▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『手向けには過ぎる花(2) 』
芳乃・綺花8870

 その館に足を踏み入れた瞬間、少女の鋭敏な耳はハッキリと人の悲鳴を捉えた。
 町外れにある今はもう使われていない館は、心霊スポットとしてこの辺りでは少し噂になっている場所である。その噂を聞いて、肝試しでもしようと思っていたのであろう。ふと窓の外を見ると、ちょうど逃げるように館から飛び出る数名の若者の姿が見えた。
「ここで彼らが何を見たのかは知りませんし、興味もありませんが……悲鳴をあげて逃げ出してしまうとは、情けないですね」
 呆れた様子で少女、芳乃・綺花(8870)は呟く。
 ろくに管理すらされていない館に明かりがあるはずもなく、廊下は闇に染まっていた。しかし、彼女は逃げ出した彼らとは違い怯む事なく館の中を歩き始める。
 不意に、彼女の肌を無遠慮に何かが撫でた。ひんやりとしたその温度の正体を、少女はよく知っている。この仕事を始めてから、数え切れぬ程浴びてきたものだ。
 それは、霊気であり殺気だった。ここには確実に何かが――いる。退魔士である少女が退治しなければならない相手が。今回の任務のターゲットである、悪霊が。
 たとえそういった類の存在に縁のない者であったとしても、この場所に訪れたら悪寒を感じたに違いない。それ程に、醜悪な霊気がこの不気味な館には漂っていた。
「けれど、本当に強い悪霊はその霊気すら隠してみせるものです。今回の相手には、あまり期待出来そうにありませんね」
 しかし、綺花はバッサリとそう吐き捨てて肩をすくめてみせる。その顔にあるのは、落胆だった。「退屈な時間になりそうですね」と語尾に付け加えた彼女は、この館に住む悪霊の力が大したものではない事をすでに察しているようだった。
 そんな彼女を、闇夜から伸びてきた黒い影が狙う。少女を自らの住まう世界……異界へと引きずり込もうとした影は、不意を狙って綺花へと襲いかかった。影は音もなく少女へと這い寄り、目にも留まらぬ速さで獲物へとその魔の手を伸ばす。
「甘いですね。その程度の攻撃が、私に当たると思っているんですか?」
 けれど、悪霊如きが少女のセーラー服に包まれた柔らかな肌に触れる事は叶わない。
 いつの間にか抜かれていた刀が、敵の攻撃を華麗に弾き返す。振り返る事もなく綺花が刀を振るったものだから、悪霊は攻撃が防がれたという事実に最初は気付けなかった。
 僅かに動揺するように、影が揺らめく。その隙を綺花が逃すはずもない。彼女は体ごと振り返ると同時に一歩前へと踏み込み、再度刀を振るった。勝負は、その瞬間に決してしまう。
 夜の館へと響き渡るのは、悪霊の悲鳴。彼女に切り捨てられた悪しき魂の断末魔。
 耳障りなその音が止むと同時に、敗者は戦場から姿を消す。後に残るのは、勝利者である綺花ただ一人だけであった。

 ◆

 悪霊が完全に消滅した事を確認した綺花だが、彼女が向かったのは帰路ではない。
 綺花にはまだやる事があった。先程見かけた、肝試し中の若者達に用があるのだ。
 幸いにも、彼らは近くにいたらしく向こうの方から駆け寄ってきた。先程の綺花の鮮やかな戦いぶりを、遠くから見ていたのだろうか。彼らは口々に綺花を褒める言葉を口にする。
 だが、少女が彼らへと返事をする事はなかった。それどころか、一瞥すらもくれずに、彼女は独りごちる。
「全く、残念です。ここには本当に、低級の霊しかいませんね」
 そして、再び少女は刀を振るった。その切っ先が、迷う事なく若者達の身体を切り裂く。
 しかし、本来なら辺りを染めるはずの赤い飛沫が彼らの身体から流れる事はない。代わりに、彼らはこの世の憎悪を固めたかのようなどす黒い影へと姿を変え消滅していった。
「自分達が悪霊と化している事にも気付かないとは、愚かですね」
 若者達は、綺花がここを訪れた時にはすでに人ではなかったのだ。恐らく、肝試しにきた時に先程綺花が倒した悪霊にやられてしまったのだろう。そして身体を失った彼らは、自らの死にすら気付かずにこの辺りを漂う悪霊となってしまっていたのだ。
 彼らによって、第二、第三の犠牲者が出なかった事は不幸中の幸いだった。もし他の誰かが彼らと同じように肝試しを目的としてこの地に訪れていたら、被害者は連鎖するように増えていった事だろう。
「同情はしません。あなた達はすでに人ではない。人を脅かす悪……悪霊に過ぎなかったのですから」
 人ではなくなった愚かな魂を、見下すように彼女は吐き捨てる。
「それにしても、準備運動にもなりませんでしたね。まぁ、いいです。所詮ここの敵は、前座ですから」
 今回綺花が倒すべきターゲットは、まだ他にも存在する。これから綺花が向かう先で待ち構えている悪は、今倒した悪霊達とは比べ物にならない程の脅威を持った存在だと上司から聞いていた。
 それは綺花でなければ勝てぬ程の相手。……厄災をもたらす、悪辣だ。
「けれど、どのような相手であったとしても、私の敵ではありません」
 くすり、と自信に満ちた笑みを浮かべて少女は呟く。

 この館が心霊スポットだという噂は、その内なくなるだろう。ここにいた悪霊は全て綺花が退治してみせた。
 しかし、少女は休む事なく次の戦場へと向かう。女子高生退魔士は世界に迫る危機を圧倒的な実力で叩きのめすために、街を駆けるのであった。
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年08月13日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.