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『私がここにいるよ 』
リオン クロフォードaa3237hero001)&九重 依aa3237hero002)&藤咲 仁菜aa3237

“魔女”と対峙し、とりあえずは退治に成功したはずの帰り道。
 一歩を踏み出すにつれ、薄暗い思いがリオン クロフォード(aa3237hero001)の心へ積もりゆく。
 俺のせいでいろんなものを失くしちゃった“魔女”。あの人が俺を怒るのも恨むのもあたりまえのことで。だから俺はそれを真っ正面から、何度だって受け止めるって、そう決めたんだ。でも。
 なんにも思い出せない俺は、なにを言われたってわからないから受け止められる。それだけのことなんじゃないのか?
「今度こそ」って俺は言ったけど、なにをどう守れなかったかも知らないんだぞ。
 なのに俺は、今度こそ守るって――

 ぱぢん!

 唐突に額で弾ける衝撃。
 リオンはその痛みに顔を上げた。
「笑え。それが不器用なおまえのほとんどない取り柄のひとつだろう」
 待ち受けていたのは、九重 依(aa3237hero002)の無表情だ。
「仁菜に気づかせる気か?」
 続けて押しつけられた問いという名の念押しに、リオンは大きくかぶりを振って。
「わかってるよ」
 輝くような笑みを形作った。
「心が入ってない。その程度の覚悟なら始めから強がるな」
「わかってるよ! 大丈夫だから!」
 そんなの、俺がいちばんわかってるんだよ!
 リオンは言い返そうとした言葉を喉の奥へと押し返し、息だけを外へと押し出した。
 覚悟だけは決めていたはずなのに、その覚悟は“魔女”の言葉でひび割れた。奥から滲み出す不安と恐怖で焼かれた覚悟が、熾火のようにリオンの心を苛むのだ。
 俺は弱い。自分の言葉ひとつにも責任取れないくらい。こんな有様じゃニーナのこと、守れるはずないじゃないか。
 と、思ってるんだろうけどな。
 依は笑みを失ったリオンを見やった。
 リオンの悩みを払ってやれる言葉は彼の内にあった。しかし、それを与えて救ったところで、本当の意味でリオンが救われることはないだろう。
 言ってしまえば簡単なことだ。しかしながら、リオンが思い出せない過去に目を奪われてる限りはきっと気づけないだろう、難しいことでもある。ほんの少しでもそこから目を離してみればいいだけなのに。歯がゆくもなるのだが。
 それをリオンに強いるのは酷だって、わかってはいるんだ。ただ、それじゃおまえはいつまでも救われないままなんだよ。
「仁菜には言わないつもりか?」
 ぽつりと問えば、リオンは口の端をぐいと上げてかぶりを振ってみせた。
「これは俺がなんとかしなくちゃいけない問題だからさ。まあ、ヨリには助けてもらったんだけど……巻き込みたくないんだ」
 俺と、それ以上に仁菜をか。
 リオンが犯している最大の過ちを知りながら、それを口にはできず、依は重い息を漏らす。
 早く気づけ。前へ進むにはおまえの脚1本きりじゃ足りないんだと。
「……家へ着くまでに、もう少しマシな顔ができるようにしておけ」
 それだけを言葉にして、依は前を向く。無理を強いる以上はせめて集中させてやるべきだろうから、目を逸らす。
 どやしつけてやれれば、きっと俺は楽になれる。だから言えないんだけどな。おまえたちを置き去りにして、俺だけ楽になれるわけがない。
 焦れる心を無理矢理に抑えつけ、依は眉根を引き下げた。
 まったく。なんで俺がひとりでこんなにやきもきしなけりゃならないんだ。


「ただいま」
 いつも以上に“いつもどおり”を心がけたリオンの手がドアを開ける。
「お帰り! 早かったね、依」
 出迎えてくれた藤咲 仁菜(aa3237)の笑顔に変化がないことを確かめ、こっそり胸をなで下ろして。
「俺じゃないのかよ!」
 リオンは大げさに肩を落としてみせた。
「えー。だってリオン、遅くなるかもって言ってたでしょ。依はちょっと出てくるって言っただけだったから」
 そしたらほんとにちょっとで帰ってきたんだもん。付け加えて、仁菜はぶるりと体を振るわせた。
「あっつい! 最近の夏、ちょっとすごいよね!」
 ロップイヤーをぴょこりと弾ませて、冷房の効いた居間へと逃げ込んでいく。
「雪が降るようなとこで生まれたんだもんな、ニーナ」
 噛み締めるように言うリオンの表情は、言葉と同じくくすんでいる。思い出しているのだろう、仁菜と出逢ったあの雪原を。
「……」
 依はなにも言わずにリオンを追い越し、居間へ続くドアをくぐった。
 ソファの端に腰を下ろし、仁菜が出してくれたアイスココアで喉を湿し、手作りのクイニーアマンをかじる。
 この戦いに貸してやれる手はない。だから俺は、最後まで見届ける。どんな決着になっても、目を逸らさずにだ。
 後れて入ってきたリオンは、自分が座ろうとしていたところが依に塞がれていることに眉根を跳ね上げ、何度もためらってから、ようやく定位置へと浅く腰かけた。いつもどおりに仁菜が座ればその向かい側となる場所へ。

「リオンはなにしてきたの?」
「ちょっと人と会いに行ってた。途中でヨリと合流したからさ、いっしょに帰ってきたんだよ」
 向かいの仁菜へ応えたリオンはアイスティーのグラスで自分の唇を塞ぎ言葉を切った。
 それよりも依だ。ちょっと出てくる程度の時間で“魔女”の能力者を抑え、服のボタンを手に入れて来てリオンを助けてくれた。今日思いついたのではなく、前々からそれをすることを想定していたのだろう。リオンにも仁菜にも気づかせることなく。敵じゃなくてよかったなと、つくづく思う。
「私の知ってる人?」
「H.O.P.E.の英雄だけど、ニーナは知らないんじゃないかな」
 ?はついていないから、かろうじて後ろめたさなく応えられた。
 いや、そうしなくちゃいけないなら、俺は普通にウソだってつくよ。思い出せないだけで、王子だった俺はずっとやってきたことなんだからさ。
 俺はニーナを守るんだ。
 俺がニーナを守らなくちゃいけないんだ。
 その俺が、自分のせいで抱え込まなくちゃいけなくなった不安なんかにニーナを巻き込めないだろ。
 大丈夫。俺はやれる。絶対やってやる。
 だから笑え。笑って、ほかの全部を押し込めろ。王子じゃなくなったくらいでできなくなるなんてないだろ。
「でも、気を遣わないといけない人だったからさ、疲れた! だからヨリ、俺にも甘いの分けてよ! 独り占めとかずるいだろ!」
 笑いながらわーっと依へ突っかかって、なし崩しに話題を――
「その人、リオンのお友だちじゃないんだね」
 え? 思わず振り向いたリオンは咄嗟に自分の表情を探る。大丈夫、笑ってる。
「なにがあったの?」
「え?」
 仁菜の追撃で、思わず声に出してしまった。
 いやいや、俺、笑ってるよな? ちゃんと隠せてるよな? なのになんでニーナ、そんなこと言うんだよ?
「リオン、がんばって笑ってるよ」
 この家を出て行くとき、リオンの背中ははまるで決死行へ踏み出す騎士さながら強ばっていた。そして帰ってきてからの笑みは、いつもよりもずっといつもどおりだった。そうやって笑うことだけが自分の存在価値なんだと思い込んでいることは、すぐに知れた。
「なんで、そんなこと」
 わかるんだよ?
 発せられなかったリオンの問いに、仁菜もまた心の内で応えた。
 そんなの見たらわかるよ。だってずっといっしょにいるだけじゃない、共鳴してるんだもん。
 そしてリオンのとなりへあらためて腰を下ろす。リオンががんばって笑ってみせなくていいこの場所から。
「教えて。全部聞くから」
 リオンを追わないように――リオンに負わせないように――そっと促した。
「俺はさ」
 ぽつりぽつりとリオンは語り出す。
 不思議な感じだった。
 ただ訊かれて答えているだけなのに、言葉がどんどんその量を増していく。事情の中に“魔女”への後ろめたさと、それを感じてしまうことの傲慢。失われた記憶を盾にした自分の欺瞞。自分の内へ詰め込んで、底へと押し詰めていた思いがこぼれ出して、沸き出して、噴き上げる。
「俺はそれでも進まなくちゃいけないんだ。今度こそあきらめずに守り抜いて、俺は」
 リオンを濁らせる激情の逆巻き。
 それは千々乱れながらも一条に重なって縒られ、リオンを内より突き崩す濁流と化して――やがて記憶の霞をも押し流し、封じられていた情景を閃かせた。

『もう少しいっしょにいたかったのだけれど……せっかく用意していただいた舞台ですもの。譲ってあげるわけにはいかないわ』
『追いつくことはできそうにないが、先にゆくことはできるだろう。おまえは急がず、ゆっくり追ってこい。老いたおまえの皺の数、俺が数えてやろうゆえな』
『吟遊詩人の方にご注文をお願いしますねぇ。わたくしの唄は美化盛り盛りでってぇ』
『髭の一本も生えとらんガキの仕事はな、両手を組んでこの兄に「ご武運を祈りますぅ」と託すことだ!』
 笑いながら行き過ぎていく、血にまみれた女たちと、男たち。
 なにも思い出せなかったはずのリオンは思い出す。それが姉たちであり、兄たちであることを。残された笑みが、彼らが最期に残してくれたものであることを。
『笑いなさい、どれほど苦しくとも悲しくとも。他者の体ばかりでなく、心をも護るために』
 千の従魔を氷結地獄へ道連れにした第三王女が笑んだ。
『護るために命を張る。それはまったくもって正しい。しかしな、そうして命を失くしてしまえば、結局は護ることもかなわない。生きて生きて生き抜いて、護り続けろ』
 強大な力を誇る愚神と差し違えてその攻勢を押し止めた第二王子が笑んだ。
『託すとは己が為せなんだものを負わせることだ。せめておまえだけは、その無念を繰り返してくれるなよ』
『残されることなど誰も望みはしない。どれほど無様を晒してもいい。残すことも託すこともなく、あなた自身が負うことを望んだものを全うするのですよ』
 迫り来る愚神群より民を護るがため命を捨てた王と王妃が笑んだ。
『リオンこそが私たち、そしてこの国最後の支えだ。どんな状況に陥ってもあきらめるな。守るべき者を守り抜け――頼む』
 たった数十秒を稼ぐためだけに、ひとりで敵陣へと突撃した第一王子が、笑んだ。

 俺はこんなに大切なこと、忘れてて。
 みんなからいろんなものを託されて。
 だから笑わなくちゃいけなくて。
 なのに、弱くて護れなくて。
 笑えるよな。なんにも護れなかった俺が変われてもないくせに今度こそ、今度こそって。
 兄上たち、姉上たち、父上、母上……俺じゃない誰かが託されてたらちがう明日が見られたはずなのに、どうにもならないくらい弱かったから俺を残してくしかなくて。
 情景が濁流に押し流され、取り残されたリオン。
 その足元に、粘つく闇が絡みつく。
 徐々に迫り上がる黒はじわじわと彼へ染み入り、体を、心を絶望で押し固めていく。抗う術などあろうはずはなかったが、それでも。
 俺は笑わなくちゃ。みんなの無念と託してもらったものの重さ、俺は知ってるから。どんなに弱くたって、結局なんにもできなくたって、今度こそ俺は笑ってなきゃ――

 ぱん。

 リオンの両頬を、鮮やかな痛みが押しつける。それは依に額を弾かれたときのように過ぎ去ることなくぐいぐい押してきて、ついにはリオンの顔を横向けた。
「見て」
 今。目の前に仁菜の顔がある。
 泣き出しそうな、怒り出しそうな、いろいろな思いを織り交ぜて折り重ねた真剣な顔が。
「私がここにいるよ」
 私はじゃなく、私がいる。
 いつの間にこんな強くなったんだ? 思いかけて、リオンは仁菜と初めて逢ったときのことを思い出した。「私が守るから」、ロップイヤーを翻し、言い切ってみせた少女の姿を。
 強くなったんじゃない。ニーナは最初からこんなに強かったんだ。
 その思いが伝わったかのように、仁菜はかぶりを振る。
「リオンはね、自分が思ってるほど笑うの、うまくないんだよ。でも、どうしようもないくらい弱い私は、その笑顔に頼って、護ってもらうしかなかった」
 そう。仁菜はずっとすがってきた。どんなときも「大丈夫」だと言ってくれるリオンの笑みに。本当は大丈夫じゃないこと全部をリオンが負ってくれていたんだとわかっていたのに、満足に戦うこともできない自分にはなにもできないから、そう言い訳して、見ない振りをしてきた。
「でも、どうしようもないくらい弱い私だからなんて、もう言わないよ。どんなに辛くても前に進む、そう決めたんだもん。リオンとふたりで」
 仁菜が笑む。
 限りない強さをもってリオンを飲み込もうとしていた闇を解き、限りない慈しみをもってリオンを押し詰めた絶望を溶かす。
「だから――リオンの全部を私に預けてなんて言えないけど、苦しいことも悲しいことも半分だけ預けてよ。ひとりじゃ重たくて潰れちゃうかもしれないけど、ふたりで半分ずつ持っていけたら、きっとどこへだって行ける」
 ふたりなら行ける。
 光に満ちた、明日へ。
「だからね、大丈夫!」
 なんの根拠もない大丈夫。
 でも、ほかのどんな言葉よりも信じられて、信じたい、大丈夫。
「そっか。大丈夫か」
 仁菜の手を伝い、リオンの奥からたまらない重みが流れ落ちていく。ひとりで抱え込まなければならないはずのものが、分け与えられていく。でもそれを止める必要はないのだと素直に思えるから。リオンは目を閉じて委ねてしまった。
「もう独りで戦わせたりしないからね、リオン」
 力の抜けたリオンの顔が仁菜へと引き寄せられて、抱かれた。
 そのぬくもりがあまりに心地よくて、まるで遠い昔に家族がくれたやさしい日々のようにあたたかくて。
 リオンの閉じた両目からはいつしか、澄んだ涙がこぼれ落ちる。
「うん。俺はもう、大丈夫だよ」
 かすれたリオンの声に仁菜はうなずく代わり、両腕へさらなる力を込めた。
 リオンに護られてる私が、リオンを護る。


 見届けた依は音もなく居間を抜け出し、外へ滑り出た。
 やっと互いの心を、本当の意味で重ね合わせたのだ。もうしばらくふたりだけで向き合わせてやりたかった。
 さて。俺はこれからどうするか。
 収まるべきところへふたりが収まった。あとは余った自分の身の振りかただけなのだが。
 離れるのは、きっとあのふたりが許さないんだろうな。あいつらは家族ってものに拘りが強すぎる。だとしたら……子育てでも手伝うしかないのか。俺にそんなことができるとも思えないが、それも左右から大丈夫だって言われるんだろうし。
 思わず笑ってしまった。忌み子だったはずの依が兎姫と王子様のお供にさせられたあげく、どうやら乳母まで押しつけられることになるなんて。
 戦場にいたころには思いもしなかった有様だが、人生とは思いがけない方向に転がっていくものなのかもしれない。互いに依存するだけの関係だったはずのふたりが、ああして互いを支え合い、同じ先を目ざし始めたように。
 まあ、どんな先に転がって行っても大丈夫。そういうことにしておくか。


「それでどうするんだ?」
 依の問いにリオンがうなずいた。
「“魔女”と決着つけるよ」
 リオンと並んだ仁菜も力強く。
「うん。負けてなんてあげられないもん」
 なら、俺はおまえたちの決意を支えるだけだ。喉の奥でつぶやいて、依はひとつうなずいた。

 果たして、決戦の時は迫り来る―― 
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2019年08月16日

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