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『ゆらがぬもの 』
芳乃・綺花8870

 とある高校に通う芳乃・綺花(8870)がその身を滑り込ませた路地、その先にはターゲットの知れないアパレルショップがある。
 恐れ気なく綺花がそのドアをくぐれば、店長はぽそりと駅近くの家電量販店の名を告げた。
 綺花は顎先をうなずかせ、店内最奥の試着室へ向かった。
 その様を、店員はそれをただ黙って見ている。無駄だからだ。細かな情報もバックアッパーの手配も、なにもかもが。
 店員は退魔を担う民間会社“弥代”のサポート担当者であり、組織に所属する退魔士たちの世話を焼いている。基本的にその仕事は戦場以外のすべてが対象となるのだが、しかし。この芳乃・綺花に関してだけは例外なのである。

 綺花は試着室の中、ためらいもなく制服を脱ぎ落とす。これは彼女のボディラインを巧みにごまかすよう細工されたものであり、その守りから放たれた綺花は今、ありのままの姿を鏡に映していた。
 大きく張りだした腰から尻へのラインを引き継いで伸びる、長くしなやかな脚。それをランガードつきの黒ストッキングで引き締め、バックラインで飾る。
 次いで高く盛り上がる胸をスポーツブラ――シームレスのハイサポートタイプ――で包む。動きを妨げぬばかりのためではなく、存在を高らかに知らしめるための、固定。
 そこに、あえて学校の制服と同じデザインの、ただしボディラインを隠すことなくむしろ強調するよう仕立てたセーラー服をまとい、ミニ丈のプリーツスカートを深くくびれた腰で止めれば。
 先ほどまでと同じでありながら先ほどとはまるでちがう、妖美と云うよりない“女”の姿が顕われるのだ。
 別に着替える必要もないでしょうに。試着室を出てきた綺花に店長が言う。素材がちがうわけでなし、そのまま現場へ向かえば手間もかかるまい。そもそも綺花は情報の一切を必要としないのだから、着替える意味自体がない。
 しかし。
「私のすべてを魅せること、それが私に尽くせるせめてもの誠意ですので」
 応えた綺花は艶然と笑み、赤漆で塗り上げた拵(こしらえ/鞘)へ納めた打刀を手に、街の“裏”へと踏み出していった。


 家電量販店の搬入口に立ち、上へと視線を伸べた綺花は空気を嗅ぎ取り、うなずく。
 かくてエレベーターで向かった先は、オーディオ売り場だった。
 そこかしこに放り出された、わずか前には人であったのだろう抜け殻。喰われたのだ。皮を残して血肉を。
 あなたがたの無念は私が引き受けました。せめて心安く彼の岸へお旅立ちください。
 目礼を送る中で、気づく。皮ばかりが残された遺体に、傷痕がなかったことを。
 遺体の数は、おそらく数十。それだけの人間を傷ひとつなく喰らい尽くすとは、どのような業(わざ)を使ったものか。
 ――考えるまでもありませんね。ここがどこなのか、それを弁えていれば。
 綺花は右脚を前へ伸べ、上体を前へ投げ出した。180度に前後開脚で床へ伏せたかと思いきや、左手をついて支えとし、両脚を振って立ち上がる。
 と。長く伸ばした黒髪の先が、つままれて引っぱり回されたかのように踊った。
 音なき音――人の可聴音域を越えたそれが、先ほどまで綺花の頭があった場所をでたらめに揺らしているのだ。これで人々が皮の内をかき回され、ぐずぐずに崩れた中身を吸い出されたのだと知れた。
 それでは、踊りましょうか。
 息を整え、綺花が駆け出した。
 この店は今時めずらしいことに、1フロアすべてがオーディオ売り場となっている。そして並べられた高性能のスピーカーは、人に聴こえない音までも正確に再現し、それを集めることで一種の音波兵器を為しているわけだ。
 壊してしまえば早いのでしょうけれど、ね。
 デジタルであれ電気委信号であれ、それを繰ってスピーカーを鳴らし、人を殺せる相手である。下手に追い詰めて逃がしてしまえば、どれほどの被害が加算されるものか。なにせ世界は音で満ち満ちているのだから。
 綺花は抜刀した刃を手に宙を舞う。反らした背の逆側では縛められているはずの豊かな双丘が弾み、スピーカーの上へ突き立ったつま先は、その確かな筋力で豊麗な肢体を再び高く跳ねさせた。
“音”から逃れるための、あてなき逃走劇。そう思われたのだが。
 彼女を追う“音”の圧が減じていく。
 綺花のつま先がわずかずつスピーカーの角度をずらし、“音”の集中を乱せばこそ。

 と。
 圧が消え失せたと同時にすべてのスピーカーから低音を強調されたクラッシック音楽が流れ出し、綺花はそのただ中へと降り立った。
「こちらの意図はお察しいただけたようですね。少なくとも“音”だけでは私を追い詰められないと」
 染み出すように顕われたものは、蛙を思わせる姿を持つ怪。ただしその眼には知性の輝きと憎悪の濁りとが渦を巻いている。
 怪が喉を膨らませて高く鳴いたのを合図に音楽は音量をあげ、さらに太い低音で空気を揺らす。
 その音に紛れるように怪の姿が失せた。それこそ蛙は周囲の色に合わせて体色を変えるものだが、この怪は音に自分を溶け込ませることができるらしい。
 音量を上げたのは、自分を溶け込ませやすくするためですか。
 鼓膜を揺さぶる音から意識を外し、綺花はその上で耳を澄ませた。
 特定の音を選別して聞き取ることは、なにも特別な力ではない。それに、怪がなにをしたいのかはもうわかっている。
 鋭く研ぎ上げられた“音”の穂先が迫り、彼女はかすかに上体を傾げてやり過ごした。
「この程度、飛び退くまでもありませんよ」
 続く攻めを悠然と、一歩たりとも動くことなくかわし続けながら、艶然と笑む。
 しかし怪は焦らない。なぜならこれは、綺花を縫い止めておくための牽制だから。
 音とは振動。そして低音の大きな揺れは物を動かすほどに強い。怪は音楽によってスピーカーの角度を少しずつすらさせていた。そう、すべてが綺花へ集中するように。
 果たして包囲陣は完成し、怪は今こそ、“音”を綺花へ殺到させる――
「ああ」
 ようやく準備が終わりましたか。
 言い切ることもなく、綺花は法力を込めた刃を掲げてみせた。
 さながら避雷針へ吸われる雷のように、“音”が刃へと引き寄せられる。凄絶な揺らぎが鋼を激しく打ち据えるが、主の並外れた法力に支えられた刃は、刀身がぼやけて見えるほど震えながらも砕けることなく在り続けた。
「必然ですね。音を集めてしまえば、隠れる場所も奪われる」
 音楽は今やただの音流に過ぎず、ゆえに怪は身を潜める先を失くしてその場に姿を晒していて。
「ずいぶんと待ったのですよ? 斬ることを自分に禁じて、あなたがしたいことをすべてしていただくまで」
 怪は察するよりなかった。
 自分の策はすべて読まれていた。その上で、この女はそれを実行させたのだ。完全なる敗北を思い知らせる……ただそれだけのために。
「最初から手の内を晒されていれば、大方の予想はつくということです」
 飛び来る無数の音の槍、その隙間を滑り抜け、怪の眼前へ到った綺花は、今なお振動を続ける刃をその口へと突き込んだ。
 法力を吸った揺らぎが怪をかきまわし、凄絶な苦痛を与えながらその存在を引きちぎって芥へ還す。
 その様を見届けた綺花は死者へ黙祷を捧げた後、薄笑みを翻した。

 怪が人を喰らうものであるならば、綺花は怪を殺すもの。そのさだめを果たし続けることこそが彼女の本懐であり、悦びなのだ。
「次こそは、この命を尽くせるだけの敵に逢いたいものですね」
 鞘へ納めた刃の重みを確かめ、綺花は彼女の訪れを待つ次の戦場へと歩を急がせる。
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年07月30日

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