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『 Papilio protenor 1 』
水嶋・琴美8036


 丸く切り取られた双眼鏡の向こう側で標的の男が部下に指示を出していた。刹那、反射的に琴美(PC8036)は身を翻す。男がこちらを振り返ったような気がしたからだ。見つかったのか? この距離で? ただ窓の外を振り返っただけかもしれないが。
 琴美はわずかな高揚感を噛み殺し双眼鏡をしまうと、携帯端末を開きながら歩き出した。通信相手も今回の任務の概要は把握している。多くの言葉は必要とせず、同部隊のホワイトハッカーと最低限のやりとりをして通信を切ると彼女が向かったのは“拠点”だった。勿論表向きのではなく非公式の任務を遂行するための彼女の個人的なものだった。
 張りのある白い素肌に水滴を弾ませ軽く汗を流す。黒く長い髪がしっとりと首筋や鎖骨、大きな膨らみに淫らに絡み付いていた。それを煩わしげに払うと雫達が残念そうに彼女の柔肌から離れて飛び散る。バスタオルを巻いて琴美はシャワールームを出た。軽く拭ってバスタオルを置くとそこには世の男どもが反射的に昂ぶりを確認したくなるような扇情的な姿態が現れる。
 誰もいない事が悔やまれる、か。
 琴美は無造作に黒のインナーを身につけた。ぴったりと強く張り付こうとするそれと肌の隙間に指を差し入れ皺を伸ばしてピンと弾く。それからスパッツを穿いた。両足を交互に上げて丁寧に動きを確認するのはもちろん任務遂行を円滑なものにするためだが、その度に括れるウェストや肉感的なヒップラインを無機質に眺めているのは彼女の前に置かれた物言わぬ鏡だけである。臀部から太股にかけて股関節の動きを妨げる事なくフィットするそれに琴美は満足げな息を漏らした。
 ミニのプリーツスカートに着物を模したような上着は当然表向きの戦闘服などとはほど遠い。しかし、代々忍者の血を引き継いだ琴美にはこれが最も体に馴染むのだ。幾度となく共に任務を遂行してきた得物の本日の調子も良好。それを帯の下にあるホルダーにセットした。膝まであるロングブーツに程良い筋肉に包まれたしなやかな足を入れ、上げた足を壁に預けて靴紐を編み上げていく様は流麗であった。
 グローブをはめ両手の指を絡めると2度握りを確認して琴美は準備を終える。
 時計を確認して少し時間がある事に琴美は瞑想するように目を閉じた。その瞼の裏に映っているのは任務遂行のイメージかそれとも……。


 ▼


 終業時刻を過ぎたオフィスビルは閑散としていた。ビルの清掃員が仕事を終えて帰って行くのを確認し誰もいなくなったエントランスホールに琴美は正面から堂々と入った。
 程なくビルの警備員が駆けつける。
 カツンカツンと琴美の鳴らすヒールの音がエントランスホールに響きわたった。
 歩く度にチラリチラリと見える絶対領域に、着物の合わせから今にも飛び出しそうな彼女のたわわに揺れる大きな胸に、警備員の男どもが喉を鳴らす。乾いたコンクリートジャングルにあって瑞々しいまでの彼女の肢体に男どもは一瞬遅れて誰何の声をあげた。自分の仕事を思い出したのだ。
 とはいえ答える義理もない琴美は尚も歩みを進めた。銃を構え制止の声をあげる男の前で漸く止まる。
 男は彼女に見とれてしまった。ミニスカートがふわりと舞ってその下から覗く鞭のようにしならせた琴美の脚線美に。無意識か長くなった鼻の下が、次の瞬間、衝撃と苦痛によって激しく歪む。琴美の回し蹴りが彼の横っ面を蹴り飛ばすと、別の男が奇声を発しながら琴美に向けて引き金を引いた。
 それを右手に握ったクナイで掠めて軌道を変える反射、それから一歩で軽やかに間合いを詰めるスピード。次々に薙ぎ倒されていく男どもに息を荒げるでもなく瞬く間に全ての男どもを床に這わせて、琴美はクナイを仕舞うとわずかに乱れた髪を軽く梳いた。
 吸いつきたくなるような白い項が仄かに香る。
 よもやそのせいというわけでもあるまい。
 昏倒するでもなく男どもが立ち上がった。
 今度こそ地に這わせる一撃を繰りだそうと右手の指をクナイのリングに絡めたまま琴美の動きが止まる。男どもの銃口が自分に向けられていなかったからだ。
 やめてくれと口々に言い合う悲鳴にも似た男どもの声に銃声が次々と重なった。警備任務失敗の責でもとらされたか。同士討ちに琴美は半ば言葉を失いつつクナイから手を離してエレベーターホールへ歩き出す。
 背後でなる衣擦れに足を止め振り返った。
 男どもがゆらりと立ち上がっている。
 生きている?
 刹那、琴美のクナイが男の脳天に突き刺さった。
 男はわずかばかりの出血とよろめきだけで倒れる事はなく虚ろな目を琴美に向けている。
 琴美は胃の腑からこみ上げてくる嫌悪感に視線をそらせた。彼らの主はくずとか下衆とかそんな言葉では収まりきらない。当人たちの了解も得ず尊厳を踏みにじり彼らを殺しても死なない屍人に変えたのだ。
 だがその傍らで喜悦の念が混じるのも感じてもいた。彼女の加虐的な嗜好がほんのり顔を出す。彼らの主を任務以上にどう誅殺したものか。
 操り人形たちが琴美を襲う。
 間合いを詰めて男の腕を脇に挟むと一転して捻じ折り額に刺さったままのクナイを回収しつつ膝間接を一息に踏みつぶした。
 右から飛びかかってきた男を紙一重でかわしクナイを一閃して牽制、後方から殴りかかってきた男に向かって男を蹴り飛ばすと、2人の男は絡み合うようにして柱まで吹っ飛び倒れた。決して大柄ではない彼女のどこにそんな力が秘められているのか。
 琴美は更に別の男にクナイを投げている。狙うのは脳天でも心臓でもなく足の腱だ。
 だが、男どもは関節が捻れようが砕けようが大した事でもないように立ち上がり、或いは四つん這いに、腕だけで、人とは思えないようなスピードで琴美に肉薄してくる。
 投げたクナイを回収しつつ琴美は大きく退いて息を吐いた。これは四肢を切り落とさなければ止まりそうにない。クナイでは骨が折れる。忍者刀でも持ってくるのだったと後悔は先に立たず。
 かといって、この程度窮地足り得もせず。琴美の口の端がわずかにあがった。
 琴美は地面を蹴り壁を蹴り飛び上がる。
 男どもが琴美の着地点めがけて殺到した。
 彼女のクナイが飛んだのは吹き抜けの天井。
 カウントダウン。
「5・4・3……」
 琴美は男どもの頭を蹴って手玉にとりつつ程なく床に受け身をとる。
 男どもが琴美を追おうとした時、ズウンと大きな音を立ててそれが落ちてきた。
 軽やかに琴美が立ち上がるのと天井にあった豪奢なシャンデリアが男どもの動きを封じたのはどちらが速かっただろうか。
 琴美は息を吐く。
 取り急ぎ時間稼ぎにはなるだろう。彼らを無力化する方法はいくらもあるが如何せん時間を要する。なにより彼らの相手をするよりも、彼らの主の方を先に抑えてしまった方が手っ取り早い。
 それに、その主は琴美の襲撃に既に気づいているだろう、こんなところで無駄な時間も労力も割いている場合ではなかった。
 琴美はエントランスホールの怨嗟の念を背にエレベーターホールに足を進めた。
 その奥にある最上階直行エレベーター。
 たとえばそれが罠であったとしてもこれが最短ルートである事に変わりはなかった。



 END




━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

ありがとうございました。
楽しんでいただければ幸いです。


東京怪談ノベル(シングル) -
斎藤晃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年08月29日

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