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『女神夏宴 』
スノーフィア・スターフィルド8909

「草間さん、今お時間よろしいですか?」
 スノーフィア・スターフィルド(8909)がヘッドセットへ語りかければ、モニタの内で眠たげな目をこする草間・武彦(NPCA001)がぼんやりと応えた。
『あと5分寝かしてくれたらよろしいですわぜ』
「あ、すみません! それでは後日あらためまして」
『いや、冗談だって。で、なんだい?』
 最近はこうして、インターネットテレビ電話で飲み会の打ち合わせなどしているふたりだが、無職も探偵も夜が遅い職なので、時間は大概午後の遅い時間だ。今日のように朝8時から連絡を、しかもスノーフィアが入れるのは相当めずらしい。
 とりあえず目をしっかり覚ましてもらわなければ。スノーフィアは意を決し、強くうなずいた。
「はい。実はですね。青山にごいっしょしていただきたいんです」
『青山って、あの小洒落た青山だよな。姉さん大丈夫かよ』
 スノーフィアが引きこもり体質であることは武彦も心得ている。
 と、いうことは十分承知したうえで、スノーフィアは重々しく口を開いた。
「毎年3月、某市で開催される試飲販売イベント、それが今日、青山の県営施設でプレ開催されるんです」
『なん、だと!?』
 スノーフィアが語ったイベントは、その県の全酒蔵が結集し、日本酒の試飲販売を行うものだ。普通酒から大吟醸までもれなく試飲し放題。それゆえに今、足の踏み場もないほどの盛況ぶりを見せている。
「その招待チケットのキャンセル分に当選したので、よろしけれ」
『何時集合!? って、イベントなんだから10時スタートとかだよな! 急(ブツっ)』
 スノーフィアはやれやれとかぶりを振り、用意しておいたミスリル銀糸で編んだゆるふわタイプのワンピース型甲冑をまとった。
 敵は蔵元。負けられない戦いが、そこにある。


 会場の前で合流したスノーフィアと武彦は、すでにできていた長蛇の列へ並び、開場したというのになかなか進まない列に苛立ちながらもなんとか会場入りを果たす。
 そして。
 施設の1階ホールの壁際にはびっしりと長机が並べられ、その上にはびっしりと日本酒の瓶が置かれていて。
「夢みてぇだなぁ! なぁ!?」
「まさに祭典ですね!」
 ふたりは小鼻を膨らませてうなずき合い、ぐっと拳を突き合わせた。
「96蔵、端から端までは……」
「……無理でしょうね」
 試飲用の、底に青い丸がふたつ描かれた白いぐい飲み。なみなみ注げば45cc入るから、およそ4杯分で一合になる。いくら飲み助のふたりとはいえ、日本酒など五合も飲めばしたたかに飲んだことになるだろうから、単純計算で言えば20杯。これは相当に厳選していく必要がある。

 と、いうわけで。
「なあ、ぐい飲みの上までちゃんと注いでくれよ!」
「そうです! 一杯分に達するまで、私たちは何度でも差し出し続けますので!」
 大吟醸を節約したい蔵元とバトルし。
「え? こっちも試してくれ? いや、この後も回んなきゃいけねぇし……」
「出されたお酒を干さないのは、お酒好きの道義に反します!」
 蔵元から勧められた夏向けの新作を三杯分ぐいっといただき。
「ひやおろしがいける? その情報、ありがたくいただくぜ」
「このぐい飲み一杯分に達するまで――」
 他の客からもたらされた情報を活用もし。
 気がつけば開場から20分、ふたりはすさまじい勢いでいい酒を飲み倒していた。


「うぉ、結構キテるわ。こりゃオープニングセレモニーで芸妓さん見るとかムリだな」
「飲んでいるばかりでしたしね……」
 飲食スペースに指定された2階の会議室、ふたりは酒精をたっぷり含んだ息をつく。
 スペースの関係で、食品の販売はされていない。代わりにこの飲食スペースは持ち込み自由なのだが、この辺りで適当なものを仕込もうとすれば、結局はコンビニ惣菜程度。それではこうして買い込んできた蔵元秘蔵の純米酒に申し訳がない。まだ飲む気かというツッコミはとりあえず置いておいて、だ。
「そういえば」
 スノーフィアは鎧の裏にある隠しポケットを探り、いざというときのための備えとして仕込んでおいた小さな包みを抜き出した。
「干し肉なんですけど、よろしければ」
「しょっぱい肴はありがてぇな。うまい」
 乾いているのにどこかもちもちとした塩味に、武彦は顔をほころばせる。
 とりあえず、迷宮の端にいる塩スライムの干したやつであることは黙っていよう。スノーフィアはあらためて武彦に向かい、頭を下げた。
「この前はゲーム世界から助け出していただいてありがとうございました。今日はせめてものお礼にと思って、突然のお誘いを……」
「いや、ありがてぇよ。いい酒を思いっきりタダ飲みできて、土産も手に入れられた。ついでにこっちの世界じゃ味わえねぇ珍味まで食えたしな」
 はたと顔を上げたスノーフィアへ、武彦は「この歳だから言っとくが」と前置いて。
「姉さんがただもんじゃねぇのはわかってるさ。ただ、姉さんもわかっといたほうがいい。この東京ってとこは、姉さんみてぇなもんが大量にいたりあったりするんだってよ」
 それは我が身で思い知っている。いや、ようやく思い至ったというところかもしれない。
 これまではスノーフィア・スターフィルドという存在にまつわる不可思議を味わってきた。それは大概が神様なるものの関わりで、だからそういうものだと思い込んでいた部分が大きいのだ。
 しかし、神様と関係のない「大概」から外れたものが、実はスノーフィア自身ならぬこの東京という土地がもたらしたものなのかもと、武彦の言葉でそう思えてきた。
「東京には、どんなことが起きて、どんなものがいるんですか?」
 純米酒の封を切り、武彦のぐい飲みに注いでやって、問う。
 新たにスノーフィアが出したもうひとつの備え、月光草と城壁茸の瓶詰めを味わいつつ、武彦は酒で流し込んだ。
「霊現象に異世界からの侵略、古き神の復活、錬金術師の暴走――挙げてけばキリもねぇが、そりゃもうゲームやらマンガやら小説やらに出てきそうなこたぁ全部だな。できれば関わりたくもねぇんだが」
 寄ってくんだよなぁ。武彦は突っ伏した腕の隙間からスノーフィアを見上げ、苦笑する。
「では、私が草間さんとお会いしたのも」
「もしかすりゃそういう因縁なのかもな」
 うなずいて、スノーフィアも酒を飲む。吟醸の淡麗さとはまたちがい、米の旨味がしっかり感じられた。確かにこれはお勧めされるだけの価値がある。
「いいお酒ですね」
 いろいろなことはさておいてしみじみ言えば、武彦も顔を上げて。
「おう。いっしょにいい酒が飲めるんなら、姉さんがなんだって俺ぁかまわねぇさ」
 そういうことでいいだろ。武彦の笑顔に、スノーフィアもまたほろりと笑んでしまった。
 いい男ですね、草間さんは。ただ、こういうよさは女性に届きにくいんですよねぇ。
「なんだい、惚れちまったか?」
 茶化す武彦にかぶりを振ってみせ、スノーフィアは言葉を継いだ。
「こういう空気感、男同士だからこそだなと思いまして」
 言ってしまってから、スノーフィアは気がついた。
「あ」
 聞いてしまって、武彦はうろたえた。
「え?」
 そして。
「姉さん、まさか兄さんかよ――?」
「言葉の綾です! 体はちゃんと女性で」
「悪ぃ。なんか踏み込み過ぎちまったな、兄さん」
「いえいえ、ですから」
 この後、言葉を失ったふたりは間を埋めるために飲み、会場へ戻ってさらに飲み続けて……あげくの果てにはなかよく路上で寝に入り、通報を受けて駆けつけた警察にお持ち帰られたんだった。 
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年07月30日

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