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『Bath articles 』
ファルス・ティレイラ3733

 ――ありがとう、助かったわと依頼主の女性が嬉しそうにそう言った。
「ちょっと焦りましたけど、ギリギリ間に合ってよかったです」
 ファルス・ティレイラ(3733)は自身の仕事であるなんでも屋さんの依頼をこなし、依頼人である女性と話をしている最中であった。今日は魔法の本をタイトな時間で配達しなくてはならないという内容であったが、無事に終えられたようだ。
「これ、お礼に持って行って」
 依頼人の女性が、にこやかに笑いながら一つの包み紙を差し出してくる。
 ティレイラはそれを受け取ると、中身が何なのかが気になった。
「入浴剤なの」
 ぜひ使ってみて、と後付けしつつ、女性は優しげにそう言った。当然であるが魔法使いからもらうものは必ず魔力を帯びている。貰った包みからも、同様に魔力が仄かに存在を示していた。
 治癒効果のある魔法がかけられているという。ただし、効力は日を置くと劣化してしまうから、早めに使い切ってとその女性からの後付けがあった。
「ありがとうございます! じゃあ、またお願いしますね〜!」
 短いお礼の後、ティレイラは元気よくそう言って、女性と別れた。
 そして彼女は、そのまま自室へと戻り、一息ついたところで包み紙の中身を確認した。
 入浴剤が入った小瓶は、見た目にも美しい装飾が映えたものであった。ブランドものの香水瓶を思わせるような造りで、ティレイラの乙女心も掻き立てられる。色違いの瓶が3つ。それぞれを確かめて、心を躍らせる。
「わぁ、きれい……夢、夜、春色…それぞれにテーマ色があるんだ…」
 夢はまさに夢色、パステルカラーのピンクと紫、夜は藍色がメインにターコイズブルーのグラデーションになっている。そして春色は、桜餅を思わせる配色であった。
「あ、夜には星形のラメだ……かわいい」
 小瓶を軽く振ると、中身のラメがゆらゆらと揺れた。ティレイラはそれに気をよくして、ふふ、と笑う。
「これはさっそく、今日のお風呂に使わなくちゃ……そうと決めたら、準備しなくちゃ!」
 ティレイラはそんな独り言を繰り返しながら意気揚々と立ち上がり、風呂の準備を始めた。
 ――数十分後。
 ぴちょん、と水面が跳ねる音がした。
 水滴が雫となって湯船に落ちた音であった。それをぼんやりとした視線で確かめていたティレイラは、夢心地でその湯船につかっている最中だ。
「はぁ〜……いい匂い…こんな入浴剤、初めてかも……」
 入浴剤にはテーマごとの香りと、治癒効果があった。それはもちろん魔法がもたらす効能であり、ティレイラはその恩恵のようなものを受けていた。
「なんか勿体ないなぁ。でも開けたら使い切ってくださいって書いてたし……治癒関係の魔法を形として残しておくのはあんまりよくないって、お姉さまも言ってたっけ……」
 いい香りと仄かに色づいたお湯を掌ですくい上げつつ、彼女は呟いた。
 薬草等とは違い、液体の効果はさほど日持ちしないという。
「2、3日で使い切ったほうがいいよね……」
 今日は一つの瓶を使った。残りは2つ。惜しいが明日明後日とで使ってしまおうと思いながら、ティレイラはお風呂タイムを楽しんだ。

 それから、一か月ほどが過ぎた。
 例年より暑く感じる夏の日々の中、ティレイラのなんでも屋さんは何故か盛況で、依頼が絶えなかった。配達や調査依頼が主で、調査に出かけると一日では帰れない日もあった。
「う〜〜ん、もうヘトヘトだよぉぉ〜〜……」
 フラフラとした足取りで、自室に戻ってきたティレイラは、そう言いながらベッドに沈み込んだ。
 あまりに盛況ぶりに、師である女性も店番などは暫くしなくてもいいと言ってくれたほどだった。夏休み効果も手伝ってか、『なんでも屋さん』の評判はじわじわと広がっているようだ。
「うう……このままだと寝落ちしちゃう……シャワーだけでも浴びなくちゃ……」
 しばらくベッドでうつ伏せでいた彼女は、遠くなりかけた意識を自ら呼び起こし、ゆるゆると起き上がる。
 ベッドから視線を移したところで、本棚の横に転がっている何かを見つけて、ティレイラはそちらへと歩みを寄せた。
「……あ、これ……もらった入浴剤だ……そういえば、あれから使えてなかったんだ……」
 転がっていたものは、魔法の入浴剤であった。
 2つ目までは使っていたが、その後にうっかり使うことを忘れてしまい、忙しさもあってシャワーだけの日々が続いていたためだ。
「せっかく見つけたんだし……使っちゃおうかな……」
 彼女はそう言いつつ、風呂場へと足を向けた。
 早めに使い切るという事は記憶の隅に残ってはいたが、元々の疲労感ゆえに、それ以上のことは考えずに浴槽に湯を張るのだった。

「あ〜〜……やっぱり湯船はいいなぁ。シャワーだけだと汗は流せても疲れはあんまり取れないんだもん……」
 ゆったりと湯に浸かりつつ、疲れた社会人のような言葉を並べている。それほど、最近が忙しかったのだろう。
 それから数秒経って、ゆらゆら、と湯の中で手のひらを揺らしつつ、入浴剤の存在を確かめた。
「匂い、やっぱり薄くなっちゃってるな……治癒効果のほうは、もう飛んじゃってるかも」
 そんなことを小さく呟いていると、お湯に変化が訪れた。
 水質の動きが鈍くなったのだ。
「あ、あれ……っ?」
 ティレイラは焦ってその場で数秒を無駄にした。
 それから慌てて右腕を浴槽の縁に伸ばすが、それ以上の事がスムーズには出来なかった。体を僅かに起こすも、湯の変化に動きがゆったりとしたものになる。
「え、これ……なに……? まさか、魔法の劣化……!?」
 お湯は、見る間に入浴剤の色の水飴のような状態になってしまった。
 ティレイラが動揺で動くたびに、彼女の体にまとわりつくようにしてそれは広がっていく。
「そ、そんなぁ……劣化がこんな仕様になるなんて、聞いてないよぉぉ〜〜っ」
 必死に浴槽から出ようともがくが、水飴状になってしまったお湯は、重かった。昼間の疲れが抜けきっていない今の彼女には、あまり余力も残っておらず、まさに八方塞がりの状態だ。
「うう〜っ、で、出られないよぉ〜〜……ど、どうしたら……」
 あんまりだ、と思いながらもどうすることも出来ない。
 ティレイラはその後もしばらく、水飴の湯から出られずに、情けない声を出し続けていた。



━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

 いつもありがとうございます。
 少しでも楽しんで頂けますと幸いです。

 また機会がございましたら、よろしくお願いいたします。
東京怪談ノベル(シングル) -
涼月青 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年08月19日

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