▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『手向けには過ぎる花(1) 』
芳乃・綺花8870

 人混みの中を歩く少女は、まるで可憐に咲き誇る花のようであった。周囲の者は、自然と彼女の姿を目で追ってしまう。
 男もまた、整った顔立ちに健康的な肢体……そして長い黒髪を持つ彼女に、ひと目見た瞬間から心を奪われてしまっていた。
 思わず、彼は少女の後を追う。しかし、不意に彼女は人混みから抜け出してしまった。何を思ったのか、雑踏の中を縫うように足を早めた彼女はその魅惑的な身体を人けのない怪しげな路地裏へと向かわせたのだ。
 人の注目を集めていた事が嘘のように、まばたきをする間には彼女の姿はもうそこにはない。まるで、先程まで見ていた彼女の姿は白昼夢だったとでも言うかのように。
 奇しくも男が彼女の向かう先に気付けたのは、幸運な事だったのかもしれない。まるで誘われるように、彼は無心で彼女の歩いた道を辿り続ける。
 それは、あの可憐な少女が人けのない場所を歩く事を心配しての好意からか。それとも、その花を手折る好機と見て近づいた悪意からか。はたして、どちらなのかは男自身にも分からなかった。そんな事を考える余裕すらない程に、男はすっかり彼女に夢中になっていてしまっているのだ。
 しかし、路地裏で男を迎えたのは、ただ可憐に咲くだけの花ではなかった。
 刀が振るわれる音がする。少女が駆ける音に返事をするように、怪物が叫び声をあげる。
 明らかにこの世の者ではない姿をした異形を前にしながらも、怯む事なく立ち向かう少女の姿が路地裏にはあった。
 少女が手に持っている刀が、街灯の光を反射して光る。平穏な生活とはかけ離れた非日常的な光景が目の前には広がっているというのに、男はそれでもそこから動く事が出来なかった。
 恐怖で足がすくんでしまったわけではない。怪物を前にしてもなお、自信に満ちた笑みを絶やす事なく舞う彼女の姿に思わず見惚れてしまったのだ。
 いったい、どのくらいの時間ぼんやりと彼女の事を見つめていたのだろうか。視線を感じ、男はようやく我に返る。
 たった今異形を斬り捨てた少女は、長い黒髪を揺らしながら振り返ると男の事を見た。濡烏のような美しい黒色の瞳と、目が合う。
「危ないところでしたね。今、あなたに取り憑いていた霊を退治しました。もう安心です」
 少女の呟いたその言葉を理解する事が出来ず、男はしばし呆けてしまう。異形の姿は、もうそこにはなかった。どうやら、彼女がその刀で退治してくれたようだ。
 そこまで考えて、ようやく合点が行く。彼女に誘われるように自分はこの路地裏へときてしまったと思っていたが、それは間違っていた。
『ように』ではなく、実際に男は彼女に誘われていたのだ。少女は男に取り憑いた悪霊を退治するために、周りを巻き込まない人けのない場所へと男を誘導したのである。
 男は自分を悪霊から助けてくれた彼女に礼を言うため、口を開こうとする。しかし、彼女の姿はもうどこにもなかった。悪霊を退治する力を持った少女は、男がまばたきをしている間に忽然と姿を消してしまったのである。
 まるで最初からそこには誰もいなかったかのように、辺りを静寂が支配していた。髪の毛一本すら、彼女の痕跡は残っていない。
 まるで夢を見ていたかのようだ。けれど、彼女が最後に見せた満足げな微笑みを、その美しさを、男は生涯忘れる事はないだろう。

 ◆

 この世に蔓延る魑魅魍魎。日々脅威を増していくそれを、無視する事は決して出来ない。退魔を担う組織は、近年活況を見せている。
 芳乃・綺花(8870)は、緊急の呼び出しを受けて自らが所属する組織、「弥代」へと顔を出していた。時刻は夕方、彼女くらいの年頃なら放課後に寄り道を楽しんだりしている時間である。
 だが、彼女は途中悪霊に取り憑かれた者を見かけて退治してやったものの、どこかの店に寄る事はおろか遊んでいる同年代の少女達に一瞥をくれる事すらなかった。
 遊ぶ時間も魑魅魍魎退治へと回し、悪を打ち倒す日々を少女は送っている。しかし、彼女は一切その生活に不満を抱いた事はない。むしろ、自らの手でこの世界を救える事に満足していた。
(私ほど優秀な退魔士は、他にいませんしね)
 圧倒的な実力を誇る綺花に勝てる者を見つけるのは、この世のどこを探しても難しい事だろう。この退魔社だけではなく、全国の退魔士の中でも彼女はトップクラスの実力を持っているのだ。
(皆さんには、才能がないなりにもう少し努力してほしいものです。他の方が弱い分、私に仕事が回ってくるのは嬉しいですけどね)
 くすり、と少女は挑発的な笑みを浮かべる。彼女のこういった傲慢とも言える言動は、その可憐な見た目からは想像する事が出来ず初めて会った者に驚かれる事もあった。しかし、綺花の事を知る人は逆に思うのだ。可憐な彼女だからこそ、こういった傲慢な態度が許されているのだ、と。
 そもそも、綺花が他者を見下すのは自然な事であった。
 彼女は、実際に人よりも高みに立っているのだ。天は二物を与えるどころか、全てが完璧な人間が存在するという事を綺花はその身で証明している「。
 芳乃・綺花は完璧である。彼女は全てにおいて秀でていた。人を魅了する容姿だけではなく、実力も、知性も。

 上司から今回の任務について聞かされた後、彼女はとある一室へと向かった。そこには、彼女専用のワードローブが置かれている。
 中に丁寧にしまわれているのは、セーラー服だ。セーラーブラウスを身に着け、黒のスカートが少女のヒップを守る。けれど、その健康的な彼女の魅力までは隠し切る事は叶わない。
 足には、彼女の美脚のラインを決して崩す事なく包み込む黒のストッキングを。鏡に映る少女の姿は、まさに女子高生といった雰囲気だった。シックな色合いのセーラー服は、綺花によく似合っている。
 しかし、これはただのセーラー服ではない。軽くも丈夫な素材で作られた戦闘服であり、高校生退魔士である彼女にとって最強の防具であった。
 無論、守っているだけでは退魔士は勤まらない。魑魅魍魎を退治するためには、攻める力も必要不可欠だ。
 故に、少女は刀を携える。一見、女子高生には似つかわしくないそれ。しかし、不思議とその武器は少女によく似合っており、彼女をますます魅惑的な存在に見せるのだった
「さて、では今回の相手を倒しに行きましょうか。退魔士、芳乃・綺花の名にかけて、悪は塵も残さずに……せん滅してみせます」
 そう強気に宣言し、少女は戦場へと向かう。待ち構えている悪の強大さを知りながらも、その足が怯む事は決してなかった。
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年08月13日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.