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『バケモノ喰らいの捕食者 』
ジャン・デュポン8910

 その種族は美しい心を持っている、と男は聞いた事があった。
 伝え聞く話は、いつだって優しさと温かさに溢れている。他者を愛し、困っている者には手を差し伸べ、弱者を救う種族。
 人間、とい名の種族。
 彼らの心はなんと美しく――それでいて、美味しそうなのだろうか。

 あらゆる生物の感情を喰らう、異界人が存在する。その性質から、彼らは種の存続を他種族に依存していた。
 捕食者でありながらも、彼らは他種族を尊重し、慎ましく生きる事を美徳としているのだ。
 能動的に感情へと干渉する事は歓迎されず、無理に糧を乱獲する事も許されない。
 男は、その思想を遵守していた。糧相手でも……否、相手が糧だからこそ、最大の敬意を持って接する事を心に決める。
 だから、男の物腰はいつだって丁寧だ。いつか人間の世界に行った時に、相手の事を思いやれるように。彼はその穏やかな物腰を、優しい言葉を、美しい仕草を頭の中に叩き込んでいた。
 男は、いつか聞いた話に出てきた人間の言葉を頭の中でなぞる。
(汝のリンジンを愛せよ)
 それは、とびっきりの博愛。美しくも、美味しい感情である、アイだった。

 ◆

 ――嗚呼。
 唇から思わず零れ落ちた声は、落胆にまみれている。夢に見ていたはずだったのだ、人間の世界にくる事を。
 準備は完璧だった。男は美しい世界で慎ましく暮らし、糧へと優しく接しながら感情を喰らう機会を伺おうとしていた。
 けれど、今目の前に広がる光景はいったい何だ?

 最初、男は自分が何かを間違えてしまったという可能性を考えた。そこに広がる光景は、あまりにも伝え聞いていたものとは違っていたからだ。
 同胞の善意を、利用し蹴落とす者達。自らの欲についてしか考えず、他者への心遣いなど欠片もなく、ただ独善的に私欲を満たす生物。
 それは、男が聞いていた人間という生き物の特徴には一切当てはまらない。なら、今目の前にいる者は何なのか。
 考えるよりも前に、口から飛び出てくるのは、男が一度も口にした事がなかった乱暴な言葉だ。
「バケモノ」
 無意識の内に飛び出た自らの声に、思わず同意して首を縦へと振りたくなる。
 今目の前にいる生き物が、あの美しい人間という種族だとは男には到底思えなかった。だから、最初は自分達が来る世界を間違えてしまっただけだ、と。ここは人間とは一切関係のない場所なのだ、と。
 まるで言い聞かせるように思ったが、けれど、真実はいつだって残酷に彼の元へと横たわっている。
 随分と前から、この世界で暮らしている同胞の姿を見かけたのだ。長い時をこの世界で過ごしている彼らすら、この世界に住まう者が人間であるという事を疑ってはいなかった。
(つまり、ニンゲンは……とっくの昔から、こんなバケモノのような悪行を繰り返していたという事か)
 ぞわり、と男の背筋に嫌なものが伝う。それは悪寒であり、生理的嫌悪感に近い。
 彼は失望したのだ。私欲のために、どこまでも狡猾になれる人間に。
 種のあり方に疑問を持たない同胞に。
 そして――自分自身に。

 積み上げてきた、人間のイメージが崩れていく。壊れてはじめて、それが伝聞という脆い素材で出来ていた事を思い出す。
 美しく、優しい人間はどこにもいない。あるのは、粉々に砕かれた善意と、それすらも利用しようとする悪意だけ。
「ニンゲンはクズだ! アイツらを、慮る価値なんて無い!」
 男の訴えは誰にも届かない。その慟哭は、ただ一人、人間を尊んでいたかつての男自身の胸に刺さるのだった。

 ◆

「だから、裏切りモノとか言われても、困るんだよね。だって、先に裏切ったのはソッチでしょ。都合が悪くなると被害者ぶって、まるでこっちが悪人のように責め立てる。いつだってキミ達は、自分達の罪は棚に上げるんだよね」
 目の前で怒り狂う糧に向かい、ジャン・デュポン(8910)は楽しげに笑いながらそう告げる。
 ここは彼が拠点としている教会であり、今は食事の前の準備の最中だ。惑わし、可愛がり、愛したそのニンゲンを、絶望に叩き落とすその瞬間を喰らうための下ごしらえ。先日から目をつけていた糧は、良い感じに感情を育てていてくれた。ジャンに依存する相手が、裏切られた瞬間の感情はジャンの舌を楽しませるに違いない。
「だいたい、キミだって良い思いをしてたんだからさ。イーブンじゃない? ボクの僕に、コロッと騙されちゃったんでしょ?」
 ジャンの言葉に二の句を告げない糧に向かい、なおもジャンは鋭い言葉のナイフを振りかざす。
「怪しいとか思わなかった? それとも、本当に自分はアイされてるとでも思ってたの? 随分とおめでたい頭をしているなぁ」
 肩をすくめながら、コツコツと音を立てて歩きながらジャンは相手の元へと向かう。普段は音を立てて歩いたりなどしない。今は相手の恐怖を煽るために、わざと音を立てているのだ。
 ジャンの唇が、「それに」と口にした。そこには、いつもこの教会にいる優しげな神父の面影はない。ただ、嗜虐的に笑う知らない男……いや、知らない生き物の顔が存在するだけだった。
「――騙される方が悪いんだよ」
 笑うジャンの耳が、確かに「バケモノ」と叫ぶ相手の声を捉えた。
 その言葉に、ジャンはますます唇を歪めて笑う。
 ジャンの言葉は、独善的な態度は、人を見下す言葉は――全て、かつて自分達が人間に言われた言葉なのだから。

 ◆

 食事を終えたジャンは、僕の目を通して世界を見る。ちょうど、目星をつけている獲物と接触しているところだった。
 そろそろ、教会へと誘ってもいいかもしれない。意志など存在しない僕に、そう誘導するように言いつける。

 しばらくして、教会に僕……そして、僕の連れてきた人間が訪れる。
 人間というより、人間という器に入った上質な感情と言っても良いかもしれない。なんであれ、ジャンにとってはこれから皿の上に並べられる餌に過ぎなかった。
 僕に紹介され……最も、そうするように僕に指示を出したのはジャンなのだが、糧は慌てて名前を名乗る。緊張しているその様子に優しく微笑むジャンの姿は、相手にとっては丁寧な物腰の人当たりの良い青年にしか見えないだろう。
「初めまして、ジャン・デュポンと申します」
 名乗った名前はもちろん、本名などではない。ジャンの故郷では、誕生年/固有番号/性別という一定の命名規則に基づいた文字の羅列で人は呼ばれる。個体識別以上の意味は持たない、記号のようなものだ。
 ジャン・デュポンは、この世界で過ごすジャンの偽名だった。人のフリをして過ごすのに名前が必要不可欠だというのもあるが、ジャンがこの名を名乗る理由はそれだけではない。
 自らの本名を思うと、同胞への嫌悪感が湧いてしまうのだ。だから、ジャンの名前は誰も知らない。この世界に住む者は、僕も含めて誰一人すら。

 人間は笑う。弱者を喰らう捕食者……ジャンの理想を打ち砕いた、バケモノが笑っている。
 ――嗚呼、なんて哀れで……美味しそうなリンジン。
 そんな捕食者を喰らうのは、本当の捕食者。バケモノに傷つけられ、思想を汚された男は、かつての慟哭をそのバケモノへとそっくりそのまま返してやるのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注ありがとうございました。ライターのしまだです。
ジャンさんの知られざる過去のお話と、それを踏まえた今のお姿……このようなお話になりましたが、いかがでしたでしょうか。
お気に召すものに仕上がっていましたら幸いです。何か不備等ありましたら、お手数ですがご連絡くださいませ。
それでは、この度はご発注誠にありがとうございました。また何かありましたら、いつでもお声がけくださいませ。
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年07月29日

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