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『スイート・レイニーディ 』
ka1140)& 恭一ka2487

 その朝は、ずいぶんと早く目が覚めた。どきどきしながらカーテンの端をそっとめくる。外はうすぼんやりと明るくて、空の様子はよく見えず、今日がどんな日になるのかということはまだ、教えてくれなかった。けれど。
「きっと、いい日になる」
 志鷹 都(ka1140)には、その確信があった。弾む胸を抱えてそう呟く自分が、我ながら子どもじみていておかしくなる。本当に、幼い頃に戻ったみたいな気持ちだ。
「早起きだな。眠れなかったのか?」
 窓辺に立つ都の背中に、志鷹 恭一(ka2487)が優しく声をかけた。都は振り向き、柔らかく微笑んで首を横に振る。
「ううん。そうじゃないの。目が覚めてしまっただけ……、楽しみすぎて」
「そうか、それは……、なんというか」
 恭一は苦笑しながら、言葉を探すように小首を傾げた。恭一が何を言いたいのか手に取るようにわかり、都は先回りして言った。
「なんというか、子どもみたい、でしょ? 私も今、自分でそう思っていたところ」
「そうか」
 顔を見合わせて、夫婦はくすくすと笑いあった。



 都がまるで子どものように今日という日を楽しみにしていたのは、都の誕生日と、夫婦の結婚記念日を祝う約束をしていたからだった。祝うといっても、大げさな催しをするわけではない。日々の息抜きを兼ねてささやかに、ふたりだけで、ゆっくりとした時間を過ごそう、という意図だ。子どもたちは、今日一日、友人が面倒をみていてくれることになっていた。
「誕生日当日には祝えなかったからな……、少し遅めになってしまったが」
「その分、楽しみにしている時間を長く味わうことができたもの」
 嬉しげに微笑む都を、恭一はまぶしく眺めた。彼女のこのプラス思考に、何度助けられたことか、と思いながら。
 ふたりが時を過ごす場所に選んだのは、都のお気に入りの喫茶店だった。雨がしとしとと降る中、身を寄せ合ってひとつの傘に入り、出かけて行くと、店には橙色の暖かな明かりが燈っていて、静かな店内には数名の客がお茶とおしゃべりを楽しんでいた。
「いつ来ても、雰囲気のいい店だな」
「でしょう?」
 都が得意げに微笑む。都が気に入って通うようになってから、恭一も何度か訪れるようになっており、店主とも顔なじみになっていたし、店の看板猫とも仲良くなっていた。
 足元の悪い中をありがとうございます、と挨拶してくれた店主に挨拶を返して、ふたりは外の様子がよく見える、いつもの席に着いた。すると、いつもの席は少しだけ、いつもの席ではなくなっていた。
「素敵。お花が綺麗に飾ってある」
 テーブルの中央には、いつもは置かれていないフラワーアレンジメントが飾られていた。向かい合って座るふたりの視線を邪魔しないようにという配慮だろう、皿状の花器に低く活けられているのは、赤やピンクの薔薇と、白いカスミソウ。小さなカードが添えられていて、そこには「おふたりの幸せに祝福を」と書かれていた。
「これは驚いた」
 恭一も花を見て顔をほころばせる。店主からの、ちょっとしたサプライズであった。その心遣いに感謝をしながら、恭一と都は花を挟んで微笑みあう。そんなふたりを、店主が目を細めて見守っていた。
 大切な日を彩る食事として、恭一はラム酒を薫り高く使っているという焼き菓子とフルーツのデザートプレートを、都は「不思議な季節のスイーツ」と名前のついたメニューを注文した。どちらも、それぞれのスイーツにぴったりの紅茶を店主に選んでもらうことにする。
 食事が出てくるのを待つ間、ふたりはそっと、窓の外を眺めた。窓のガラス越しにも、雨音が聞こえてくる。耳を澄まさなければかききえてしまいそうな、かすかな音ではあったけれど。都がそっと、人差し指を唇にあてて恭一に微笑んだ。恭一も黙って頷いて、ほとほと、どこか甘くも感じられる雨音に耳を傾ける。
 しばらくして、都がそっと身を乗り出して、口元に手を当てた。ないしょばなしをするような姿勢に、恭一も身を乗り出して、都の方へ耳を近づけた。
「雨が降っているわりに、今日は外が明るいね」
「……ああ」
 まるで重大な秘密を打ち明けるようなふりをして、何気ない会話を始める都が可愛らしくて、恭一は一瞬目を奪われてから優しく頷いた。その穏やかさに、都はホッと胸の奥があたたまるのを感じていっそう笑みを深くした。
「もうすぐ雨が上がるのかもしれないな」
「そっか、雲が薄くなってるから明るいんだね」
 そんな、ふたりだけの時間を過ごす夫婦に気兼ねする様子もなく、喫茶店の看板猫がすらりとやってきた。
「おや、もてなしに来てくれたのか?」
 動物好きの恭一は、進んで自分の隣に猫を招き入れ、艶やかな毛並みを持つ背を撫でた。
 注文したデザートプレートと紅茶が運ばれると、都は盛り付けの美しさに、わあ、と歓声を上げた。恭一の注文したデザートプレートは、焼き菓子と飾り切りを施されたフルーツが品よく盛られていた。目を引いたのは都が注文したスイーツの方である。透明な、花の形の器に、鮮やかな青のジュレが盛られ、周りを生クリームが可憐に飾り付けられていた。器には、小さな小さな水差しが添えられていて、中にはレモンシロップが入っていた。
「これを、かけて食べるんだね」
 都は水差しをつまみ上げ、そっと、ジュレの上にたらした。と、青いジュレが、ぱあっと、ピンクに色を変えたのである。
「すごい! 綺麗ねぇ」
「本当だ。不思議な、という名前がついていたのはこういうことだったんだな」
 都はみるみる色が変わっていくジュレに目を輝かせ、恭一も感心して眺めた。見た目だけではなく、スイーツはどれも抜群の味で、ふたりはお互いの注文したものを分け合って舌鼓を打った。
「ジュレも甘すぎなくてさっぱりしているから、恭の口に合うと思うよ」
「そうか。ではいただこう。この焼き菓子も、あまりアルコールが強くないから食べやすいと思うが」
「うん、ちょっといただくね」
 食事を楽しみながら、ふと、都が窓の外に目を向けると、先ほどよりもさらに明るくなった空が目に入った。そして。
「あ……」
 都は、雲間から光が漏れているのに気がついた。その光が、様々な色を持つ光であることにも、気がついた。様々な色を持つ光……、虹である。
「虹……」
 小さな虹だったが、都の目は吸い寄せられた。脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。あれは、都が六歳のときだった。美しい虹を、見た。あの虹を、都は忘れられない。なぜならそれは、恭一と出会ったときに見た虹だから。
「ん?」
 都が熱心に窓の外を見ているので、恭一もそちらに顔を向けた。そして、都と同じ虹を見た。恭一の中にも、ぶわりと思い出が浮上する。ずいぶんと、昔の話だ。けれど、少しも色あせてなどいない。むしろ日ごと鮮やかに、恭一を励ますように、思い出は力を増してゆく。それは、毎日、都との一日一日が、すべてかけがえのない大切なものとして思い出に重なっていくからに違いなかった。
「ああ、虹だ」
「うん」
 交わした言葉は、これだけだった。だが、多くを語らずとも、ふたりが思い出している光景と、胸の中に灯る想いは、同じものであることに、お互いが、わかっていた。



 雨上がりの、道をふたりでゆく。
 お気に入りの店で、ゆったりと穏やかな時間を過ごし、満たされた気持ちで外へ出た。雨の上がった空は、ほんのりと夕暮れの色に染まり、柔らかな風がふたりを包むように吹いていた。濡れた石畳がつやつやと光る、洗いたての街に、恭一と都の、ふたりだけ。
 どこからか、かすかに澄んだ音色が聞こえてきた。誰かが演奏している楽の音が、流れてきているのである。
「この、音……」
 聞き覚えのある旋律だと、都は思った。思うのと同時に、自然と都の唇から歌があふれ出していた。
 歌いながら、都が舞う。
 眩しい夕陽は、都にかかれば偉大なる太陽という威光も形無しになり背景となる。舞い降りた天使のようだ、と恭一は思った。いや、天使のよう、ではない。恭一に、本当の安らぎと、生きる意味を与えてくれた都は、天使そのものだ。
 豊かな髪が、都がまわるたびに広がり、白のワンピースドレスの裾がふわりと揺れる。恭一は、その都の姿を、静かに見つめていた。見つめて、目が合って、どちらからともなく、指を絡ませる。手をつなぐのだと、都は思った。恭一も、そのつもりだった。
 けれど、膨れ上がった、想いが。
「あっ」
 都が短く、声を上げた。恭一が都の腕を引き寄せて、深く抱きしめたのである。
 驚きはしたものの、都は自分を包む優しいぬくもりに、すぐに自らも身を寄せた。ぬくもりを分かち合って、少し、体を離す。自然に、ふたりは見つめあった。恭一の顔が都の顔に近づいて、頬を赤く染めた都が瞼を閉じ、踵を上げた。
 ふたりの唇が、軽く触れあった。触れ合った唇から、想いがかよった。
 ここまでの感謝と、愛。
 これからの、愛と、誓い。
 大切に、抱えて。ふたりで、抱えて。雨上がりの家路を、歩み出した。


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ごきげんいかがでございましょうか。
紺堂カヤでございます。この度はご用命を賜り、誠にありがとうございました。
ご夫婦の大切な記念日を彩るお手伝いができましたこと、本当に光栄でございます。
少しでもおふたりの理想のひとときを描けていたなら幸いです。
この度は誠に、ありがとうございました。
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2019年08月01日

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