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『Distance of the Weaver 』
リィェン・ユーaa0208

 13時15分、香港。
「映画の話に関しては、すべて幇とH.O.P.E.にお任せします。むしろ押し出したいキャラクターに自分が合わせますよ、……精いっぱいやりますとしか言えないんですが」
 リィェン・ユー(aa0208)というエージェントを主人公に据えたアクション映画。その方向性を決めるための会議で、本人はそう語り、締めくくった。
「ですので決定事項を知らせてくだされば。失礼します」
 スポンサーである古龍幇傘下企業、H.O.P.E.広報部、そして各企業の企画部等々の面々へ頭を下げ、会議室を飛び出していく。
 この場で最初の挨拶を交わして、わずか15分後の暴挙だった。
 渋面を寄せて苦言をささやく部下に対し、古龍幇の長は苦笑を返す。勝手にしろというのだから勝手に進めればいい。勝手にさせてやるのはその代償ということだ。
 長は今日が7月7日であることを確かめ、小さく息をつく。ふん、一年逢えぬ相手でもなかろうに。


 古龍幇本拠よりほど近い九龍公園。そのベンチに腰を下ろしたリィェンは息とマンダリンオレンジのネクタイの角度を整え、ノートパソコンを開いた。インターネットテレビ電話を立ち上げ、ある人物をコールする。
「ああ、起きてたか」
『6時半だもの。それはね』
 画面の向こうから手を振るのは、ロンドンの自室にいるテレサ・バートレット(az0030)だ。
「こっちは昼の1時半だ。遅めのランチはキャンセルしてきちまったから、なにか食わないと」
『映画の会議だったんでしょう? スポンサーとのつきあいは大事にしとくべきよ?』
「そうなんだろうけどな。いや、話はしてきたぜ。丸投げさせてもらいますってな」
 そうしなきゃならないくらい、居ても立ってもいられなかったんだよ。
 喉の先まで迫り上がってきた言葉を飲み下して、リィェンはモニタの上にあるカメラにまっすぐ視線を向けた。
「それはさておきだ。用意はもうできてるか?」
『ええ』
 促されたテレサが示したものは、短冊。
 7月7日は日本の七夕で、日本好きなテレサは浴衣まで拵えて東京で催される祭に参加するのを楽しみにしていたのだが――任務のせいで今日という日はロンドンに居続けなければならなくなり、日本に向かうことはできなくなった。
 本来であれば、リィェンは彼女と夕方東京で落ち合い、共に祭へ向かうはずだった。それがかなわなくなったからこそ、彼はモーニングコールを兼ねて顔を見に通話しているわけだ。実にいじましい男心である。
「内容を聞いてよければ俺が代筆して、東京へ吊るしに――」
『だめだめ! それじゃガンカケできないでしょ! ちょっと悔しいけど、今年のお願いは来年まで持ち越すわ。どうせ内容は変わらないもの』
 君がそう答えるのは予想してた。訊くまでもなく、短冊に書いた願いが世界平和だってこともな。
 リィェンは心の内で唱えて息をつく。
 正直、君の勤勉さが恨めしいよ。今日は特別な日だぜ? それに特務エージェントだってひとりじゃない。ほかの誰かに任せられたはずなのに、君はいつだって自分で背負いたがるんだ。
 その胸に抱いた正義の値段を問われ、ひとつの結論を得て以降、テレサは以前にも増して自分の有り様を正すようになった。よりストイックになったとも言えるのだろうが……。
 そんな彼女の押し詰まった息を少しでも抜いてやりたくて、料理教室や食事に連れ出してはいるのだが、テレサはすぐに休めた足を前へ急がせ、進んでいってしまうのだ。
 まあ、彦星と織姫は互いに溺れて、その結果引き離されることになったそうだし、勤勉なのはけして悪いことじゃないんだけどな。なにより1年に一度しか逢えないなんて、俺には耐えられない。
 と。ここに至ってリィェンは問題の根本について思わずにいられなくなる。
 テレサは俺のこと、どう思ってるんだ?
 嫌がられてはいないよな。
 ふたりで会うことを拒まれたことはないし、最近は特に、少しいい雰囲気にもなってきたものと思う。思うのだが。
 イギリスは日本みたいに告白して付き合うような文化を持ち合わせちゃいないからな。自然に、なんとなくそうなっていくらしい。……ただ俺は告白、してるからな。
 告白をしたはいいが、相手がそれを受け入れてくれた確証がなくて踏み込みきれない。行く先が彼女に委ねられている以上、どうしようもない。そう思ってみて、かぶりを振る。
 いや、結局は俺の問題だ。
 なにを代償にしてでも欲しいものがあるなら、踏み出さなくちゃ届かない。
 俺とテレサの間にどれくらいの距離があるのかわからないが、それでも一歩近づけば一歩分の距離は近づくんだから。
『どうしたの、リィェン君?』
「いや。どうすればいいか考えてただけさ。それで今、思いついた」


 任務を終えたテレサは時計を確かめる。現在時刻は23時47分。日本ではとっくに七夕祭りが終わっている時間だ。
 リィェンはあの後すぐに通話を切り、それきりとなっている。
 せめて思いついたことくらいは教えてくれてもよかったのに……。
 と。
「いい夜だな」
 彼女の前に、香港にいるはずのリィェンが現われて、笑みを傾げてみせる。
「リィェン君、ど」
「どうして? 映画のおかげで、H.O.P.E.のワープゲートは期限付きでフリーパスだからな。君の仕事が終わるまでにあれこれ支度をしてこれた」
 そして彼が差し出したのは、青白の磁器に植えられた小さな竹。
 今や世界で人気を呼んでいる日本の盆栽だが、ルーツは紀元前の中国に遡る。その伝統に則り、陰陽五行を盛り込んだ中国式の盆栽が、ここに在った。
「短冊、持ってるだろう?」
「……なんで知ってるの?」
「大事なものは手元に持っていたい性分だろう? そのくらいは心得てるさ」
 盆栽を示されれば、意図は知れる。この竹に短冊をかけろとリィェンが促していることは。でも。
 ためらうテレサを見て、リィェンは眉根をひそめた。さすがに竹が小さすぎたか? だが、でかい竹を担いでくるわけにもいかなかったしな。
 彼はとりあえず、自分の短冊を取り出して竹の先に結びつける。普通のものよりずっと小さい短冊を、たくさん。
「これ、多すぎじゃない? それに短冊が小さすぎて、書いたお願いも読めないでしょ」
 それがいいんだ。さすがに言えなくて、唇だけを動かしてごまかした。
 これらの短冊のほとんどはダミーで、当たり障りのないことがびっしり書かれている。本当の願い、「テレサに幸があらんことを」を覆い隠すために。
「これは君のオフィスの窓際にでも置いておいてくれ。それができるよう、盆栽にしたんだ」
 自分の手元に置いていいならテレサも警戒はしないだろうし、見るたびに少しはリィェンのことを思い出してくれるだろう。実にささやかな、しかしリィェンとしては精いっぱいの“一歩”だったのだが。
「あたしも書きなおすわ。中国は8月7日が七夕節なんでしょう? その日に書いて持って行くから――リィェン君のと同じサイズにした短冊」
「俺のところに来るっていうのか? それに七夕節って」
 今、中国の七夕節は2月14日と同じくバレンタインデー的な日となっている。それはつまり……
「あたしじゃ盆栽の手入れもできないし! 料理教室のついでにね!」
 恋は盲目と云うが、まるで見えないと思い込んでいた彼女との距離は、思いのほか近いのかもしれない。
 リィェンはうなずきながらテレサを見つめる。
 目の前、わずか1メートル先にまたたく蒼い瞳を。
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2019年07月29日

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