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『そして掃除はまた後日 』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)

 何も入っていない新しい袋を置き、シリューナ・リュクテイア(3785)は棚の前に立った。ガラス戸をスライドさせて中に並んだ瓶を取り、ラベルに目を通してからそれを眺めたり振ったりして、ある物は戻し別の物は割れてしまわないように、腰を屈めて慎重に袋の中へ置いていく。
「……なかなか骨が折れるわね」
 僅かに眉根を寄せてそっと零すと、シリューナは持っている瓶の蓋を開く。軽く寄せた鼻腔を刺激するのは消毒薬に似たツンとする匂いで、二度と開ける気のない硬さで封をすると袋へと入れる。いっそ空間転移で纏めて海にでも沈めればいいのではと思わないでもない。というかその方が楽でいい。しかし魔法薬屋を生業とする以上、自らが作った物に責任を持たなければ。とはいえ乗り気ではなく遅々として作業が捗らないのが現状だ。
 シリューナがこの倉庫――自身が経営する魔法薬屋の商品を保管してある――の大掃除を敢行するに至った理由は帳簿を見直していて売れ行きに偏りがあると気付いたからだった。元々一人で魔法の効力を封じ込める作業から販売まで一切を取り仕切っているので薄々は感じていたが、特に人気のない物となると最後に売れたのは数年前になる。魔法薬とは世の常識では有り得ない効果を発揮する品であって永久不変ではない。よって在庫としてここに置いてある数々の薬もまた、魔力が失われて効果が無くなった物や素材が劣化し変質した物、効力が極端に弱まった物等の不要品が増えてしまったのでこの機に色々と処分することを決意した訳だ。整理は魔法薬だけでなく元は趣味で蒐集した装飾品にまで及ぶ。一体何時間掛かることか。弟子であり、配達屋としても関係を持つファルス・ティレイラ(3733)が手伝うと言わなければ重い腰は上がっていなかったかもしれない。何せ売るより買う速度が上回っている――と、この棚の最後の瓶に手が伸びかけたところでシリューナは動きを止めて、すぐに長い髪を翻し振り返る。
(魔力の反応……? ティレイラがまた何かしでかしたのかもしれないわね)
 特定の条件下で自動発動する魔法道具もあるが一人でにそうならないよう管理しているし、十中八九ティレイラが関与しているだろう。確か彼女が居た方はと、腕を下ろしてシリューナは広いが物が多く、全貌が見えない中を迷わず進んだ。魔法薬も基礎は教えてあるが要不要の判別は難しいと単純に掃除を任せてあった。棚の片付けに入る前は床を拭いていた筈。思い返しつつ歩を進め、そしてどんな魔法が発動したのかを目の当たりにする。

 ◆◇◆

 時間は少し遡り、ティレイラは雑巾を持って鼻歌交じりに床掃除に励んでいた。ちらっと顔を上げれば魔法道具なのだろうが何の効果があるのかはよく分からない姿見が置かれていて、そこにエプロンをつけた自身の姿が映る。配達が主な仕事なのと好奇心旺盛な性格から落ち着きがなく、単純作業が苦手と思われがちではあるが案外そうでもない。――この倉庫のように入る度に何か珍しい物が置いてあったりすると注意を引かれる場合は多々あるが。
 何はともあれ綺麗に越したことはない。場所の性質上不潔な感じではなく、物の多さと部屋の広さから細部まで行き届いていない程度ではある。なのでその点に気を配って完璧な掃除モードで隅々まで拭き進めて、床板が光を反射し輝く光景にティレイラは満足して笑みを浮かべてみせる。
「うんうん、この調子で全部綺麗にしちゃおう!」
 棚の上や机等は先に埃を落としてあるのでこれが仕上げとなる。入り組んでいるのは厄介だが、そこまで長くは掛からないだろう。四つん這いの状態で雑巾を動かしながら前へ進んで、立て掛けられた何かを避けようと身体の向きを変えたところでその何かに手がぶつかる。痛みに思わず雑巾を放り出し、腕を引っ込めて当たった物を見た。
「いたたっ……これ、何?」
 雑巾の前にあるのは板状の物を壁に立て掛けておく際、倒れないように固定するストッパーらしき物だった。それがぶつかった衝撃によって後ろへとずれ込み、傾いた状態で支えていたのが真っ直ぐになって――。ティレイラは自身の頬が引き攣るのを感じながら、嫌な予感に恐々と上を見た。
 しゃがみ込んだ状態というのもあるが、立ち上がったとしてもティレイラの背丈を明らかに上回る大きさのそれは石板だった。表面には綺麗な模様が刻まれていて正確に意味を汲み取ることは叶わないが、その模様自体に魔力が込められているのと、それが師匠であるシリューナが得意とする性質――呪術の類だと知識が半分、直感がもう半分で察した。そして石板は均衡を崩して、ゆっくりと倒れる。無論壁ではなくティレイラに向かってだ。
「ちょっと待ってっ……!」
 悲鳴じみた声が漏れ、咄嗟に膝立ちになって石板を押し戻そうと試みるが見かけほど重くはないものの腕だけでそう出来るほど軽くもなかった。ぐっと歯を噛みながら身体を起こし立ち上がってみても先程よりも勢いが弱まった程度で、全身で抑えて何とか支えられた。
「助かったぁ」
 ぺしゃんこに押し潰され、情けなくも泣きながらシリューナの助けを待つなんて悲惨な事態に陥らずに済んで心の底から安堵した。ほっと息をついたはいいものの、無事元に戻さなければ結局は頼らざるを得なくなる。そうなれば待っているのは例の如くのお仕置きだ。足を踏ん張れば磨いたばかりの湿り気を帯びた床に滑り、うーうー唸りながら腕を伸ばし上部を壁際に傾けようとする。と。
「や、やだっ……何これ!」
 どこをどう触ったのか自分でも憶えていないが何かが反応してしまったようで、模様が淡く不気味な光を放った。そして同時に何の魔法が込められているのかを身を以て体験する――触れた箇所からずぶずぶとまるで泥濘のようにティレイラの身体は石板の中に沈んでいく。これは封印する為の魔法道具だ。悪魔や魔女といった災厄を齎す者に対抗する目的で生み出されたのか。
「やばい〜!」
 石板を抑える手は既に手首まで沈み込んで、石板を立て掛け直すどころの騒ぎではない。人間の身体のまま、本性である竜に近い状態――角と尻尾、そして翼を生やした姿になって形振り構わず何とか身体を引き抜こうともがいた。翼を羽ばたかせたり、尻尾を振り回した反動ですっぽ抜けないか試したり――無我夢中のその行為のせいでバケツが倒れるは、置いてあった小物が落ちるはのちょっとした惨事が起こったが当の本人であるティレイラは気付かない。それどころか悪化する状況に焦りは加速し。
「も、もうダメ〜!!」
 諦めの声は石板の中に顔ごと飲み込まれて、同時にティレイラの意識もそこで途切れた。

 ◆◇◆

 それはシリューナの記憶が確かであれば真っ平らな石板であった筈。しかも直立させるには不安定だからと壁に立て掛け、滑り止めの処置も施していた。しかし眼前にあるその石板は真っ直ぐに立ち、そして側面からは見覚えのある翼の一部と尻尾の先が覗いている。落ち着き払って空間転移の魔法を詠唱し、後ろを向いている石板を正面へと向け直す。そこには案の定、レリーフのように浮かび上がったティレイラの姿があった。
「全く、何をやっているのかしらね……」
 額に手を当てて溜め息をつく。好奇心か迂闊によるものか、おおよそ不用意に触れた結果、誤作動的に封印が発動したのだろうと状況を察する。しかしながらこの魔法の石板は本来、儀式を行なうことで完全な効力を発揮する物だ。石板の中を揺蕩う魔力は非常に不安定であり、ぎりぎり効果の崩壊を免れているような状態である。放っておいても暫くすれば無効化されて、封印された時と逆の作用が働くだろう。掃除への飽きが来ていたところに降ってきた思いもよらないハプニング。シリューナの心から呆れの感情は早々に消え失せて、代わりに希少な美術品や装飾品を前にした時と似た関心が真紅の瞳を妖しく揺らめかせた。一メートル余りの距離を一歩ずつ、焦らすようにじわじわ進む。
 近寄り眺めてみれば、浮き彫りになったティレイラの顔が諦念の色に染まっているのがよく見える。それは子供が嫌々と喚き疲れたような実に可愛らしい表情だった。荷物の配達に活躍する翼はまさに飛ぶ時のように大きく広がり、尻尾は中空に輪を描いた躍動感のある格好で若干はみ出ている。一対の角だけはティレイラの感情とは無関係に変わらず伸びているが。抵抗しようと生やしたはいいが、その努力も虚しく不思議なオブジェとして石板の一部と化してしまう。そんな状況を想像してみるとこの顔も然りだ。
 均整の取れた体躯や同族の証である翼や角もさることながら、シリューナの眼差しはやはり今は同じ高さにある、豊かな感情を切り取った顔貌へと注がれる。手を伸ばせば元の石板と同じく、磨き抜かれた上質な石の滑らかさが指先から手のひらを刺激した。人ならざる質感はひんやりとした冷たさを帯び心地いいのだが、
「いい……素晴らしいわ……!」
 とシリューナの唇から溢れた感嘆の声は美しさと可愛らしさが絶妙なバランスで同居する、ティレイラの像に対してのものだ。見るだけのつもりがこうしてつい触りたくなる蠱惑的魅力があった。しかしながら視覚で感じる以上の情報が触覚から伝わってきてシリューナの背筋にゾクゾクと、電流にも似た興奮が走る。凹凸のないきめ細やかな肌であったり、硬くなっている筈なのに柔らかいと感じる唇のラインだったり。少し力を入れれば折れてしまいそうなほど細い睫毛が緩くカーブを描いているところなど、こんな機会でもなければ至近距離で眺めることすら叶わない。鮮やかな色彩が失われていることだけは悔やまれる点ではあったが、元が人間であるが故の精巧さに没入する意味では有用といえる。
 実をいえば、素材は様々だが今のように像になったティレイラを愛でる機会というのは時たまある。今回のように彼女の不注意によって引き起こされることもあれば、預かった大切な品を壊しかけてシリューナ自らお仕置きに呪術をかける場合もあった。前者はともかく、後者をやめない理由はティレイラが相変わらず飽きさせない造形を持っているからだ。それはまるで仕事終わりに優雅なティータイムを楽しむように、至福のひと時としてシリューナの生活に根付いてすらもいる。
 器用に手の指十本をバラバラに動かしては高揚を沈めるように一息で感触を楽しんで、しかしそれでは結局飽き足らずに一箇所を入念に執拗なまでに撫でる。頬にしろ顎にしろ曲線は心地良さすらあって感触と愛らしさにシリューナの目はすぐ緩々と細められた。最早褒めるに相応しい言葉さえ見つからず時折熱っぽい吐息が静寂に満ちた空間に零れ落ちる。昂りは静まるどころか少しずつ熱を上げ、瞬きを忘れた眼球が痛みを訴えた。最初は頭の片隅にあった掃除を再開しなければという冷静な思考も徐々に削ぎ落とされていく。再開する為にはティレイラの封印を解かなければならないが、今この時を楽しみたい、もう少しと繰り返し念じている内に甘い誘惑が首をもたげる。――どうせ今日中に戻ってしまうのなら、満喫しても罰は当たらないと。ふと我に返って、シリューナはまだ陽が高いのをカーテンを閉めていない窓を見て知った。既に時間の感覚はあやふやだ。するりと名残惜しげに耳の裏から顎の辺りまでを撫でていた腕を下ろし、そして。
「……封印が解けるまでの楽しみだもの。ここを逃す手はないわね」
 わざわざ気合いを入れてエプロンまで身につけてくれたティレイラには悪いと思う。しかし彼女とは逆にこの世界で魔法薬屋を営んでもうそれなりの歳月が過ぎているシリューナにとって、日常は既に色褪せたもので。妹のように可愛がっているティレイラはあらゆる意味でこの心を刺激する。替えが効かないほど強烈に。
 シリューナの唇が普段よりも深く弧を描く。それは微笑と笑顔の中間、けれど本心からのものに他ならない。とにかく満喫しよう、そう思って再び手を伸ばした。泣いているわけではないが涙袋を目頭から目尻にかけてなぞり、両手で頬を包み込んでうっとりと表情を溶かす。
 あるいは意外と、ティレイラの愛らしさを楽しむ時はすぐに訪れるのかもしれない。ヒールを濡らす感触にぼんやりとそんなことを思って、そしてシリューナは忘我の境地へ沈むのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
いくら倉庫が広くても物が多かったらティレイラさんの
抵抗で二次被害まで出てしまいそうだなぁと思ったので、
第二ラウンド(?)もあるかもなオチにしてみています。
シリューナさんの興奮具合がやりすぎだったならすみません。
今回も像のティレイラさんの描写に重点を置いたつもりです。
今回も本当にありがとうございました!
東京怪談ノベル(パーティ) -
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東京怪談
2019年07月31日

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