怖い。だから出来るだけ兄に頼りたいと弱気が顔を覗かせた。
 それでも、次代へと繋いでいくのは子供たちであることも理解している。手伝うと決めた以上は努力しようと思うのだ。
 安らかな表情で寝息を立てる様子にほっと胸を撫で下ろし、片手でしっかりと小さな身体を支えて唇の端の涎を拭った。素人なりに世話を焼きながらふと思うのは、いつか自らの子を抱くかもしれない、今は想像もつかないが一応は有り得る未来。それでなくともまずはこの子が大人になる世界を切り開かなければ。その頃には故郷に戻って兄以外の家族とも再会しているだろうか。
「近い将来、いつか必ず――」
 温もりを抱き、改めて決意する真白の耳に黒戌の声が届く。
「真白の子が生まれた暁には、この兄が必ずや誠心誠意世話するでござるよ。……いやしかし、真白の伴侶となるにはまず拙者を倒してからではなくてな。無論思いの丈を包み隠さず語って貰わねば気が済まぬ。他には……」
「兄上、何の話ですか?」
 ぶつぶつと呟いているのでろくに聞き取れず尋ねてみると、黒戌の背中が派手に跳ね上がる。振り返った兄はやたらと吃りながら繰り返し大きく首を振ってみせた。
「なななな、何でもないでござる! せ、拙者たちも食事にするでござるよ」
 頬をひくつかせながらの言葉と同時、美味しそうな匂いが漂う。どうやらまだ色気よりも食い気らしいと、真白は自らの腹部から鳴る音を聞きながらそんな風に思った。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
自分がおまかせで書かせていただいた話だといつも
真白ちゃんの成長に複雑な感情を抱く黒戌さんになってしまっていたので、
作中にもある通り頼られるのが嬉しい黒戌さんを書くのが楽しかったです!
将来的にはコメディ的なノリで結婚を巡るバトルが巻き起こるかもですね。
三日預かった意味があまりない終わりでしたが、最後は扱いに慣れて
口には出さないけど寂しがる真白ちゃんと、それを察して遊びに行っていいか
訊く黒戌さんがいるんじゃないかなあと勝手に想像していたりします。
今回も本当にありがとうございました!
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2019年07月24日

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