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『はじまりの日』
詠代 静流la2992


 詠代 静流(la2992)はその日もぼんやりと空を眺めていた。
 暑くもなく寒くもなく、日差しも柔らかなこんな日は、屋上が楽園に思える。
(俺のエリュシオンはここにある……なんてな)
 ここ久遠ヶ原学園は自由さが売りの撃退士養成校、こんなふうに授業をサボって屋上でのんびり寝転がっていても誰にも文句は言われないはず――

「こらぁ詠代ォ!!」
 その時、怒声と共に青空が切り裂かれた。
 視界を割るように飛び込んで来たのは、白い翼を持つ静流の担任教師だ。
「やべっ」
 静流も瞬時に蝙蝠のような黒い翼を展開し、弾かれるように飛び立つ。
 足止めに使われるトラップを回避するため鳥竜を喚び出してステータス異常を予防したら、後はひたすら逃げるだけだ。
「待てコラ、今日という今日は絶対に捕まえてやる!」
 教師はネズミを追い回すネコか、泥棒を追い回す刑事のような台詞を吐きながら追って来るが、静流が幼い頃に見ていたアニメでは、最後に笑うのはいつも獲物のほうだ。
 今回もどうせそのパターンだと、静流は高を括っていた。

 他の生徒達にとっても、それは突発的に発生する一種のイベントのようなもの。
「あぁ、またやってるよ……」
「静流、頑張れー!」
「今度こそ捕まるほうにバナナオレ1年分!」
 生温かく見守る者、素直に応援する者、賭けの対象にする者――
 楽しみ方はそれぞれだが、この追いかけっこが始まると誰もが窓の外に気を取られて授業にならない。
 だから教師達も余程のことがない限り静流のサボりを黙認しているのだが。

 今日の教師陣は何故か妙に気合が入っていた。
 背後から飛んで来た白い光球が静流の頭を掠め、前方で爆発する。
(攻撃!?)
 おかしい、今までどんなに白熱しても所詮はただの追いかけっこ、本気の攻撃など一度も受けたことがなかったのに。
「次は当てるぞ、怪我したくなければ大人しく捕まれ!」
 次弾の準備をしながら迫り来る教師の目は本気だった。
「いいのかよ、生徒に怪我させたら教育委員会とか、そのへんが黙ってないんじゃないのか?」
 保護者は――まあ、詠代家の場合は何も言わないどころか却って煽りかねないが。
「生徒を守るのが教師の義務だろ?」
「そういうことは生徒の義務を果たしてから言え!」
「生徒が授業を受けるのは義務じゃなくて権利――」
「やかましい、自由が欲しけりゃ勝ち取ってみせろ!」
 そう言われても、教師を相手に戦うのは気分が乗らない。
 静流は馬竜を召喚すると、その背に乗って全速移動で離脱を図った。
「このスピードなら追い付けないだろ」
 だが直後、静流の周囲が自分の手さえ見えない真の闇に包まれる。
「テラーエリア!?」
 あの教師には使えないスキルだ。
「他にも追っ手が……?」
 静流は飛竜を召喚し、その目で外の状況を探ろうとするが。

「はいチェックメイト」
 闇の中を背後から近付いた別の教師に腕を掴まれ、静流の逃走劇は幕を下ろしたのだった。


 職員室に連行された静流を待っていたのは意外な展開だった。
「お前に手伝ってもらいたいことがある」
 教師はそう言った。
「まだ極秘事項だが、このところ世界各地に異常な時空の歪みが発生しててな」
 それは誰かが違法に開いたゲートの類ではなく、未知の世界と関わりがあるものらしい。
 発生はごく稀だが、その歪みに飲み込まれて行方不明になった者もいるという。
 原因も、原理も、どこに繋がっているのかも、今はまだ何もわからない。
「だから、撃退庁からの要請で秘密裏に調べるってわけだ」
「でも、そんな大事な調査になんで俺が?」
 そう言った途端、教師はニヤリと笑った。
「お前、座学よりこういう勉強の方が好きだろ?」
 それはまあ、話を聞いて興味を持ったことは確かだが、その決めつけるような物言いが気に食わない。
 そんな反発心を見て取ったのか、教師は「すまん」と一言詫びて続けた。
「お前とは散々鬼ごっこをさせられたわけだが……俺もただ闇雲に追っかけてたわけじゃない。まあ半分はテストみたいなもんだな」
「テスト?」
「ああ、危機対処能力と、召喚獣の使い方をな」
 この調査には召喚獣が必要不可欠なのだと、教師は言う。
「召喚獣は元々、こことは違う世界から喚び出されるものだ。その世界のことは、まだ殆どわかっちゃいない……だが、こっちの世界でどんなに傷付いても次の召喚じゃ何もなかったようにピンピンしてるだろ?」
「……召喚獣ならもしその歪みに飲み込まれても無事でいられるはず……ってことか」
「そう、だから召喚獣を歪みの向こう側に飛ばす」
 飛竜の視覚共有を使えば、召喚者は安全な場所にいたまま向こうの世界を観察することが出来るだろう。
 効果時間が切れれば召喚獣は勝手に自分の世界へ戻る。
 召喚者は自分がその歪みに飲み込まれないようにさえ気を付ければ危険はないはずだ。
「どうだ、引き受けるなら公認でサボり放題の上に単位もやるぞ?」


 その条件に釣られたわけではない。
 ただ素直に興味を惹かれ、面白そうだと思ったから。
 その先で何かが見付かりそうな、漠然とした予感があったから。
 静流はその調査を引き受けた。

 そして暫く経った頃。
 歪み発生の報を受けて他の調査員と共に駆けつけた現場で、それは起こった。
 静流がこれまでに見て来た歪みは、どれも立ち上る水蒸気が景色を歪めるような、瞬きをすれば消えてしまうような、不安定で不確かな存在だった。
 しかし今ここあるものは、違う。
「大きいな。俺ひとりくらいなら通り抜けられそうだ」
 空間を縦に引き裂いたそれは、歪みと言うより裂け目だ。
 裂け目の向こうには何も見えない――いや、何かが見えてはいるが、認識が出来ない。
 それを認識し、解釈し、定義付け、言葉にするだけの経験を、そこにいる誰もが持ち合わせていなかった。
「何か来るぞ!」
 誰かが声を上げる。
 裂け目を広げてこちら側に侵入しようとする何かが何であるのか、それもわからない。
 わからないが、感じた。
「これは敵だ、こいつをこの世界に入れちゃいけない!」
 蒼銀の竜を喚び出した静流は、ありったけの攻撃で「それ」を押し返そうとする。
 だが「それ」は何のダメージも受けていないように見えた。
 だが当たった手応えはある。
 天魔のように透過するわけでもなく、幻覚でもなく、物質としてそこにある。
「だったら――」
 倒すことは出来なくても、押し戻すだけなら。
「おぉおおおっ!」
 体当たりを敢行した静流は、持てる力の全てで「それ」を押し返した。

 絶対に入らせない。
 たとえ自分が巻き添えを食らっても、こいつだけは。

「俺の世界は、俺が守る!」

 押し返した静流を諸共に飲み込み、裂け目は消えた。跡形もなく。


 気が付くと、静流は見覚えのある天井をぼんやりと眺めていた。
 そこは久遠ヶ原学園の医務室――いや、違う。
 似てはいるが、自分の知っている久遠ヶ原学園ではない。
「ここは……」
「おっ、気が付いたか少年!」
 ベッドサイドにいた見知らぬ男が嬉しそうに話しかけてくる。
「ここの学生証持ってたから、とりあえず運んだんだが……いや困ったよ。そんな生徒はいないって言われちゃってね」
 男は自身をSALFのライセンサーだと紹介した。
 あの異形、ナイトメアと戦っている者だと。


 それが放浪者としての静流のはじまり。
 この道がどこに続くのか、先はまだ霞んで見えなかった。


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

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グロリアスドライヴ
2019年08月06日

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