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『胡蝶の約束 』
ミラ・R・Ev=ベルシュタインla0041)&朱堂 朧la0131

 体の芯へとろとろまとわりつく眠気。
 眠いのから早く逃げなくちゃ眠いけど。うん、眠いからもう眠ってしまおう。まどろみの奥へ潜り込もうとした、そのとき。
「おーい! なぁに寝てんだよ! ニチアサっつったらガキのゴールデンタイムっしょ!? アニメ見ろアニメ!」
 わーっと騒々しい“お兄ちゃん”の声が押し迫ってきて――転がされて抱え上げられてぐるぐる回されて。おかげでいい感じの眠気が脱水されたみたいに飛んでいってしまった。
「りふじんだ」
 くわっ。大きな目を思いっきり開いたミラ・R・Ev=ベルシュタイン(la0041)が、真ん前にある“お兄ちゃん”の笑顔にべっちゃり、小さな手のひらを押しつけて押し退ける。
「ミラちーやべぇって! よだれついてっからマジで!」
 ミラを抱え上げたままわめく朱堂 朧(la0131)。めげることもなくミラをぎゅうっと抱きしめた。
「ミラちーゆうな」
 ぺしぺしぺしぺし。ミラは朧の顔につっぱりを連打して。
「ミラちーはミラちーっしょー?」
 へらへらへらへら。朧は笑みを深めた。
「りふじんだ」
 もう一度繰り返したミラはふと、小首を傾げる。なんだろう、見慣れた朧の顔なのに、なんとなくおかしい気がするのは。
「じゃ、ミラ! さくっと朝飯食って遊びこうぜ。オールでSDぶちかましちゃう?」
「えすでぃー?」
「すべり台な!」
 ミラを下に下ろして手を繋ぎ、朧が歩き出す。
 手を引っぱられながら、ミラはまた思うのだ。朧をこんなふうに見上げているのがしっくりこなくて、なんだか理不尽。


「チアフルセットふたつ、よろしくお願いしまっす!」
 チェーンのバーガーショップ。朧は店員のお姉さんへ「ちーす」ポーズを決め、無料のスマイルを逆に売りつけた。
「おぼろはちょーちゃらい」
「はいどうもチャラ男でぃーっす!」
「わたしはちゃらおをしんようしない。だってちゃらいから」
「ちょま! オレ、信用できるチャラ男だから!」
「わたしはしんようできるってゆうちゃらおをしんようしない。だってちゃらいから」
「オレ、チャラ誠実一本でやらせてもらってるオトコなんで!」
 ふたりのやりとりに、思わずお姉さんも笑ってしまう。
 カウンターの下でこっそり「いえー」、拳を合わせる朧とミラだった。

「おいしい」
 テーブル席の椅子から足をぶらぶら。ピクルス抜きのチーズバーガーにかぶりつくミラ。
 その口の脇についたケチャップを親指で拭ってやりながら、朧が訊いた。
「ミラ、全部食えっか?」
「じゅっこでもよゆう」
 むっと言い返すミラだが、同じ7歳児の中でもかなり小柄なほう。オレンジジュースは意地でも飲むとして、バーガーを丸ごとひとつ食べたらお昼が入らなりそうだ。どうしよう?
 ミラが迷っているのはすぐにわかったから、朧はよしとうなずいた。
「あー、オレちょー腹ぺこアオムシなんだけどなー。どっかのやさしいプリンセスがチーズバーガー半分分けてくんねーかなー」
「わたしはぷりんせすじゃないからたいしょうがい」
 ぷい。横を向くミラの顔を追いかけて、朧は必殺ワードを口にした。
「昼飯、オムライスにし」
「ぷりんせすじゃないけどはんぶんあげる」
 プリンセスの魔法はいまひとつだったけれど、オムライスの魔法はよく効いたようだ。それこそ最後まで言わせてもらえないくらいに。
 苦笑しつつ、ミラがちぎってくれたバーガーをもぐもぐ。朧はスイートコーンの紙容器を押し出して。
「野菜は食えよー。これ、野菜って言っていいのかわかんねぇけどさ」
「ん」
 プラスチックのフォークへひと粒ずつコーンを刺す作業に没頭するミラを見ながら、朧はやわらかく微笑んだ。
「ちゃらおがわたしをみてわらってる。ふしんしゃだ」
「ちがうよ!? これは幼女を慈しむパパ的な――って、これじゃガチで不審者じゃね!?」
「ちゃらおがはくじょうした。わたしのあんぜんがちょうやばい」
「やばくないから! ほんとマジで!」
 うろたえる朧にミラはふふり。自分がこんなに理不尽な思いをしているのだから、少しは朧にだって理不尽な思いをさせてやらなければ。
 どうしてそう思うのかはわからなかったけれど、気分がいいからよしとしよう。


 よく晴れた日曜日の午前中といえば、それこそ公園のゴールデンタイムってやつだ。
 朧とミラの前にはたくさんの親子連れがいて、それぞれのひとときを楽しんでいた。
「おー、みんな遊んでんな。ミラはなにしたい?」
「……たたかいたい?」
「ごっこじゃなくて!? もっとこう、ラブでピースなやつにしとこっか!」
 ミラはうーんと考えて、考えて、考えて。
「おにごっこはとくい」
「鬼ごっこか。ま、そんならいいかな。どっちが鬼やる?」
「おにはわたしだ」
 言い切った瞬間、ミラが朧へ襲いかかった。幼女ならではの瞬発力で朧の死角へ滑り込み、低身長だからこその視認のしづらさを最大限活用して追い立てる。
「ポジショニングとか突っ込みかた、ぜんぜん遊びじゃねぇんだけど!?」
 お兄ちゃんらしからぬ本気っぷりで逃げ回りながら朧がわめいた。立ち木を盾にタッチという名の貫手をかわし、顔を逸らして投げつけられた砂から目を守って、追い打ちに来たミラの頭上を跳び越えてダッシュ。
 やばいやばいやばい! これじゃオレ、狩られる!
 さすがに口にはできなかったが、「いないいないばぁ――いないいない、ばぁ――」とかつぶやきながら無表情で迫り来る幼女に、かなり本気で恐怖していた。これはもうごっこじゃない、本当の戦いだ。
 って、逃げちまったらダメっしょ!
 ここでやられたら歳上の面子が丸つぶれだ。反撃する! ラブでピースな、たったひとつの冴えたやりかたで!
 一方のミラは、無駄のない最小の動きで朧を追いつつ、納得いかないものを感じている。どうして「びゅーん」や「びしゃっ」っと行かないのか? いつもならこんなにもどかしいこと、ありえないのに。
 ……悩むのは後だ。朧の動きが止まった。ここできっちりしとめる。
 と。
 朧の両手が、ミラの脇へ差し込まれた。そのまま一気に掬い上げる。
 脇の下を押さえられたミラはタッチできないまま上へ持ち上げられて。
「ほーら、戦いたいじゃなくて高い高いな!」
 朧の身長は170センチ。腕の長さも70センチ以上はあるから、まっすぐ上に差し伸べれば相当に高い。だから今、ミラの目線は3メートル近くにまで上がっていた。
「うん、たかい」
 地面が低い。家族連れが低い。そして朧も、低い。
 景色が一気に変わったことはおもしろかったけれども、なによりも朧を見下ろしていることにしっくりきた。なんというか、そうでなければならないというか。
 でも。
「わたし、おりる」
 体を揺すって朧へアピールした。
 見下ろすより見上げていたい。せめてそう、今だけは。
「えー、もうちょい高い高いしとこうぜー」
 唇を尖らせる朧。
 戦いを再開したくない気持ちもあったが、それよりも今は――小さなミラと、なんでもない時間を過ごしていたくて。
 なんでこんなこと思うのかわかんねぇけど、思っちまうんだからしょうがねぇよな。いや、不審者じゃねぇっすよ? ほんとに。
 惜しい気持ちを引きながらミラを下ろし、その頭をわしゃわしゃかき回す。青みを帯びた銀髪は乱れに乱れ、ミラはむぅと「りふじんだ」なんて言うわけだが、朧はかまわずわしゃり続けた。
「今しかねぇんだからさ。今だけ、なでられといてくれよ」
 いつだってなでられるだろうに……思いかけて、ミラは心の内でかぶりを振る。わからないけどわかるのだ。今しかないのだということだけは、なぜか。
 そして朧も同じことを感じているんだろう。
 わかる。わかってしまうから、ぷぅと頬を膨らませて。
「りふじんだ」
 ミラは眼を閉じて朧の手に頭を委ねた。

「ばっちこーい!」
 下で両手を拡げて待ち構える朧めがけて、ミラはすべり台へ自分のお尻を放り出した。
 台に接触する体の面積を減らすほど、速度は上がるはず。速度が上がればその勢いで、受け止めた朧をひっくり返せるかも。
 いかにも子どもっぽいミラの目論見だったのだが。
「っと。そんなくらいじゃオレは倒せねぇっしょ」
 あっさり受け止められて、抱き上げられた。
「おまえはまなーがなってない。わたしがいっしょうけんめいなのに、りふじんだ」
「女の子にさくっと倒されるようじゃオトコは務まんねぇって」
 へらへら笑ってみせながら、朧はミラをすべり台の上へ乗せてやる。
 細いくせに力強いのは、それこそ男で、歳上だからってだけのこと。理不尽な現実だけれど、まあ、そういうことだから。
「つぎはぶっとばす」
 びしっと朧へ指を突きつけて、ミラはすべり台の踊り場に仁王立ち。左右の落下防止柵を掴んでうんと弾みをつけた。
「へいへいへーい、ばっちこいよ! ――ほら、つかまえた!」
「ふしんしゃにつかまった。わたしはもうおしまいだ」
「やめてそういうのほんとにシャレんなんないから!!」

「もっとはやく」
 ふんと胸を反らしたミラが朧に命じる。
「へいへい。しっかしさぁ、高い高いはダメで肩車はいいって、矛盾じゃね?」
 ミラを肩車して公園を周回する朧が納得いかない顔で言えば、ミラはしたり顔でびしりと「へいはいっかい」。
「へい! ……はいじゃなくて?」
「わたしはこせいをそんちょうするしゅぎだから」
「あざっすプリンセスぅ! お礼にサービスー!」
 朧が駆け出した。とはいえスピードは小走りで、周囲の安全も十二分に配慮しつつだ。
 それでも、並木がどんどん置いて行かれて、空気が風になり、ミラの顔をなぜていく。自分で走るのではけして味わえない、特別な感覚。
 おもしろくて楽しくて、ずっとこうしていたいと思う。
 そう思うからこそ、気づいてもしまう。
 ずっとこうしていたくなるのは、いつもはこうじゃないからだ。肩車してもらう機会があるとかないとかじゃなくて、いつもはきっと――
「そろそろ昼だし、このままオムライス食いに行くか!」
「じぶんであるく。せけんのめはちゃらおがおもってるよりきびしいから」
「せ、世知辛ぇっすわぁ」
 朧の肩から降りるとき、ミラの胸の端に染み出すものがあった。それに気づかないふりをして、彼女は朧の手をぎゅうと握り締めた。
 どんなに力を入れても大丈夫。今は。今だけは。


 ショッピングモール内にあるオムライス専門店へ着いたふたりは、まずショーウィンドウに展示されたサンプルを物色する。
「オレはやっぱ定番のケチャップかなー」
「わたしはめんたいこのわふうそーす」
「……ミラさん渋ぃっすね」
 店のテーブル席で向かい合って、ふたりはオムライスの到着を待つ。
「あー、そろそろか」
 朧がグラスを回し、水に浮かぶ氷をカラカラ響かせながらつぶやいた。
 いちばん混んでいるはずの店内に、誰もいない。客どころか店員もだ。
「もう、おわっちゃうのか」
 ミラはぶらつかせていた両脚を止めて息をつく。
 店の外、モールを行き交う人々が影のように黒ずんでいく。ざわめきもBGMもいつしか消えていて、店の中からもどんどん色が抜け落ちていって……
「おわるの、たべたあとがよかったのに」
 万感を喉の奥に押し詰めて、ミラはこの時を惜しんだが。
「まだ終わんねぇよ」
 朧が差し出してきた小指。よくわからなくてとまどうミラに、小指を絡めろと促した。
 ミラの小さくて細い小指が自分の小指に結ばれたのを確かめて、朧はやさしく言の葉を紡ぐ。
「指切りげんまん、明日会ったらオムライス食うぜー。ってな」
 朧の笑顔が遠のいていく。
 世界が黒く塗り潰されていく。
 でもしかたない。これは夢――無慈悲で理不尽な、偽りの今日なんだから。


 目を醒ましたミラが最初にしたことは、自分の身長を確かめることだった。
 176センチ。
 あいつを少し見下ろす高さの、目線。
 夢の中とはまるでちがう、いつもどおりの、私。

 グロリアベースで行き会った朧は、相も変わらずチャラかった。
「よぉ。なんか元気なくねぇ?」
「別、に……」
 横を向くミラへへらへら言いながら近づいてきていきなり手を伸ばし、「よっし届いた」、頭をわしゃわしゃかき回した。
 そして抗議しかけたミラに笑みを近づけて。
「このままオムライス食いに行くか。オレはやっぱ、定番のケチャップかな」
 ああ。ああ……あのときは押さえつけたはずの思いが、今は喉に詰まって出てこなくて。それでもミラは、なんとか言葉を絞り出した。
「わ、たしは……めん、たいこの」
「和風ソースっしょ。ミラさんマジ渋ぃっすね」
 これは夢じゃない、夢の続き。
 終わらないミラと朧の明日の話。
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2019年09月02日

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