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『歪めども歩み続ける 』
井木 有佐la0921

「ありがとう。いつも済まないね」
 グロリアスベースの中枢を担うSALF本部。井木 有佐(la0921)は馴染みの職員に快活な笑みを返し差し出された物を受け取った。ブリーフケースに収められたそれには有佐がライセンサーとして関わった事件について救援要請が出る前の情報も含めファイリングされている。
 二人きりの空調音が響く会議室。いつも通り座って中身に目を通す。氏名がマスクされた資料は読み辛いが、持ち出し不可の為ここで読み解いて要点を頭に入れるしかない。
 広げた資料を俯瞰視点で捉えながら有佐の眉間に皺が寄る。作戦に参加するにあたり概要は把握していたが、客観的事実のみを聞くのと生存者の証言という主観的事実も込みの情報では大きく印象が異なるものだ。
 敵は脳を喰うナイトメアだった。強い衝撃を与えて頭蓋骨を破壊し、中身を啜る。損傷が激しく身元の特定が不可能な遺体もあった。一体が捕食出来る人数には限界がある。それが救いだったとしか言い様がない。
 陰惨な事件に関わる度によぎる記憶。それは親友が亡くなったあの日の出来事だ。生涯忘れられないだろう――。

 ――今から数年前。頭角を現す科学者の有佐には志を同じくする親友が一人いた。愚直なまでに人類の幸福の礎となる技術――IMDとそれを具現化するEXIS、アサルトコアすら凌駕するような――を追い求める有佐は人当たりの良さに反して、同業者から疎まれていた。そんな中で彼は唯一、有佐の発想を面白がっては真剣に討論を吹っ掛けそれが朝まで続くこともあった。げっそりした顔で珈琲を淹れ、スポンサーを納得させるには方便も必要と言う。しかしお前はお前のままでいいと笑うと有佐の分も用意してくれた。歳は変わらないが有佐にとって彼は親友でありながらも、父か兄か家族に似た側面があったように思う。
 金に溺れた人間のネームバリューが物を言う業界。実験出来なければ実用化の見通しさえ立たない。だというのにある程度名の知れた有佐も援助を得るのに苦労は尽きなかった。ライセンサーや彼らに武器を提供する企業は花形。しかし更なる技術発展を目指す科学者は皮肉にも古い体質の中でもがいていた。
(ようやくこれから、って時にこんな目に遭うとは)
 逆境に次ぐ逆境の人生を送ってきた有佐もナイトメア襲撃の現場に居合わせるのはこれが初めてだ。溜め息一つで愚痴を押し流して、拳を握り締めて全身の震えを誤魔化す。その途端に床ごと震わせる衝撃音がすぐ近くから聞こえてきた。二部屋か三部屋隣か。親友が肩を竦めるのが判った。大丈夫だと繰り返し呟く声は自分に言い聞かせる意味合いが強いのだろうが有佐も頷いては相槌を打つ。
(落ち着け、まず現状把握だ)
 でなければ助かるものも助からない。
 まず、ここは研究に出資してくれるという企業が入ったビルだ。つい篭った熱意に感化されたという担当者に会う為に、三階にあるオフィスを訪ねて応接室に通された。しかし腰を落ち着けて間もなく壁が破砕されたと思しき音に警報器の作動音。複数の足音が廊下を駆け、そして、様子を窺おうと出かけた矢先に階下からの悲鳴が相次いで聞こえた。咄嗟に向かおうとし親友に引き止められる。お前に今何が出来るんだと。息を潜めている内に救助が来ると放送があったので、一縷の希望に賭け待機していたが――もう限界だ。
 有佐たちに太刀打ち出来る術はない。ただ黙って殺されるなんて御免だ。考えに考え状況を打開出来る手段が一つだけ思い浮かんでいる。どちらかが囮になればもう一人は逃げられるとそんな手段が。物音から推察するにナイトメアは一体だ。
(俺が囮になればこいつは助かる。運が良ければ俺もだ)
 大した物は持ってきていないが、少しでも気を引き時間稼ぎが出来れば、救助が間に合う可能性も一応はある。跳ねる鼓動を平時通りの表情の裏に押し込め机の下から這い出る。と弾かれるように親友も出た。お人好しの彼をどう言い含めるか思案する。不意に名を呼ばれて見れば真剣で、そして悲愴感を帯びた瞳と目が合った。肩に乗せられる頼もしい手。
 ――俺には親父もお袋も、兄貴もまだ居る。お前はお袋さんをもう悲しませるな。
 そう言って親友は笑った。言葉の意味が理解出来ないほど浅い付き合いではない。しかし即座に適切な判断が取れるかは別の話で。硬直する有佐の隙をついて、彼はすぐ部屋を飛び出す。親友が発するのは喉から無理に引き絞った声だ。それは注意を引くのと同時、ナイトメアにここを通り過ぎさせる動き――有佐が考えていたように囮役を買って出る行動だ。一人になった瞬間から、ひどく冷静に頭が回り出す。
(今から追いかけても助けられない、揃って無駄死にするだけだ。ならどうする?)
 この奥まったオフィスに来るまで、何とは無しに見ていた建物の構造。他の階も大枠は同じだろう。ビルの前に立った時に見た感想を辿る。他の人が襲われた位置は階段付近、最初に襲撃された場所は下の階――エレベーターも近場の階段も使えないなら、非常階段が良いのでは。ナイトメアは十中八九親友を追いかけていく筈。その裏をかかなければ彼が囮になった意味も無くなる。
 何かを引きずるような音が響いて、親友の引き攣れた声が掻き消えた。有佐は音を立てないよう慎重に扉を開くと、躊躇わず逆方向へと歩き出した。絨毯を踏む音は靴下が隠してくれる。煙に巻かれる可能性も考慮し口にハンカチを押し当てた。
 背後からは肉を貪る音に混じり親友の声が聞こえる。いつもの明るさから想像もつかない、くぐもった泣くのを堪える声。ごめんは誰に向けた言葉だろうか。苦悶の喘ぎは徐々にか細くなって聞こえないほどに遠ざかっても尚、頭の中でずっとずっと響き続ける。冷静さを欠かず脱出を果たした瞬間になって、有佐は静寂を感じた。消防車や救急車、ライセンサーらしき人間の怒号と非日常的な喧騒の中。人々に囲まれ自らが知り得る限りの情報を伝えながら三階を仰ぐ。彼が助からないことなど判りきっていた。

 中に遺体のない棺――損傷の激しさに修復も出来なかったと聞いた――を眺める。焼香を行なう有佐の瞳に涙はないまま。無事助かってから今日に至るまで、ついぞ泣くことはなかった。彼の両親と兄が啜り泣く声が聞こえる。
 彼の犠牲の下に生き残った罪の意識はある。しかしこの世界に神などいない。嘆いても誰も幸せにならない。それを有佐は父を亡くした時に知った。悲しみに沈んでいては死者も喜ばないという。だからあいつの分まで人の役に立たねばと決意を固める。研究だけでなく、危急の事態に際し己にはまだ為すべきことがあるのでは――そう思わせる事件だった。

「……だからこそ立ち止まっている暇などない」
 ふと零れた呟きに職員が戸惑った顔をする。
「いや、何でもないよ」
 と笑ってみせると資料を畳み、元通りにして返した。改めて礼を言えば、お役に立てば嬉しいですと職員がそれを受け取る。部屋を出ようとしたところで不意に声をかけられた。言葉を聞き有佐は訝しむ。
「無理? いやいや、全くそんなことないよ。彼らの犠牲に報いる為にも、より一層精進しないとね」
 何せ、二人分の成果を生み出さなければならないのだから。
 少しでも記憶が鮮明な内に研究室に戻り情報を精査しよう。凝り固まった肩を回して有佐は扉をくぐり、前へ進み出した。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
もっと沢山親友さんとのエピソードを入れてみたい
気持ちが強かったんですが、尺が足りず……ぐぬぬ。
この一件で加速した感じで、お父さんの事件の裁判の後には
今の有佐さんの性格の基盤が出来ていたのかな、という気が
したのでひたむきに努力するところ+嫌味のない性格は
同業者に嫌われるかな、そうしたら親友さんも度量があって
結構癖のある感じかな……という妄想でお言葉に甘えて
勝手ながらも関係性やエピソードを膨らませてみました。
もしも解釈違いがあったら申し訳ないです。
今回は本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2019年08月19日

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