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『気付けば絶望の中(2) 』
白鳥・瑞科8402

 夜の海は、静まり返っている。
 波の音すら響かない海は、まるでこの場所だけ世界から切り離されてしまったかのようで、ひどく不気味であった。
「……出てきてくださいまし。あなた様方が身を隠している事なんて、バレバレですわ。かくれんぼに付き合っている時間はありませんのよ」
 白鳥・瑞科(8402)の澄んだ声が、その静寂の中へと落ちる。それが、切り離された世界を元来の姿に戻す切っ掛けとなった。
 聖女の肌を、嫌な気配がなぞる。幾つもの視線が、彼女の修道服に包まれた他者を魅了する肢体へと突き刺さった。
 視線には慣れている。人々の無遠慮な視線にも。――今感じている、殺気の込められた異形の視線にも。
 静寂は打ち破られ、世界は音を取り戻す。まず最初に響いた音は、波の音ではなく刃の音だった。瑞科へと向かい、異形が剣を振るった音だ。
「遅いですわね。不意打ちすらもまともに出来ませんの?」
 けれど、その音は瑞科が自らの武器で攻撃を弾き返した甲高い音にかき消される。背後から強襲してきた者に向けて、瑞科は相手を小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
 彼女の挑発するような態度に、相手は目に見えて怒りをあらわにする。周囲の空気が一変した。海は先程までの平穏を忘れ、悪意と殺気で満たされる。
 瑞科の視界の先で、何かが蠢いた。悪意が形を作り、群れをなし始めている。ぞろぞろと海から這い出てくるように歩いてくるのは、何体もの悪霊であった。
 それも、一体や二体ではない。両手では、数え切れぬ程の数だ。
 この全てが、この事件の主犯である悪魔の手下に違いなかった。その悪魔の歌とやらに惑わされ、配下へと下った者達の成れの果てなのだろう。
「あなた達も被害者ではあるのでしょうけれど、もはや救う手はございませんわ。悪へと染まったその魂、このわたくしが直々に浄化してさしあげます。感謝してくださいませ」
 聖女の剣が振るわれ、一番近くにいた悪霊の身体を切り裂く。耳へと届く悲鳴は、やはり聞くに堪えない程醜いものだ。
 仲間がやられた事に動揺したのか、それとも瑞科のあまりの鮮やかな戦いぶりに思わず見惚れてしまったのか。悪霊達の動きが一瞬鈍った。その隙を逃さずに、瑞科は華麗に追撃を加える。
 また一つ、悲鳴が上がる。悪霊達の断末魔が、耳障りな不協和音を作り上げた。
「どうしましたの? この程度でして?」
 彼女のその挑発じみた言葉にようやく我に返ったのか、悪霊達も再び持っている武器を振るい始める。しかし、瑞科は襲い来る猛撃を全て華麗に避けてみせた。彼らの攻撃など、聖女の剣裁きには到底及ばない。
「もう少し戦いがいのある方達でしたら、しばらくお付き合いしてさしあげてもよかったのですけれど……。思っていた以上に、弱すぎますわね」
 呆れたように肩をすくめた瑞科は、不意に剣を振るう手を止めた。それを好機と見た悪霊達が一斉に彼女へと襲いかかるが、しかしその凶刃が聖女の魅惑的な身体へと触れる事は……ない。
 次の瞬間、海が光った。落雷のような光が、辺りを支配する。
 だが、轟音はしない。響くのは、悪霊達の悲鳴だけだ。
「あなた様達程度の相手をしている暇はありませんの。申し訳御座いませんけど、雑魚戦はさっさと終わりにさせていただきますわ」
 くすり、と笑う聖女の残酷な宣告と共に、再び周囲へと光が襲いかかる。その正体は落雷ではなく、瑞科が自在に操る電撃であった。
 ただでさえ高威力の電撃だ。海に浸かり濡れていた彼らには、特別よく効く事だろう。
 再び、辺りは静寂を取り戻す。数え切れぬ程いたはずの悪霊達の姿は、もうどこにも存在しなかった。
 裁きの雷の如き瑞科の電撃により、その魂は残滓すらも残さずに燃え尽きてしまったのだ。

 ◆

 悪霊達との戦闘を終えた瑞科は、本来のターゲットである悪魔の姿を探し始める。
 砂浜を歩き始めた聖女は、不意に聞こえた音に足を止めた。夜の海に響くのは、場違いな程に穏やかな歌声であった。
「これが、例の歌声でして?」
 人々を惑わす歌声。失踪した者達はこの声に導かれるように悪魔のところへと誘い出され、そのまま悪しき者の餌となり悪霊と化してしまったのだろう。
 美しい歌声が惑わす対象は、男だけではない。女性であろうが老人だろうが子供であろうが、生ける者全てを惑わす力がある。
 恐らく、悪魔は歌声に何らかの魔術を込めているのだ。この歌声は、文字通り魔性の歌声であった。
 けれど、その悪魔の力の込められた声であっても、瑞科を騙す事は叶わない。むしろ、その上辺だけのハリボテのような美しさを装った歌声は、本当の美しさを持つ瑞科には違和感しか与えず、彼女をかえって不快な気持ちにさせた。
「……醜いですわね。こんな歌声で、今までよく人々を騙せていたものですわ」
 その歌声の裏にある、悪魔の醜く歪んだ本性を、どす黒い悪意を感じ取った彼女は呆れたように吐き捨てる。
「わたくしの事も手駒にしたかったようですけれど、生憎わたくしの趣味ではありませんわ。嗚呼、けれど……」
 ふふ、と微笑んだ瑞科は、迷いなく歩き始める。歌声の声量と聞こえてくる方角から計算し、相手のいる場所にあたりをつけたのだ。
「あなた様の悲鳴なら、少し聞いてみたいものですわね」
 悪魔相手に、容赦などする気はない。今回の任務も必ず成功させるつもりだが、どうせ勝利するならより完璧な勝利を掴みたいものだ。
 微笑みを浮かべ、聖女は告げる。美しい唇が凛とした声で紡いだのは、悪魔に対する挑発であり……死の宣告でもあった。
「人類を仇なす醜い悪魔は、わたくしが徹底的に蹂躙してさしあげますわ」
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年08月30日

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