▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『あのときの先にあるこれから 』
柳生 楓aa3403

 ここは裏通りにひっそりと看板を出す純喫茶。
「自分の場所」に決めているテーブル席を占領した私――柳生 楓(aa3403)は、溶けかけた氷が浮かぶアイスコーヒーをひと口飲んで、息をついた。
 今日も気温は30度を大きく越えている。もちろん冷房は効いているけれど、それでも心身が消耗してしまうのは暑さのせいだ……と、思う。思いたい。思うことにしよう。
 と、いうわけで。私はノートパソコンを閉じて、ぜんぜん進まない原稿の続きごと一時封印する。

 ――あの大戦からもう3年が過ぎて、世界は脅威から解き放たれたとは言えないけれど、それなりの平和を取り戻していた。
 だからエージェント業のほうもそれほどいそがしくなくなって、だからこそ私にはこっそりウェブの小説投稿サイトへ物語を投稿するだけの時間ができて。
 応募した小説が審査員特別賞をもらえたことから、今は兼業作家をやっていたりする。
「デビューしても仕事は辞めないように」なんて本当に言われるんだなと驚いたけれど、もともとH.O.P.E.を辞めることは考えていなかったから、担当さんも安心していた。
 実際、厳しい世界だと思う。デビューできても次の年まで作家でいられる人は多くないし、3年先も作家を名乗れる人はすごく少ないんだから。
 と、そんなことを言っている私だって、受賞作の3巻を出すことはできなかった。受賞者という看板が仕えるうちにもう一作出しましょうと言ってもらえたのは、すごく幸いだったのだろう。
 そういうわけで今、私はデビュー2作めの作品にかかっている。
 内容は、エージェントとして駆け抜けてきた戦いの日々を描く私小説。
 こうして文章に起こしてみると、ずいぶん無茶をしてきたなと実感する。なんだろう、“聖女”なんて大層なあだ名で呼ばれていたはずなのに、気高さや慈愛なんてぜんぜんなくて、脳筋丸出しな感じ。このあたり、本人だからこそ余計に容赦できない部分が大きいのだろう。
 その点は自己覚知ができているということにして、置いておいて。
 今現在、私を悩ませ、苛んでいる問題は、シベリアでの戦いだ。もちろん、なによりも鮮明で色濃い記憶だから、過ぎるほど書けるのだけれど……それにつれどんどんはずかしくなってきて。結局手が止まってしまった。

 もうひと口アイスコーヒーを飲んで、私はまた息をつく。
 乗らない気分とベストな状態を逸しつつあるアイスコーヒー。今日は無理せず帰ってしまおうか。
「お紅茶がお好きって顔してるくせにコーヒーか」
 ぶっきらぼうなアルトが降ってきたかと思いきや、私の向かいにどさっと腰を放り落とす、彼女。
「今日はお休みですか?」
 私の問いに、彼女は赤眼をすがめて応えた。
「H.O.P.E.の法務部から連絡が来た。おまえがあたしのこと小説にしたいって言ってるけど、許可していいかってな」
 透白の肌に雪白の髪を持つアルビノの少女――いや、今はもう女性と言うべきか。私を聖女から脳筋女へ引きずり落とした張本人であり、世界でいちばん大切な人のひとりでもあるリュミドラ(az0141)がそこにいた。
 ちなみにこの第2作、H.O.P.E.や私が所属していた小隊の仲間たちに許可をとった上で製作を開始している。そのとき、リュミドラさんにも話をしておいてくれるよう頼んでおいたのだ。彼女は現在、H.O.P.E.と提携している古龍幇の客分として戦場を巡っているから。
 できることなら、私はリュミドラさんに平和な世界で生き続けてほしかったし、今でもそう思い続けている。でも、未だ世界に残存する愚神群にとって彼女は裏切り者だ。だから彼女は執拗に狙われていて、東京に居続ければ無用の混乱を引き起こす。そういった理由から彼女は日本を出て、戦う道を選んだ。
 私がH.O.P.E.を辞めなかった理由のひとつは、そんな彼女を少しでもサポートできる立場でいたかったからに他ならないのだけれど、それは絶対、言わない。どうしても押しつけがましくなるのは目に見えているし。こうして踏みとどまれるようになったのは、それこそ自己覚知のおかげだろう。
 いろいろな感情や感傷を飲み下して、私はなんでもない顔で話を継いだ。
「H.O.P.E.のほうからはそのまま進めていいと連絡をいただいたんですけど、リュミドラさんのほうに問題があるようでしたらイニシャル表記にしますよ」
 リュミドラさんは白い眉をぐいと顰めて。
「あたしは勝手にしろって言っといた。だからおまえは勝手にすればいい。……ダメだって言っても、結局書かれるみたいだしな」
 おまえはぜんぜん変わってない。そう言いながら、リュミドラさんはとろっとした液体を注入した小さなガラス容器がつけられた機械を取り出して、伸び出した吸い口を口へくわえた。そうするとしゅうしゅうと濁った蒸発音がして、彼女はかすかなベリーの香りをまとった煙を吐き出す。
「なんだよ、ニコチンもタールも入ってないからいいだろ」
 私の目線に気づいたリュミドラさんが渋い顔で言う。
 私はあわててうなずいて。
「ベイプっていうんでしたっけ。ちょっとだけ、なつかしくなって」
 リュミドラさんが所属していた人狼群のひとりが吸っていた、ベイプ。
 忘れていないからこそ、そして忘れるつもりがないからこそ、彼女はそれを吸う。それはひとつの意志表示。人は、過去に囚われているからこその行為だと言うのかもしれない。でも。
「あのときを乗り越えてここまで来たんですね、リュミドラさんも私も」
「ああ」
 短いリュミドラさんの肯定に込められた万感には愛しさに満ちていて。その声音の強さにはけして帰らない日々を共連れて先へ行くという決意が込められていて。
 それはきっと、私の思い込みなんかじゃない。
「私もはずかしがってる場合じゃありませんよね。少しでも早くあのときのことを書き上げなくちゃ」
「意味わかんないけどな。おまえなんかいつもはずかしい真似晒してるんだから、気にしたら最後だろ」
 ずけずけ言われると返す言葉もないのだけれど……せっかく気合を入れたところだし、あえて宣言する。
「早く書きたいんです。あのときを乗り越えてきた私たちのこれからのこと」
 リュミドラさんは渋い顔のまま。
「そうか」
 言ってから、立ち上がった。
「あたしはこれからオーストラリアに行く。因縁が残ってる敵が待ってるらしいからな」
「終わったらまた会えますか? ご飯、用意しますから」
 背を向けた彼女は、取り上げた私の伝票をひらひら振ってみせて。
「餌付けされるのはごめんだ。外でなら付き合ってやる」

 行ってしまったリュミドラさんの背中を見送って、私はすっかり氷が溶けてしまったアイスコーヒーへ口をつけた。
 餌付けには失敗したみたいだけれど、餌を分け合ってくれる気にはなってくれたらしい。これはこれで大きな進歩。
 と。ほっこりしている場合じゃない。
 彼女は何日かで戻ってくるはず。それまでにシベリアの戦記を書き終えておかないと。気合を入れてノートパソコンを開き、私はキーボードへ指を乗せる。
 正直なことを言えば、はずかしい気持ちは消えていない。なにせいつもはずかしい真似を晒している私が、最高にはずかしい真似を晒した戦いを綴ろうというのだから。
 でも私はもう迷わない。
 私とリュミドラさんの、あのときの先にあるこれからを描くために。
シングルノベル この商品を注文する
電気石八生 クリエイターズルームへ
リンクブレイブ
2019年08月13日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.