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『気付けば絶望の中(1) 』
白鳥・瑞科8402

 夜の海に、場違いな程に穏やかな歌声が響いている。
 人を誘い、狂わせる魔性の声だ。その歌を耳にした者は、美しい声に聞き惚れている内にいつの間にか引きずり込まれてしまう。深い深い海の底……絶望の中へと。

 しかし、潮風に乗って流れてくるその歌声に、惑わされない者がいた。
 それどころか、彼女はその端整な眉を僅かにひそめて吐き捨てる。
「……醜いですわね」
 歌声の主のまやかしのヴェールで覆われた本性を見透かしたのか、彼女は海よりも澄んだ青色の瞳を呆れたように細めるのだった。

 ◆

 普段は滅多に人の訪れないこの街に、その客が訪れたのは青天の霹靂とも言えた。
 教会のないこの街には珍しい神聖な修道服を身にまとった彼女の姿は、完璧な美というものを自らの身体で体現しているかのように見目麗しく、一層人々を沸かせる。
 その女性客……白鳥・瑞科(8402)の鼻孔を、街を満たす海の香りがくすぐった。潮風が彼女の髪を撫で、身にまとっている修道服のスカートを悪戯にたなびかせる。
 スリットから覗く聖女のしなやかな脚は、すれ違う者達をたちまちに魅了する。幾つもの視線が彼女の肌を無遠慮になぞった。
 しかし、瑞科はさして気にも留めずに堂々とした足取りで真っ直ぐに歩き続ける。顔だけではなく、薄い素材で出来た修道服では隠しきれないグラマラスな肢体もまた完璧である瑞科はこういった視線を向けられる事には慣れていた。熱のこもった瞳で見られる事は、いちいち気にする必要などない程に彼女にとっては当たり前の日常の一つなのだ。
 つれない態度の彼女に一層興味を抱いたのか、無謀にも話しかけてこようとしてきた者もいる。その手入れの行き届いた肌に触れようと乱暴に手を伸ばしてくる、ひどく愚かな者も。
 しかし、実際に彼女に触れる事は叶わない。聖女の肌に不躾に触れる権利を得ている者は、ただの一人としてこの世には存在しないのだ。
 一瞥すらもくれずに、瑞科はいともたやすく人々の魔の手を避けてみせる。その動作ですらまるで映画の中のワンシーンのように美しいものだから、ますます彼女へと惚れ込み陶酔する者は後をたたなかった。
 聖女の如き笑みを崩さぬままに、瑞科はそんな彼らを見て思うのだ。
(全く、くだらないですわね)
 美しい薔薇に棘があるように、彼女もただ美しいだけではない。その優しげな微笑みからは想像がつかない程、高圧的な態度をとる事もあった。
 中でも、人類に仇なす敵には一等厳しく、彼女は彼らに容赦も慈悲も与えてやるつもりはなかった。
「少しお聞きしたい事があるのだけれど、よろしいかしら?」
 不意に、聖女は足を止める。この街の長らしき相手を呼び止めた彼女は、瑞科の容姿に思わず見惚れてしまっている相手に向けて凛とした声で問いかける。
「例の噂は本当でして? 奇妙な歌声を聞いた者達が、次々に姿を消してしまう……という噂ですわ」
 それこそが、彼女が海の近くにあるこの街を訪れた理由だった。
 戦闘シスターである瑞科が今回受けた任務の内容は、失踪事件の調査とその原因である悪の討伐だ。
『海の近くで美しい歌声を聞いた』といった類の事を言っていた者達が、次々に失踪してしまう不可解な事件……その犠牲者の殆どは、この街の住民であった。

 ◆

 時は、数刻遡る。「教会」に所属している瑞科は、上司である神父から任務の内容を聞かされていた。
 とある街を中心に起こっている、失踪事件の調査……ただそれだけなら、本来瑞科へと回ってくる任務ではない。
 だが事前の調査において、この事件に何らかの魑魅魍魎が関わっている可能性が高い事が分かったのだ。
「巷では、人魚にさらわれたという噂になっているようですけれど……恐らく悪魔の仕業ですわ」
 悪魔が人を騙し、さらっている。よくある話ではあるが、無論放っておけるものではない。下劣な悪魔が力なき民を相手に行う蛮行を、瑞科が許せるはずもなかった。
「少し、身の程を知ってもらう必要がありそうですわね」
 頼もしい言葉を呟きながら、瑞科は思わず神父が息を呑む程に美しい笑みを浮かべるのであった。

 任務を受けた後、瑞科はまず自分用のワードローブが設置されている部屋へと向かう。美しい装飾の施されたそれを開けた彼女が手に取ったのは、戦闘シスターの名に相応しい衣服……修道服であった。
 腰下までに深いスリットが入っており、薄い生地で出来ているそれは美しい身体のラインを崩す事なく彼女の身体を包み込む。まるで寄り添うように肌へと張り付くこの衣服は、瑞科専用の戦闘服だ。
 その証拠とでも言うように、修道服を着る前に身につけた黒い光沢のあるラバースーツは耐衝撃性のある素材で出来ていた。たとえ、どのような攻撃を受けたとしても彼女の肌へと負担をかける事はない。もっとも、未だかつてその性能を必要とする程の衝撃を受けた事はおろか、敵に触れられた事すらも彼女にはないのだが。
(皆様、少し動きが遅すぎるんですわ。避けないほうが難しいくらいですわよ。やはり、わたくしの速さに悪魔如きが追いつけるわけありませんのね)
 物足りないとでも言いたげに嘆息しながらも、瑞科は着替えを続ける。
 鏡に映る彼女の腰元は、普段以上に引き締まっていた。修道服の下に、コルセットをつけているのだ。軽量ながらも強い素材で出来た薄い鉄が仕込まれているそれは、ただでさえスレンダーな彼女の腰元を更にきゅっと絞り上げ瑞科の豊満な胸を一層魅惑的に見せていた。
 指先まで手入れが行き届いており、傷の一つも存在しない美しい手をロンググローブが包み込む。純白のケープを肩に羽織り、頭には同じく穢れなき白色のヴェールを。
 ニーソックスをはいた足に仕上げとばかりに膝まである編上げのロングブーツを装備すれば、全ての支度は完了する。
 仕上げ……否、とどめと言っても良いかもしれない。彼女がこの衣装を身にまとった瞬間に、悪魔の死は確定したようなものなのだから。瑞科が任務を受けた時点で、敵の敗北は見えている。
 それ故に、これから戦場へと向かうというのに瑞科の顔に恐れの色はなかった。余裕ある笑みを浮かべる彼女は、今回の任務も必ず成功するに違いないと確信しているのだ。
 未だかつて負けを知らない聖女、白鳥・瑞科。討伐される悪魔にとっては、彼女こそがこの世で最も美しくも恐ろしい悪魔のような存在であろう。
 女神のような微笑みを浮かべ、天使のように自由に戦場を舞う彼女は、その可憐な見た目からは想像がつかない程の悪魔の如き強さを持っている。今まで倒してきた敵の数は、聡明な彼女であっても数える事が難しい程だ。
「今宵の相手が誰であろうと、わたくしの敵ではありませんわね。少しくらいは楽しませてもらいたいものですわ」
 剣を手にしそう呟く聖女は、せめて今宵聞く事になる悪魔の悲鳴が耳障りなものではない事を願うのだった。
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年08月28日

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